岩波ホール、さようなら~「メイド・イン・バングラデシュ」を見る

 東京に出たついでに、思い切って、岩波ホールに寄ってみた。上映時間もちょうどいいので、予備知識もなく飛び込んだ。 整理券に従って入館したが、観客は30人程度か。7月には閉館と聞けば、なおさらさびしい。熱心に通ったというわけでもないが、大昔の映画ファンとしては、やはり悔しさもある。

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岩波ホールはこの神保町ビルの10階にある。

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廊下の壁には、これまでの上映映画のポスターがびっしりと展示されていた。

 

「メイド・イン・バングラデシュ」(2019年、フランス・バングラデシュ・デンマーク・ポルトガル)

 バングラデシュのダッカには、世界の衣料品メーカーの多くの縫製工場が集中している。というより、各国のメーカーは、安い素材と工賃によって安く仕上げるために、安い労働力の得られる他国に多数の系列工場を抱えている。メイド・イン・バングラデシュの衣料品が世界に出回っているのだが、その縫製工場の劣悪な労働環境の中、低賃金で働く、縫製工場の一人の女性労働者が、仲間たちと、さまざまな苦難に遭いながら、労働組合を立ち上げるストーリーである。

 教室のような狭い場所に、三、四十人の若い女性たちが古いミシンでTシャツを縫い上げてゆく。その縫製工場では、アイロン室からの失火で火事になったり、夜勤の末、扇風機も止められたミシンの下の床でごろ寝をさせられたり、賃金や残業代の遅配は日常的だったりする上、男性監督の監視もきびしい。1日にTシャツ1600枚以上仕上げながら、月給がその2・3枚分という過酷さなのだ。地方からダッカに来て、色々な職場を転々としながら、いまの工場に勤める23歳の主人公は、家庭では、無職の夫を養う苦しい暮らしだった。
工場近くで出会った、労働者支援団体の女性から、工場の実態を知りたい、お礼も出すからと声を掛けられる。出向いた彼女は、支援者から労働法や労働者の権利について教えられ、署名を集めれば組合が作れると勧められる。与えられたスマホを使い、工場の実態や経営者の発言などを記録するようにもなる。労働法を学び、集会にも参加、署名も集まり、監督官庁の労務省?への組合結成申請にまでこぎつける。条件が満たしているのに、なかなか認可が下りず、何度も役所に通うが、上司のところで止まっているらしいと知る。家に帰れば、職を得た夫からは、もう働かなくてもよい、組合を作るなんてやめろ、とまで、暴力を振るわれもする。
いつまでも組合認可が下りない役所で、受付を突破、幹部の部屋になだれ込んで、なぜ認可が下りないのか詰め寄ると「外からの・・・業者からの圧力があって・・・」と言いよどむ。そこからが彼女の底力というか、勇気というか、スマホで録音した発言を言質にとって、とうとう書類にサインをさせるのだった。
映画は、そこで終わり、そこからも苦難が続くであるだろうに、彼女は、成し遂げたという力強い眼差しながら、かすかな笑みを浮かべるのだった。

 ドキュメンタリータッチに徹したという監督のルバイヤット・ホセインは、足踏みミシンで、黙々と縫い続ける女性たち、主人公の住む街の狭い路地、そして家賃の支払いもままならない暗くて狭い家、家主とて、やっとテレビが置ける程度の貧しさ・・・を丹念に描いている。路地に行き来する人たち、サッカーボールをただ転がしているだけの子どもたち。仕事を終えた主人公たちは、みな若い、恋の話にも興じながら家路につく・・・、 印象深い場面がよみがえる。

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監督、主人公のモデルは語る

 2020年に来日したとき、監督は、インタビューで、縫製工場で働くのは女性が80%を占め、平均年齢は25歳、2013年頃の状況だったと語る。その後、たしかに、月給は2倍、シャツ4枚分程度にはなったが、現在の縫製工場は機械化が進み、そこで働くのは男性が多くなり、女性の失業者が増えているともいう。なお、業者と政府の癒着という構図も映画では描かれているが、主人公に詰め寄られた役人のモデルは、政府から解雇され、いまは労働者の支援をしているとのことであった。この映画製作の動機は、主人公のモデル、活動家のダリヤ・アクター・ドリに出会ったことにあり、そこから調査や取材も始めたという。

 一方、モデルとなったダリヤ・アクター・ドリも、同年、来日した折に、「私は工場の仕事に誇りを持って働いてきました。それなのに解雇されかけた。労働者の権利を守るためには、今、自分が動かなければいけない。後に続く若い人たちの夢や希望まで潰えてしまう。自分1人のための戦いではないと思ったから、苦しくても続けられたのだと思います」と語り、映画で描かれているよりも、私の労組の活動に対し、夫は、協力的ではなく、離婚したとも語っている。

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振り返って、日本の場合~ユニクロは大丈夫?

 最近、中国の新疆ウイグルスで過酷な労働条件のもとに生産されたワタを使用しているとされたユニクロが問題視され、会社側は、その否定に必死であった。ちなみに、ファストリテイリングの2022年3月現在の「生産パートナー工場リスト」によれば453工場のうち約半分の239工場が中国にあり、ベトナムが58、その次がバングラデシュの30、続いて日本22、カンボジア、インドネシア、ポルトガルと続く(間接取引、直接取引を含む)。「主要素材工場リスト」(91工場)には中国50、ベトナム10、インドネシア8、日本6、・・・バングラデシュ3と続く。
ファストリテイリングホームページ、参照。
https://www.fastretailing.com/jp/sustainability/labor/list.htm

 それでは、ZALA、GAP、H&Mなどの大手アパレルの場合はどうなんだろうか。わたしも、自分や家族の衣類のタグを見るようになった。自分の下着などは、ほとんど生活クラブ生協から購入しているつもりだが、かつて購入した衣類では、もちろん日本製が多いのだが、ほかでは、メイド・イン・中国が多く、ベトナム、韓国なども見受けられた。

 映画を見始めたとき、これは日本の『女工哀史』か、紡績工場や製糸工場の「女工」ではないかの感想を持った。組合結成の話になると、いまの日本の働く人たちの非正規の割合、その待遇の低さ、正社員、正職員であっても、その労働組合の加入率は、私たちが働いていた頃には想像もつかないくらい、極端に低くなってしまった現実がある。
働き方改革? 多様な働き方? 選択肢が広がった? 一億総活躍? 高度プロフェッショナル制度? 同一労働同一賃金? コトバだけは踊るが、その実態は、働く者が一番よく知っているはずではないか。
それなのに、日本では、労働組合は働く者から遠ざかり、働く者の労働組合離れが主流になってしまった。そして、組合の必要性を身をもって体験した人たちにより、各業界でユニオンなどが結成されることが多くなり、活動を続けている。

 近くの工業団地のアマゾンや食品会社のシャトルバスから降りて来る働き終えた人たちが、黙々と駅へと急ぐのを目にすることがある。外国の人も多い。三交代制とも聞く人たちの労働環境を思わずにはいられない。「メイド・イン・バングラデシュ」が外国の話には思えないでいる。

初出:「内野光子のブログ」2022.5.17より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/05/post-13a535.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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