封印された衆知の事実

「南京虐殺」に関わって、否定する政治家の発言が連続しています。 しかしながら、日本が犯した侵略戦争を直視し、人道的立場から、彼らの妄言を批判される人々が多数おられることは、戦後に国民が手にした民主主義憲法を護持する目的からも望ましいものですし、力強いものです。
 さて、忌憚無く云いまして、彼ら妄言の主は、侵略戦争継続中の中国最前線での見聞も無く、最前線で従軍し中国兵のみならず民衆の命を見境無く奪った者からの直接の経験の聴取も無く、ただ、戦後数十年が経過した今日的状況に照らし、新興国として政治・経済に存在感を持った中国への反発からの発言ではないのか、との憶測さえ持たざるを得ません。 
 と云いますのも、この日本では、戦中も戦後も、軍だけでは無く、凡そ、中国侵略に従事した者全体による中国兵と民衆に対する残虐行為が、かの地で行われた事実を銃後の国民も薄々知っていたに相違無いからです。 
 私自身のその事実聴取の経験は、十代のことでした。
 役所に務めておられた高齢者との会話中のことでしたが、話が中国人の性質に及ぶと、彼は、誰に云うとも無く、「中国人は、殺される時に観念するね」と云ったのです。 加えて「銃剣で射す時に観念したからね」と、辺りを憚りながら彼は云い、自身の属した部隊が占領地で俘虜にした中国人を皆殺しにした経験を話しました。 また、亡母によると中国での日本兵による暴虐は、内地へ帰還した兵隊から聞かされていたそうですが、警察と憲兵が怖くて、一切口外しなかったそうです。 亡父が従軍経験を話した折に、そうした暴虐を彼が犯したか否かを厳しく問い質したことがありますので、亡母はかなりの事実を従軍経験者から聴取していたのでしょうが、一切を語らずに亡くなりました。 
 「南京虐殺」否定は、戦後ドイツでの自己批判を想起させます。 ドイツ人が、鉄条網の向こう側で、縞模様の囚人服を着せられたユダヤ人の運命がどうなるのかを知らなかった筈は無いのだと。