小説『つみびと』(山田詠美、中公文庫、2021.9)を読む  ―「大阪2児置き去り死事件」をモデルに

 コロナの第5波が終息か?・・・と多くの人にとりあえずの安堵をもたらしていた9月末、大阪府摂津市で新村桜利斗(おりと)ちゃん(3歳男児)が全身やけどを負って死亡したというニュースが飛び込んで来た。母親の交際相手の男性が、高温の湯を浴びせ続けたためだという。もっとも、死亡したのは8月末だったそうだ。
 これまでにも、2018年に千葉県野田市での栗原心愛(みあ)さん(小4)、東京都内の船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5歳)、また2019年には、札幌市での池田詩梨(ことり)ちゃん(当時2歳)の衰弱死(体重6.7キロ)など、痛ましい事例が続いてきた。
 現在、このような児童虐待のケースに対応するのは、児童相談所である。
 児童相談所が対応した「児童虐待」の件数は、調査の始まった1990年には、1,101件、それからの30年間、その数値は増大し続けており、児童虐待防止法が制定された2000年は1万7,725件、2010年には5万件を超え、2018年15万9,850件、そして2020年度は過去最多の20万5,029件だという。
 虐待によって死亡した子どもの数は、2010、2011年には100人を数えているが、その後は70人、80人、60人と前後し、2020年度は再び80人となっている。
 各家庭の経済状況や子育て状況が、これまで以上に厳しくなっているためか、また、家庭をめぐる人間関係がますます孤立化しているためか、この児童相談所の扱う児童虐待の件数の増加は、本当に胸が痛い。
 ただ、この児童虐待件数の驚くばかりの増加傾向は、一つには、児童福祉法の第25条に「要保護児童を発見した者は、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所・・・に通告しなければならない」という規定の影響も無視できないのかもしれない。
 「要保護児童」とは「虐待を受けている」と思われる子どものことである。そのような子どもや家庭を見つけたら、まずは「どうした、どうした」と事情を聴き、困ったことがあれば助言をし、親(とりわけ母親)に、「しばらく気晴らしでも・・・」と勧めたり・・・そんな近隣の光景は、もはや牧歌的すぎるのだろうか。
 今では「通告」の義務が課せられているのだ。子どもを虐待するような親は、まさしく「親失格!」、だから、子どもはいち早くそんな親から引き離されなければならない・・・
そういう「社会の眼差し」が、この「通告の義務」に貫かれているのかもしれない。
 ただ、今回、山田詠美の『つみびと』では、その近隣の、あるいは「保育所」からの「通告」さえ絶無だったのである。

山田詠美『つみびと』を読む
 山田詠美氏は、1959年生まれ、『ベッドタイムアイズ』(文芸賞受賞、芥川賞候補)
で注目を浴び、知る人ぞ知る小説家である。
 今回の『つみびと』は、2010年7月末、大阪市内のワンルームマンションで、当時3歳女児と1歳9カ月の男児が餓死しているのが発見された、いわゆる「大阪2児置き去り死事件」をモデルにした小説である。当時23歳の若い母親は、求刑「無期懲役」、確定は「懲役30年」で、現在服役中である。
 山田詠美氏は、この小説の執筆動機を次のように語っている。
― 事件から懲役30年の判決が確定するまで、2年半ほどあったのですが、テレビのコメンテーターとかの言うことが、勧善懲悪に満ちていて、人生の岐路に立ったとき、こっち側なら大丈夫だったのに、あっち側に一歩行ったがゆえに破滅に向かう―そんな誰にでも起こり得る過ちがこの人たちには全然理解できないんだな、と。「これは私が書くしかない」と思っちゃったんです(本文庫版、p.413‐414)。

 本書のように、実在の人物や事件をモデルにして小説化することは珍しくはない。しかし一旦小説化されたものに、後から「分析」や「解説」を施すのはどうも馴染まない気がする。「小説」とは、丸ごと全体を鑑賞することが基本だと思うからである。だが、この虐待のケースが、社会のさまざまな問題を共有していること、だからこそ、この虐待のケースから、現代社会が抱えているどのような問題が見えて来るのか・・・あえて「小説」を分解しながら読んでみよう。

「虐待」は世代間連鎖する
 上記の「小見出し」のような「認識」は、必ずしも的外れではないと思う。「貧困は犯罪を生む」という言われ方同様、確率からすれば、かなりの妥当性はあるのだとは思う。しかし、この妥当性とて「絶対」ではない。その「連鎖」の中に産み落とされ、その渦中で生育する人間にとっては、あまりの理不尽、あまりの不幸!と感じられるであろうが、100%の真実ではないこと、その連鎖から、必ず「抜け出す」ことのできる人間がいるということ、もちろん、そのためには、周りの人間の手助けや、社会の政策の援助が当然必要ではあるが・・・
 この『つみびと』でも、若い母親Hの母親Kのことも、同じように細かく描かれている。親からの家庭内暴力、さらには継父からの日常的な性的暴行、最終的な子どもを置いての離婚なども描かれている。
 ただ、Hの母親Kの兄は、この連鎖・連環から1人抜け出している。これについては、最後の著者との対談を行っている春日武彦氏(精神科医・作家)の次のような発言に注目したい。
― 病理性のある家族だと、大概の場合、真っ当な人間から、進学や就職、結婚にかこつけて、その家から逃げるんです。けれども、病理性を持っていたりパワーがなかったりすると、逃げ損ねてしまう。選択肢っていうのは、目の前にあっても気がつかない人は気がつかないから(p.424)。
 当事者である若い母親Hは、いったい、どこで、どのような選択肢を掴み損ねたのだろうか。

中高時代の男女関係―見下され、軽蔑し返し

 いわゆる学校で強いられる「勉強」からは疾うに身をかわし、さりとて「不登校」になるわけでもない男女たちは、往々にしてたむろし、性的にも「適当に」付き合い続けることも多いのだろう。
― 男なんて性欲からしか始めない種族ではないか、と見くびっていたのだ(p.42)。
― H(ここでの当事者、若い母親)は、・・・自分が見下されて来た以上に男たちを軽んじて来た(p.48)。
― 軽蔑することを覚えて、私(H)は学んだ。この方法は自分を落ち着かせるには良い方法である、と。・・・(ただ)私はまだ知らなかった。軽蔑という方法で、さまざまな困難をクリアして行く時、自分もまた誰かしらにその方法を使われる身になるということを(p.65)。

高校時代の妊娠中絶経験
― Hは、高校時代に二度妊娠中絶を経験していたが、どちらの時も子供を宿した実感はなかった。一度目は何人かの男たちにまわされ、犯された末の不運だったし、二度目は自分に欲情して来る男との暇つぶしの結果だった。出来ちゃったのは、アンラッキー。その共通の認識を持つ仲間たちが中絶費用を出してくれた。誰もが、明日は我身と知っていたのだ(p.166)。

これまでとは違う男との出会い―「恋愛」「結婚」「出産」

 Hは、同じ店で働くアルバイト学生と出会い、言葉を掛けあい、そして「恋」をした。
― 小雨が降り始めていた。春の雨が相手の唇をしっとりと湿らせて行くのを感じながらHはひどく驚いていた。男が、こんなにも静かに女を抱擁するのを、彼女は知らなかった(p.41)。
― Hは、妊娠した際に自分の内に宿るものをあやまちの種ではなく、ひとつの生命であると遅ればせながら認識したのだった(p.212)。

「子育て」は自分の時間を奪う労働―弟や妹の世話とは違う

 Hは、これまでの男たちとは違う、東京の大学に通う男性と出会い、「性」の優しさを知らされ、命を孕み産むことの幸せも経験した。しかし、20歳そこそこの若さ。身近に育児をしている大人たちや、小さな乳飲み子を見ていた訳ではない。Hの母方の叔母が、「産むってことと育てるってことは違うのよ。産めるってことと育てられるってこともね」と言っていた言葉の意味が分かるには、Hはあまりにも幼すぎたのであろう。
― Hはすぐに、子供というものが実に手の掛かる生き物であることを思い知らされた。可愛くてたまらない自分の分身、と何の屈託もなく思い込むためには周囲の助けがいるものだ。M(第一子)を育てながら、彼女は感じ入った(p.249‐250)。
 そして、Hは、やがてこんな思いを呟くようになっていく。
― ああ、どうして子供って、楽しいことや可愛いものなんかだけで育ってくれないのだろう。食べるのがおやつだけだったら、こちらはどれほど楽だろうか。子供だって、その方が幸せなのに。キャンディとチョコレートだけで生きていれば、今よりもっと愛してやれるのに。おまえら、愛されたくないのかよ(p.129)。
 H自身、小学校低学年の頃に、母親に出て行かれ、幼い弟、妹の世話を一手に引き受けさせられている。しかし、3~5歳の子どもの世話と、0~2歳の子どもの世話はやはり違う。子ども自身が自分でやれることの範囲が決定的に違っている。
 さらに、H自身、この幼い時代の経験によって、「他の人に手助けしてもらう」ことを自ら封じてしまったようなのだ。
― 母のKが姿を消してから、Hは誰かにすがるという行為を自分に禁じたのだった。あらかじめ頼ろうとしなければ、断られて傷付くこともない。呪文を唱えて必死になった。がんばるもん、私、がんばるもん(p.345)。

「家族会議」(夫、夫の母と父、H、Hの父)のあとの離婚

 思っていたのとはまるで違う、大変な子育て。また、意外なほど「マザコン」の夫。「全くウマの合わない」夫の母(姑)。こうして瞬く間に、「母親失格」の烙印が押され、離婚のための「家族会議」が開かれる。
― もちろん最初は、誰も母親失格の烙印を押されたHに子供たちをまかせる気などなかった。H以外の誰かが面倒を見て行く筈だ、と家族会議にいた全員が思った筈だ。しかし、結局、手を差し延べる者はいなかったのだ、夫のOさえも(p.343)。
 そして、夫の母親(姑)は最後にこんな言葉を吐いている。
― うちの孫でもあるんだから、そりゃ、心は痛むのよ。でもね、あのHちゃんの血を引いていると思うとねえ・・・それって、あの子のお母さんから続いている血ってことでしょ?うちで引き取る訳には行かないよねえ」(p.344)。

夜の世界の男と女の仕組み

― 若い女が手っ取り早くキャッシュを手にするのなら水商売か風俗に限る、というのは常識だ(p.127)。
 子ども二人を抱えて離婚したHは、児童手当も児童扶養手当も知りようもなく、アドバイスする人もいなかったのだろう。そして、寮(ワンルーム)付の風俗店に勤め始めて、子どもたちを近くの「夜間保育所」にも預けたという。しかし、勤めと保育所との時間の突き合わせが上手く行かなかったのか、保育所との相性が悪かったのか、まもなくその保育所への通所を止めている。風俗店には、「子どもが来ていない・・・」という連絡は入っていたというのだが、保育所もそれ以上の働きかけはしていない。
― 男と寝ることが笑いを運んで来るなんて素晴らしいじゃないか。いつだって、そうありたいじゃないか。男と寝る時に欲しいのは多幸感だ。Hは心からそれを望んでいた。だからこそ、仕事でも本当は微笑んでいたいと思ったのだ。でも、出来ない。しょぼい額のお金と引き換えにする男への奉仕には、気持ちを明るくする要素が何もない。暗くなるばかりだ(p.387)。
― 「そんなに男と笑い合いたいのなら、笑いの買える場所に行こうよ。たまにはパーッと」(p.388)
― 男の客たちは、私たちに、口や手を使わせて精液を撒き散らす。そして私たちはホストクラブで優しかったり、親密故にぞんざいだったりする言葉を使われて、自尊心のオーガズムを与えられる。それが、夜の世界の男と女の仕組なんだ、とHは思う。売ったら、買わなきゃ。それだけがフェイクなすべてにある、リアル。(p.389)

あるひとりの男の言葉、「まだ、いいじゃん」

 おそらく、その夜も、子どもたちの居る部屋に帰らなくてはならないギリギリの時間だったかもしれない。帰ろう!と気持ちは早やっていたかもしれない。お酒が入っていただろうか。疲れが溜まっていたのだろうか。その時、男が、まだ名残惜しそうに「まだ、いいじゃん」と呟いた。Hも、「そうだね、もう少し・・・」と帰ろうとする気持ちを中断したら、そのまま力が抜けてしまったのかも・・・。
 それから2カ月近く。Hは誰よりも早く、わが子二人の「死」を確信していたはずだ。しばらくして、「Hの部屋から異臭がする」というマンションの管理人からの苦情がHに伝えられ、Hは子どもたちの居る部屋の前まで行きながら、それ以上の「異臭」が漏れるのを防ぐために、ガムテープで目張りをして走り逃げた・・・(中に入る勇気はさすがになかっただろう。)

 Hが、次第に投げやりになって、子どもたちの所に帰るのが間遠になり始めた頃、上の子は、部屋の中にあるインターホンを必死で外し、それに口を当てて、「ママー、ママー」と呼んでいたという。マンションの住人がその声や泣き声なども耳にしていたという。子どもたちは、その年でできる限りのSOSを発していたのだ。それに、応える人が誰も居なかったとは・・・。「通告」の一つでもあれば・・・やはり、痛ましすぎる一件である。