(2022年10月29日)
東京都総務局に人権部がある。結構なことだ。この人権部が、東京都人権プラザという施設を開設している。運営主体は公益財団法人東京都人権啓発センター。常勤役員1人、常勤職員数18人(うち都派遣7人)という構成。
このセンターのホームページを開くと、立派な理事長挨拶が飛び込んでくる。
「21世紀は、「人権の世紀」といわれています。1948年の国連総会において「すべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と謳われた「世界人権宣言」が採択されて以来、わが国も、人権が尊重される社会の実現を目指して、さまざまな取組を行ってきました。
一方、私たちが暮らす社会を見渡すと、残念ながら、今なお様々な人権侵害が生じています。…差別やいじめ、インターネットを介した匿名型の誹謗中傷など、これまで経験したことのない新たな問題も生じており、差別や偏見を解消する取組が、ますます重要になってきています。…「人権尊重都市・東京」の実現が喫緊、かつ、重要な課題となっています。
弊財団は、東京都の公益法人として、「個人の尊重」と「法の下の平等」の保障という観点に立脚し、人権に関する様々な課題を看過することなくしっかりと見据え、差別や偏見のない明るい社会の実現に向けて、役職員一丸となって取り組んで参ります。」
この立派な理念にもとずく東京都の人権行政が、いま大きな批判を浴びている。「歴史修正主義・レイシズム・検閲」と並べたてられた批判。市民からのこんな怒りのメールが目に痛い。
「よりによって都の人権部が検閲を行ない、朝鮮人虐殺の隠蔽に加担するなんて言語道断です。「人権」を理解しない「人権部」って何ですか? 関係者は処分されるべきです」
各紙がこう報じている。
「朝鮮人虐殺に触れた映像作品の上映、都が不許可に 関係者『検閲だ』」(毎日)
「朝鮮人虐殺言及映像、都職員『懸念』メール 都『稚拙だった』と釈明」(朝日)
「東京都が朝鮮人虐殺題材の映像作品を上映禁止…作者『検閲だ』と批判 都職員が小池知事に忖度?」(東京新聞)
東京都設置の「東京都人権プラザ」での事件である。開催中の企画展で、関東大震災で起きた朝鮮人虐殺に触れた映像作品の上映が不許可とされた。この作品を作った美術家の飯山由貴が昨日(10月28日)記者会見を開いて明らかにし、「都による検閲が行われた。悪質で重大な問題だ」と批判した。
この企画展は「あなたの本当の家を探しにいく」というタイトルで、8月末~11月末の予定で開催。上映中止となった映像は2021年の制作の「In-Mates」という表題。26分程度のフィルム。1930〜40年に都内の精神科病院に入院していた朝鮮人2人の診療記録を基に、ラッパーで詩人の在日韓国人FUNIさんが当時の彼らと今の在日韓国人が抱える葛藤や苦難を表現。在日朝鮮人の歴史を専門とする外村大・東京大教授から「日本人が朝鮮人を殺したのは事実」と説明を受ける場面があるという。
都内で会見した飯山さんによると、11月末までの会期中に映像の上映とトークイベントを計画。だが6月、都人権部からプラザを運営する都人権啓発センターに、上映とイベントを禁じる通知があった。
人権プラザの運営は、都人権部からの指導で行われているが、飯山さんは、入手した人権部からセンターに送られた内部メールの内容を記者会見で公表した。当該メールは、《関東大震災の朝鮮人犠牲者への追悼式典に、小池百合子都知事が毎年追悼文を送っていないことを挙げ、「都知事がこうした立場をとっているにもかかわらず、朝鮮人虐殺を『事実』と発言する動画を使用することに懸念がある」と指摘していた》という。都は、このメールの存在と内容の真実性は認めている。
飯山さんは「在日コリアンへの差別に基づく検閲があったと思う。判断には小池都知事の姿勢が大きく影響しているのでは」と語った。今後、こうした事態が繰り返されないように署名活動を行い、知事宛てに要望書を提出するという。
都人権部の担当者はこのメールの存在と内容を事実と認めたうえで、「取りやめの理由は『障害者と人権』という企画の趣旨から外れているため。企画展はセンターが主催しており、スペースを貸し出して表現者が自由に表現する場ではない」と説明した。
さて、問題は元兇小池百合子の姿勢である。「28日の定例記者会見で、この問題について問われ、『(企画展は)精神障害者の人権がテーマだった。その趣旨に合わないということで(都人権部が)上映しない判断に至ったと聞いている』と説明した。」と報じられている。が、これはおかしい。メチャメチャにおかしい。
なによりも、他人事のごとき語り口がおかしい。「と聞いている」ではなく、自分の判断を語らねばならない。本来であれば、「あたかも、担当者が知事の意向を忖度して上映不許可の判断に至ったごとくに誤解を与えたことをお詫びします。全ての人の人権尊重の立場から、上映になんの問題もありません」と言えば、私も少しは見直したのに。
小池発言の内容もおかしい。「精神障害者の人権がテーマだったから、この映像はふさわしくない」と言うのはおかしい。どの精神障害者も、その属性・その環境にそれぞれの固有の問題を抱えている。女性の精神障害者には、女性特有の精神的な悩みがある。女性の社会的地位の問題を捨象しての「精神障害者の人権」を語ることはできない。労働者の精神障害罹患者には特有の労働環境問題がある。労働環境を捨象しては「精神障害者の人権」を論じがたい。当たり前のことだ。本件の映像は、「戦前の精神科病院に入院していた朝鮮人患者の境遇や苦しみを描き、関東大震災時の朝鮮人の虐殺にも触れた」ものである。「精神障害者の人権」を語るために、これ以上ないテーマではないか。
上映不許可は、小池に深く根差している、歴史修正主義とレイシズム、そして表現の自由に対する尊重の姿勢の欠如がもたらしたものと考えざるを得ない。
歴史修正主義とは、日本の広範な民衆が恥ずべき残虐行為を繰り広げた歴史的事実を認めたくないということである。関東大震災直後に、軍や在郷軍人や警察の煽動に乗せられて、自警団を組織した普通の日本人が、多数の朝鮮人や中国人を残酷になぶり殺したのが史実である。他の右翼と同様、小池もこの史実を認めたくないのだ。
その歴史修正主義の根底には、いわれなき他民族に対する差別意識と、何の根拠もない自民族についての優越意識がある。このレイシズムが、関東大震災後の朝鮮人虐殺犠牲者に対する追悼式への追悼文拒否となっている。知事の追悼文は、1974年の第1回追悼式以来の慣例となっていた。あの極右政治家・石原慎太郎ですら、毎回の追悼文を欠かさなかったのだ。それを、取りやめたのが小池百合子である。
もう一点、小池は、「関東大震災後の朝鮮人虐殺の認識については「東京で起こった大きな災害と、それに続くさまざまな事情で不幸にも亡くなられた方の例がある。全ての方々に対して哀悼の意を表するということで私自身は対応してきた」と述べている。これもおかしい。
自然災害の犠牲者と虐殺による犠牲者とを意図的に同列に置くことで、虐殺の史実を目立たぬようにし、何とか忘れさせよう、歴史から葬ろうというのが、小池の魂胆なのだ。これを受け容れてはならない、だまされてはならない。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.10.29より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=20205
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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