昨今、当ちきゅう座での言説が荒れて来ているようです。
他人の論稿を良く読まずに、自身の論旨に違うと見定めた相手に異議申し立てをされる方々がおられるようで、聊か腹立たしく、これ等の言説を無視することに定めた私も御相手をしなければならなくなります。
箒川兵庫助氏の御主張にある処の、拙稿を「批判」される言説もその一例かと思われ、此処に指摘をさせて頂きます。 他人の言説を批判される場合には、良く御読み頂く必要がある筈ですが、それをされておられないようです。
最初に、拙稿には、「当選時には、世界的に報道されましたので、エジプトの大学関係者も承知されていたことでしょう。」とあり、続けて「一例では、英国BBCの報道にも、カイロ大学卒とありますし、」とある処から、世界的に報道された当選時の記事に依り、カイロ大学卒とある処から、事実で無ければ、この国以外から、就中、当該国のエジプト、それもカイロ大学関係者よりの発言もある筈、との趣旨が言外に存することを御読み取り頂け無いものでしょうか。 BBCの報道なので、闇雲に信じる等、と誰が言っているのでしょうか。
即ち、卒業された事実が無ければ、拙稿で引用しました時事通信の記事が誤報、乃至、虚偽と云うことになりますので、当該時事通信の記事が今では、同社のサイトでは削除されてしまったものの、同社に問い合わせれば事実が判明する筈ですので、問い合わせされれば済むのです。 それは、小池氏の学歴が虚偽、と主張される方々がされれば良いのです。
因みに、拙稿では、合理的推理について「でしょう」との表現を用いましたが、当該合理的推理に異論が存すれば、その合理性を破る合理的事由を明らかにされる必要が存する「でしょう」。 箒川兵庫助氏が何方を信じられるのかは当方には関わりがありません。 私は、ただ、事実に基づく挙証か、合理的推理か、何方であるかの区別をしているのみです。
私自身は、小池氏の学歴が虚偽であっても無くても、何等の関わりはありません。 何方であっても主張される事実に関わる例証を挙げる必要がある、と云う当然の摂理を述べたまでです。 同居されていた第三者の方の発言のみでは、卒業されていない、と云う事実を証明出来ない、と思われるからです。 勿論、そう思われるのであればそう思えば良いのです。 他人の勝手ですから。 ただ、それだけでは、公職選挙法違反の事実を証することにはなりません。
当該事実とは、エジプト大学では無くて、カイロ大学卒業の事実です。 存在しない大学を挙げて卒業の事実が無い、と主張されても如何なものでしょうか。 拙稿では、卒業していない、との主張に係る事実の挙証が存在しない、と言っている訳です。 卒業していない、と第三者がいくら主張しても関係ありません。 カイロ大学での事実調査が必要なのです。
何度も同じ疑惑を断片的な事実を挙げて責める真似をせずに、カイロ大学で調査されると良いのです。 誰でもそう思う筈です。 こんな問題は、信じる、信じない、の問題では無いのです。
現在、議席を有する方々でも、過去には、UCLAでの学歴に係る疑惑を当該大学で調査された処があり事実が暴露されたことがありますが、何故、そうしないのかが分かりません。
そうしないのには、何かがあると思っても不自然なことでは無い「でしょう」。