寧夏回族(イスラム)自治区シルクロード銀川/ 平和軍縮国際活動に参加して

<1>緑の多い風景はゴビ砂漠の一端とは思えず、オアシスの既成イメージとも違う寧夏銀川市。広い街路と高層ビルの街、その奥の悦海賓館(高層ホテル)が国連平和記念日活動<2016.9.20~23>36ヵ国約200人の主会場だった。 
「中国人民平和軍縮協会」通称「平縮恊」主催。この協会は中国で最も大きな民間の平和団体で毎年国連平和デー大会を開催する。1986年創立時から日本の被爆者たちと交流し、毎夏広島・長崎の日には代表団が訪日する。創立時日本社会党(党首土井たか子)とドイツ社民党と親交を結んだ縁で今回は日本から「村山首相談話の会」10名が招待され、それぞれ北京に集合、特別ゲスト江田五月氏も同じ飛行機だった。
☆国際会議場は柳条と広い芝生の隣地に在り、全員の集合写真撮影のあと自由席に移動する。アフリカ男性の民族服スカートが目立つ。イスラム女性たちはヒジャブを被っておらず、カジュアルな洋装で笑顔を交わす。平和記念鞄と机上のヘッドフォン、大判手帳にボールペン、お茶と魔法瓶と水、同時通訳はなんと日本語も!英語の若い女性通訳と日本語の上手な青年が出迎えてくださり喜んでいたら、さらにきめ細かい会議だった。
寧夏回族自治区主席は長身の女性、澄んだ声の開会式辞は寧夏の紹介を坦々と。「70%が砂漠の、戦乱の歴史の地、戦中戦後は貧しく、飲み水は一日一杯だった。が、緑化に励み、新中国の支援でダムが完成し流水と飲料水が回復、病減り、現在人口は668万人。1982年貧困率78%だったが今は14%。電力は太陽光と風力が急増。イスラム教徒は36%、モスク4300、コーランは世界友好平和と公平と寛容を唱える。女性の人権を重んじている」
古くから異民族・異宗教が交流した「絹の道=仏教伝来の道」の拠点・イスラム自治区での国連平和デー催行の意味を想う。
開会式エクアドル国会第一副主席女史のスピーチは笑顔まったく無し。「銃弾飛び交う自国の苦難、死傷飢餓、難民950万人」の苦境と「待ったなしの平和の切望」を伝えた。スリナム国民議会議長はイスラム教、仏教、ヒンドゥー教の多民族国の体験から断言した。「軍事主義は絶対勝利しない。共存協同の平和しか道はない」。中国代表は「地球は運命共同体、人類は切実な転換点に立っている。だから即パリ協定を批准した」。「国際金融危機の苦難を60か国と協同してなんとか回避した」ことを報告。
☆「民の祈念~持続可能の平和と発展」が本会議の主題であり、「平和の礎を具体的に構築しよう」ということで始まったスピーチは。日本の市民運動の論に似ているが、言語と表現スタイルが多様で姿や声も興深かった。
「我利利権の極少者0.01%が世界各地で混乱動乱を起こして富を独占し、罪なき民を犠牲にしている」証言に大きな拍手が起こった。差別・ヘイト、貧困、非雇用、女・子どもの窮状、恵まれぬ若年・・は世界に拡がっているのだ。 
武力戦争だけではない危機「策謀、虚偽の情報操作も大敵。策謀情報で他国の政治も操作するハッキング」などへの警鐘も。
イスラエルの最新兵器攻撃に長年苦しみ続けるパレスチナ人、高壁の監獄のようなガザの苦難と、シリア住民抹殺の報告はひどく辛く、震えた。アレッポの民間防衛隊が必死の救助をし、その救助隊も空爆で飛び散る戦乱を国連はなぜ抑えられないのか?
沖縄の大基地と沖縄自己決定権のことを私は思った。国連の原則・国際人権規約「すべての人間は自決の権利を有する」を日本国、米国は何故認めないのか。日本の思いやり予算で贅沢暮しをする米軍、差別されレイプや暴行で苦しむ沖縄県民。沖縄(植民地)苛めを早く止めよ!と思う。沖縄の安全はアジアの平和と重なり、近隣と仲良くするしかないのに。安倍政権は日米軍事同盟強化、軍事対決を主張し、強行採決の連続である。沖縄民意代表のアメリカ及び世界市民への訴え、発信を!
イラン、トルコの激動、カンボジアのポルポト政権自国民200万人虐殺の負を克服する苦労、ベトナムの戦火からの復興=平和コミュニティづくり、ミャンマー、インド、スリランカ、トンガ、エチオピア、チェコ、フランス・・・次つぎ真摯な提言が続いた。<困難に負けず希望を捨てず、互恵の知恵を>「ウィンウイン」がこの会議の前提だった。会場からの自主発言が熱気を増す。~このままでは地球がもたない。環境保全徹底論あり。哲学・宗教の原点の話もあり、「仏教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教も行きつく所は同じ」。
私のメモのほんの一部「平和の実現はイデオロギーではない」「快適安寧に実際に役立つイノベーションを」「和して同化せず」「自国の損得でなく」成功モデルを拡げ平和プラットフォームをつくる。分かち合い、互恵交易の具体化etc.
経済学者鎌倉孝雄「村山首相談話の会」団長が、歴史・過去を正視して負を反省し「日本国憲法前文と九条」を伝えると、どよめきと拍手が起こり、コーヒーブレイクに入るなり鎌倉氏にメディアが殺到した。私は横で耳をすました。外国の識者と取材ジャーナリストたちは日本国憲法前文と九条を平和の哲学として新鮮な感動で受け止めたことが分かった。
日本の一番の宝・平和憲法を捨てようとする安倍政権と日本会議、へつらい提灯が渦巻く今の日本は戦争前夜に似ている。ガナリ屋が威張る。「日本が平和軍縮になったら中国、北朝鮮はシメタと思うヨ。尖閣や竹島なんてすぐ奪う。有人宇宙船で支配する中国に騙されて、平和軍縮なんて馬鹿じゃないか」
日中平和条約と共に「尖閣諸島=魚釣島は両国で共同管理する」と決め、地下資源の管理と将来の開発も共同で、と文書にも残した。それを石原慎太郎知事が東京都所有登記を強弁し、私有3島を野田首相が国有にしたので、中国は約束違反に怒り、反日反撃行動が高まったのだ。元どおり棚上げして冷静に話し合うべきである。
アジアでない米国がアジアに来てトマホークを中国に向け、第七艦隊が砲を向け続けた。耐えてきた中国は南沙に埋め立て基地を造った。これは中国野望の領土拡大とされ、「中国は大領土を持つ国なのになおも領土を増やす強欲軍拡国家だ。だから中国の赤い舌を阻むため日本は日米軍事同盟をさらに強化し、インドやロシアも味方につけて戦うのだ」という。この戦闘戦略は日本国民にとって世界にとって又再びの大悲劇である。
沖縄や東南アジアの方が「アジア新時代」を賢くキャッチしている。
 ☆閉幕式の江田五月ゲストの英語スピーチも良かった。父・農民運動の江田三郎が戦時下の「でっちあげ第二次人民戦線事件」で投獄され、母も苦労した。
出獄後、生きるために中国に働きに行って日本敗戦で引揚者になった体験から、平和の大切さを!
 ☆植樹活動は一人1本、私はモミを植え成長を祈った。地産食材の薬膳料理、特産の葡萄とメロン、森のロッジでの平縮協于洪君副会長との懇談美味昼食、夜の大祝宴(イスラムは禁酒であるが外国人に特別供された)名産ワインの香り、オペラ座でのフィナーレ~多民族の歌舞音曲、サーカス、子どもたちの平和賛歌、少女少年ボランティアの奉仕も忘れがたい。
イスラムの女性・馬茜さん(民族学教師30歳)と朝食で偶然に同席し会議席も並んだ。彼女は愛知大学と大阪民族博物館で学んだということで標準日本語と大阪弁で語った。代々イスラム教徒、寧夏砂漠地帯で生きて来たこと、最近豊かになり自家用車で通勤していることなど。ネット情報で日本国内ニュースや現在の中日関係も知っていた。「私の車でバザールに行きましょう」
ところが日本キャラバン隊は遠いハルビンを訪ねることになり、物産センターで寧夏特産のクコを買い、別れを惜しんで北方へ。

<Ⅱ>北の哈爾浜中心街のホテルに着くなり黒竜江省社会科学院研究者たちとの意見交換会が開かれた。ここで高嶋伸欣琉球大学名誉教授の「731東南アジアひ孫部隊」の秘密施設、ペスト菌開発細菌戦の調査を聞く。地理学者高嶋教授は東南アジア踏査で戦争被害を知って衝撃を受け、被害者たちと長年月の交流を重ねる。「マレー半島戦争を知るツアー」主催は42年間42回を貫徹した。731ひ孫部隊のスライドつき詳細報告に私は強い衝撃を受けた。
 日本軍が中国大陸に大量に遺棄した化学兵器と地雷の女性研究者・高暁燕さんの毒ガス調査も深刻な問題だった。遺棄毒ガスは「日本国が約束を守り、放置せずに早急に処理すべき」なのだ。「残留孤児・婦人」の世話と調査研究を続ける杜インさんは「負の歴史を民間交流の基礎に転じたい」と日本語で。当方の小書『満州・その幻の国ゆえに』と日本での「残留孤児国家賠償訴訟」の闘い、日中共同「満洲国」研究も彼女は知っており、感服!金沢大教員だった王希亮氏は「安倍談話」2015.8月刊の欺瞞と安倍のアジア蔑視を痛烈に批判した。
 ☆夜は黒龍江省外事弁公室招待宴、主催は王英春さんだった驚き!
わッ!お久しぶり! 22歳だった王英春さんと極寒の中ソ国境に向かったのは1987年1月。厳冬の道中次つぎ起こった出来事の一部(黒竜江→ウスリー川に向かう奥地で車のフロントガラスが突然細かく割れて飛び散り、ガラス破片を始末して寒風吹きすさぶなか朝鮮族の郷に避難したことなど)英春さんが話したので私は思い出した。深刻な事態のたびに彼が冗談で笑わせ私は難を切りぬけたことを。彼は『大河流れゆく・アムール史想行』の本の恩人。脳がツキ―ンとする零下45度と人びとの温かさを私は懐かしんだ。いま王英春氏は黒龍江省外事弁公室の中心を担う51歳。光陰矢の如し。
☆2016.9.24哈爾浜市平房「侵華日本軍731部隊罪証陳列館」は三度目。昨年新築された館内の展示進展に驚く。残酷非道に頭を垂れる。細菌戦、生体解剖、凍傷実験等々のためマルタにされた抗日の男女(30余万人の東北抗日連軍は日本軍警の徹底討伐により約1000人になり)、731部隊は市井の少年たちを拉致して生体実験し殺害した。孫部隊を各地に拡大。敗戦でアメリカにデータを渡して石井四郎以下隊員は裁かれず、変名で戦後も利権を得た。その犯罪を克明に調査した展示を見学する小学生、中学生の列に会い、私は日本の(戦争加害を教えられない)次世代が気になった。
事実を正視し認識することで友情が生まれる、その「平和の常道」を弾圧する横暴な政治家や卑劣なヘイトと闘わねばならぬ日本の戦後71年。村山首相談話の会藤田高景理事長の提唱で並んで献花し黙祷。その姿をぐうぜん見た現地の労働者たちが握手を求めた。立ち話で交流し、広島被爆者が贈った幾重もの折鶴を称える女性見学者にも励まされた。
東北烈士記念館・偽満哈爾浜警察庁址(4度目の訪問)の展示も精密になり、哈爾浜駅に新設された「安重根記念館」は写真と「東洋平和論」や「獄中自叙伝」など原本を揃え、壁に「弱肉強食風塵時代」や絶筆「独立」の毛筆も。哈爾浜駅ホームには伊藤博文の位置と安重根が撃った位置にタイルをはめ、「なぜ撃たざるをえなかったか」の説明が表示されている。
☆ハルビン聖ソフィア大聖堂内を見学、松花江河畔のロシア時代からの公園を散策。中央大通りは日本寿司店や西欧ブランド店が混在し、上等服の女性たちや腕をくむ男女が闊歩していた。有名な水餃子は元通りのおいしさだった。
☆特急グリーン車で大連へ。猛スピードで「満洲開拓団」の居た駅をいくつも駆け抜けた。もと畑だった地帯に高層マンションが林立している。  
7泊の短いキャラバン最後の夜は大連一のホテル「富麗華酒店」だった。
平縮恊常務理事リン・リーさんが「ここは土井たか子さんと村山富市先生が泊った宿です」。ご縁の海鮮料理の絶品の味も忘れずに。有事にならぬよう、バトンを無事に次々世代に渡したい、と思った。  (作家 はやし・いく)

<林 郁「満洲」~シベリア関連著書・共著>  
『満州・その幻の国ゆえに』筑摩書房初版1983/7月、ちくま文庫1986/7月
『大河流れゆく~アムール史想行』朝日新聞初版1988/9月、ちくま文庫1993/6月
『中国帰国者の日本~あなたは誰ですか』筑摩書房初版1993/8月
『満洲国とは何だったのか』日中共同研究共著・小学館2008/8月
『太平洋戦争と信州』共著/編集委員・一草舎2005/9月
『近代日本と「満州国」』共著・植民地文化学会/不二出版2014/7月 など

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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