石原慎太郎・東京都知事が、都が尖閣諸島を民間の地権者から買い取るといい出したことによって、日中対立の新しい火種が生まれようとしている。両国の対立を煽ろうという都知事の愚行を防ぐには、国有化した上で平和的に実効支配を続けるしかないであろう。
日本政府は「尖閣諸島は日本の固有の領土であり、同諸島をめぐる領土問題は存在しない」と主張している。政府は1895年、尖閣諸島が無人島であり、いかなる国家も実効支配していないことを確認した後、日本領土であることを閣議決定し、沖縄県石垣市に編入した。それ以来、1970年まで、同諸島の領有権を主張する国はなく、紛争は起きなかった。
情勢が変わったのは71年以降である。69年に実施された国連などの調査で、膨大な量の石油、天然ガスなどの資源が同諸島周辺の海底に埋蔵されている可能性が明らかになった後、台湾政府と中国政府が領土権を主張し始めた。しかし、両政府と日本政府の冷静な外交態度によって、領土紛争が火を噴くことはなかった。
72年、日中国交正常化交渉で、田中角栄首相と会談した周恩来首相は「小異を残して大同につく」と述べた。78年、日中平和友好条約をめぐる交渉の際、鄧小平副首相は「われわれの世代に解決の知恵のない問題は次世代で」と発言した。いずれも尖閣諸島を含む領土問題を「棚上げ」して、両国の友好を優先する態度を表明したのである。
2度にわたって領土問題を表面化させなかったのは中国側のリーダー二人と、二人の見解を受け入れた日本側の田中首相と福田赳夫首相の叡智である。
90年代後半から尖閣諸島への領海侵犯が頻発したのは、中国、台湾と香港におけるナショナリズムの台頭に加えて、人民解放軍の太平洋への進出の意図が原因とみられる。これに対抗して、日本国内でも反中ナショナリズムが強まった。東京都による尖閣諸島購入の動きもこの流れに沿った行動である。
尖閣諸島を日中間の領土問題の「係争地」としてしまったのは、2010年9月に発生した中国漁船による海上保安庁巡視船に対する衝突事件における、菅直人内閣の拙劣な問題処理であった。2004年3月、中国活動家7人の魚釣島上陸事件が起きた時、小泉純一郎内閣が7人を直ちに国外退去処分にして、尖閣問題の「棚上げ」状態を維持したのに対して、菅内閣は漁船船長を長期間拘留して、外交問題に発展させてしまった。
それにしても、石原知事の行動は常軌を逸脱している。「民主党政権の尖閣問題への態度は弱腰過ぎる」という批判は一応、認めるとしても、外交権のない地方自治体が尖閣諸島を購入して、対中強硬策を講ずることは理屈が通らない。無責任でもある。
国有化は中国のナショナリズムを刺激するので、必ずしも望ましくないが、東京都が購入を断念しない状況の下では、国有化をした上で、東京都による購入より両国の利益に合致することを中国側に丁寧に説明するのが最善の方法であろう。中国側は国内のナショナリズムに応える形で領海侵犯などを繰り返すかもしれないが、日本政府は大きな動きは避けて、事態鎮静化のための時間を稼ぐことが賢明だ。
また、尖閣諸島が係争地になってしまった今日、これまでのように「日本の固有の領土」という主張を繰り返し、問題の棚上げを図るだけでは解決策は見いだせない。実効支配を確実に継続する一方で、日本の主張の論拠を再構築し、「14世紀には尖閣諸島周辺まで軍事的影響力を及ぼしていた」という中国の主張を崩す方策を立てる必要がある。
交渉に当たって重要なのは、「日本は地政学的にも中国との友好関係なしには生きていけない」という認識と領土を守る決意、さらに冷静さである (7月13日記す)
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