一週間前に引いた風邪が治らない。頭がボーっとして、上手く回らない。そんな体調の中、メールをチェックする。宇波先生の遺稿集の編集者である書肆子午線の春日さんからメールがきていた。「先ほど、岡本勝人さんの奥様よりお電話をいただき、11月5日に岡本さんが急性心不全のためご逝去されたとのことです」という文面が目に飛び込んできたが、その文面の内容をすぐに理解することができなかった。
春日さんの文には岡本さんが亡くなったことが確かに書かれている。だが、私は岡本さんと死というものが結びつかずに、しばらく頭の中が空白になっていた。亡くなられたのは5日の朝だったそうだが、私は前日に岡本さんからメールをいただいており、さらに、一週間ちょっと前、新宿でお会いし、杯を酌み交わしながら、私が書いた岡本さんの著作である『岡本勝人書評集成 ポエジーを求めて』に対するテクストクリティックの話をしたばかりだった。それに、岡本さんは宇波先生が設立した社会批評研究会のメンバーでもあり、9月13日には小林秀雄についてご発表していただいていた。大きく研究会場全体に響き渡る声で、小林秀雄論を語られていた姿は今も鮮明に思い出すことができる。
詩と書評、淑徳大学での事務員としての仕事を終えられた後、岡本さんの文芸活動は在職中以上にこの二つに傾けられていた。新宿で、大好きだった日本酒を飲みながら、岡本さんは私がテクストクリティックの中で指摘したカイロホドスという問題に対して、「詩というものの可能性としてホドスという問題をこれからじっくりと考えてみようと思っている」と述べられていた。
ホドスはトポスとは異なり、主体の安息できる確固とした場ではなく、ある安息の地と他の安息の地とを結ぶ、移動すべき道としての場である。岡本さんは前作『海への巡礼 文学が生まれる場所』の中で、旅や巡礼について書かれていたが、動態としての詩的行為をどう捉えていくかという問題をさらに深めて、詩人として探究されていこうとするまさにその時に、運命は岡本さんの切望を奪ったのだ。
岡本さんがもうこの世界にはいないということが、私は今も信じることができない。「ちょっと、一杯やって行く?」という大きな声が私の後ろから聞こえてくるような気がする。振り向けば、岡本さんがそこにいて、メガネの向こうに、いつものあの優しい目がある。そんな気がする。
岡本さん、ポエジーとは何でしょうか。私には詩とは何かが未だにまったく判りません。「そんなのずっと考えても判らないよ。先ずは一杯やろう」という岡本さん声が青空の向こうから聞こえてきた。
初出:宇波彰現代哲学研究所のブログから許可を得て転載
https://uicp.blog.fc2.com/blog-entry-406.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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