著者の山本武利は、軍事機密情報(防諜)の研究者で、『陸軍中野学校』(筑摩選書)など、多数の著書がある。『日本兵捕虜は何をしゃべったか』(文春新書)では、高級将校から兵士までの各レベルの軍事情報の漏洩事例を紹介し、日本軍の軍事情報管理がアメリカ軍に比べ、いかに杜撰なものであったかを論じている。
戦後占領下、GHQの下で、放送・出版・新聞などのメディアおよび郵便物の検閲を担当したのが民間検閲局(CCD:Civil Censorship Detachment)であり、マッカーサー将軍の情報参謀であったC.ウィロビーが指揮を執っていた。CCDは1949年10月末をもって解体されるが、メディア検閲で集められた書籍・雑誌・新聞などの資料は、一括してメリーランド大学に収用された。図書館の地下倉庫に死蔵されていたが、77年にようやく予算が付き、日本人スタッフとアメリカ人研究者によって書籍と雑誌は一定の整理が行われた。文芸評論家の江藤淳が79-80年に現地でこれらの資料にあたり、その成果を『閉された言語空間-占領軍の検閲と戦後日本』(以下、『言語空間』)として89年に出版している。
また資料整理には日本の国立国会図書館の職員も協力し、日本国内でも資料収集が進められ、国会図書館に関連コレクションが存在する。著者は2013年に国会図書館でCCDに勤務した日本人検閲官、2年分の完全な名簿、約14,000人分を発見している(著者は4年間で2万人台と推計している)。検閲に関わった大部分の人々は、占領軍に協力した過去を秘匿して生きたが、一部の関係者が人生の晩年期に入って、手記などの形で自らの経験を発表したり、研究者の取材に応じて証言したりするようになった。本書はそれらの資料や証言などに基づいた、CCDの郵便物の検閲に焦点を当てた研究成果である。戦後70年余を経て初めて明らかにされた貴重な研究である。
CCDの検閲体制
CCDは、約4年間の活動期間中に2億通の郵便、1.36億通の電報、80万回の電話を検閲(盗聴)したという。検閲の対象となった郵便物は、戦犯容疑者や政治家など、ブラックリストに載せられた人物宛の他、一般国民が投函したものから2%程度が抽出されたという。後者については、占領政策についての世論の反応を読み取るためだった。
検閲の実務にあたったのは、大部分が日本で高等教育ないしそれに準ずる教育を受けた人たちであった。外国語学校の学生はもちろん東大や慶応あるいは早稲田の学生が多く、女子の比率も3分1程度と高く、とくに津田塾の学生が目立った。なかには60代の元大学教授のような人々も加わっていた。給与は高かった。46年の翻訳職は月額700円、公務員の初任給が300円であった。彼らには知識人としてのプライドもあったから、生活難の時代とはいえ、同胞の私信を検閲するという仕事に、多かれ少なかれ疚しさや罪悪感に悩みながら働いた。
郵便物の検閲作業は、現場の検閲官がキーワードを参考に、問題となりそうな文面の該当部分を英訳して監督官に提出し、監督官が上司に伝えるか否かを判断する仕組みになっていた。問題視された郵便物については、一通ごとにコメント・シートと呼ばれる用紙に内容がまとめられたが、その総数は45万枚に達したという。
意外なことに検閲官名簿に木下順二の名前があがっている。名簿はローマ字書きだから、別人の可能性も否定できないが、著者はさまざまな状況証拠を積み上げて、進歩的文化人として代表的な劇作家であった木下順二その人であるとの結論に達している。木下は東京帝大の英文科で中野好夫の教えを受けている。CCDの英語能力テストでは高得点をとり、監督官の地位にあった。当時の木下は劇団を結成するなど、多くの課題を抱えていた時期であったが、経済的問題が生じなかったのは、彼がCCDから高給を得ていたからではないかとしている。のちに作家となる吉村昭も応募しているが、英会話力が低くて不採用となっている。
組織としては全国8都市に施設が置かれ、東京中央郵便局(現・JPタワー)に本部が置かれた。各部門のトップは白人があたり、現場の監督官レベルには多くの日系二世がつき、前線で検閲作業に当たるのは日本人だったという。当初は日系二世を大量に動員し、忠誠心などに不安のある日本人スタッフに頼る考えはなかったようだ。しかし、江藤によれば候補として集められた3,700人の二世のうち、検閲作業に耐えられる日本語能力をもっていると判断されたのはわずか3%、一定の訓練によって仕事が可能になると見込まれるものを含めても10%程度だったとされる。結果的に大量の日本人が採用された。
国を売った高級将校たち
本書の最期の部分で著者は、占領軍への積極的な情報提供によって自己保身に走った日本軍の高級将校を「売国奴以外の何者でもなかった」という厳しい言葉で断罪している。彼らが提供した情報は、CCDのブラックリスト作成にも利用されたから多少の関係があった。不本意ながらも占領軍に協力したことを一生の心の傷として生きた2万人ほどの日本人と比べ、国土を灰燼に帰した責任を取るどころか、占領軍に取り入って旧軍の同僚を裏切り、さらには社会的地位まで確保した人物たちがいたのである。著者は一部の軍人しか取り上げていないが、当時、巣鴨刑務所のなかで米ソ対立のゆくえを注視しながら、「この対立が深まれば自分にも浮かぶ瀬がある」(獄中日記)と、自分をアメリカに高く売り込む算段をしていた岸信介もそのような人物たちの1人であったといえよう。
江藤淳について
江藤淳について著者はいささか冷ややかである。江藤は『言語空間』のなかで、直接の名指しこそ避けているが、長洲一二(元・神奈川県知事)らをCCDの検閲官だったとしている。しかし著者は、それが明らかな事実誤認であることを指摘している。江藤は当事者ないし周囲の人から、その間違いを指摘されたはずだが、改版や文庫本化の際にも訂正していない。著者は江藤の不誠実さを暗に批判しているようだ。
あらためて手に取った『言語空間』は奇妙な本である。詳細な脚注など、一見すると学術論文風であり、たしかに一次資料によって初めて明らかにされたCCDの実態が提示されている。しかしその一方で検閲指針などを紹介しつつ、自らの政治的見解を開陳するなど、政治批評の色合いを強く帯びているのである。例えば江藤はCCDが削除ないし禁止対象とした項目をあげ、「古来日本人の心にはぐくまれて来た伝統的な価値の体系の、徹底的な組み替えであることはいうまでもない」とするのだが、「極東軍事裁判批判」など占領軍として当然の政治的な項目の他にあげられているは、「神国日本の宣伝」、「軍国主義の宣伝」、「ナショナリズムの宣伝」、「大東亜共栄圏の宣伝」などである。これらのどこが「古来日本人の心」に根差すものなのか。
江藤の研究の動機と結論は、GHQによる検閲によって、戦後日本のメディアの言論が歪められ、その歪みゆえに日本人が自由にものを考えられない状態が続いている、というものである。しかし、いまだ日本人は言語空間どころか物理的な空間さえ、アメリカ軍に脅かされ続けているのである。アメリカ軍に対して日本の歴代政権は、日本の空域でのほぼ完全な自由飛行を認め、軍用機が保育園の敷地に部品を落下させても、抗議ひとつ満足にできない。この事故に際し、「アメリカに反感をもつ勢力の自作自演ではないか」など、保育園に対する無責任な攻撃が数多くなされたという。同様の事件は繰り返されている。これもGHQの「隠微で苛烈な検閲」(『言語空間』の「あとがき」)によって日本人の思考が歪められた後遺症によるものなのか。江藤は病死した妻を追って99年に自死している。生きていたら、今の日本の政治・社会状況に対して、どのようなコメントをするか聞いてみたかった。
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