岩田ソロー解釈への批判的検討:経験的検証を忘れるなかれ

仮定の経験的検証を欠いた「海の女神モデル」論法と、要素Xによる代替モデルの可能性

岩田氏は、成長理論において「カルドア的事実を説明できる理論モデルはソローモデルだけである」と主張する。しかしこの議論には、少なくとも三つの重大な論理的欠陥がある。本稿ではその欠陥を体系的に指摘する。

ただ本論に先立ってありうべき誤解を解いておくとすれば、ここで経験的検証を欠いた理論モデルがすべて意味がない空理空論であるということを主張したいのではないということである。大塚久雄氏がどこかで自らの「局地的市場圏」モデルについて、マックスウェーバーの理念形を念頭に置きつつ、その実在性については検証できるものではなく確かに「観念的モデル」の性格が濃いが、これは現実の歴史過程という複雑な対象に分け入る時の地図のようなものだと言っていたように記憶する。確かに「局地的市場圏」モデルは賛否両論があるにせよ、近代資本主義の生成過程についての有益な考察をもたらし、さらには大塚史学という一大学派を形成することで多くの弟子を育成することに成功した。ソローモデルも基本的には類似の理論モデルとしての意義があったことを否定するものではない。もちろん、時と場合によりモデルにもいろいろあってトンデモ系のそれもこれまた繰り返し主張されてきたわけだが。(後述の海の女神モデル)

ところで中山?Who?

 1. ソローモデルがカルドア的事実に適合したのは「唯一説明できるから」ではなく、“定常均衡成長経路を持つように構築されていることからの帰結である

まず第一の問題は、岩田氏が 「唯一の説明理論であることの証明」 と「たまたま数学的構造が当時の事実と適合した」 の区別を曖昧にしている点である。

ソローモデルは、定常成長率が資本の限界生産力と技術進歩率に収束するように設計されたモデルである。

その結果、

 資本係数=一定

 労働生産性上昇率=一定

 賃金率上昇、資本収益率安定

  というカルドア的「スタイライズド・ファクト」と整合的になりやすい。

しかしこれはソローの理論的卓越性ではなく、数学的構造が“そうなるように”組み立てられているからである。

ゆえに、「唯一説明できる」などという結論は論理的に誇張であり、根拠がない。

 2. 岩田氏は、前提仮定そのものが現実で観察されているかという最も重要な経験的検証を意図的に回避している

ソローモデルがカルドア的事実に適合するための必要条件はハロッド中立的技術進歩(労働効率の指数成長)が実際に観察されることである。

しかし実際の成長会計では、

 資本深化型(ソロー型)技術進歩

 資本効率の上昇(資本に偏った技術)

 全要素の同時改善(Hicks中立的技術進歩)

などが多数観察されており、

ハロッド中立だけが優越しているという経験的事実は存在しない。

にもかかわらず、岩田氏は重要なこの検証過程を欠落させ、「ソローモデルは現実に適合」とだけ述べる。

これは、前提を含めた理論全体の経験的実証という経済学の基本的手続きを意図的に無視している点で批判を免れない。

 3. ではなぜ異なるタイプの技術進歩が観察されているにもかかわらず、

カルドア的事実が一定期間成立したのか? → “内生的調整”の結果である

実際には異なる方向の技術進歩が混在しており、ハロッド中立だけが成立しているわけではない。それでもカルドア的事実が観察されるのは、以下のような制度的・組織的調整メカニズムが働くためである:

 賃金交渉制度が労働シェアを一定に保つ

 資本市場の利潤率均等化

 生産構造の自律的な資本・労働代替

 投資行動が非ハロッド型ショックを吸収してしまう

つまり、カルドア的事実は

“経済の内生的フィドバックの結果”として成立していたにすぎず、ソローモデルの前提が正しかったからではない。

岩田氏はこの重要な点を丸ごと落としている。

 4. 「海には女神がいるから荒れる/凪ぐ」という不可反証モデルと同じ構造

岩田氏の論証構造は、次の“女神説”と同じである:

> 海が荒れるのは海の女神の気分のせいだ。

> なぜなら、海の女神がそうすると仮定すれば全部説明できるからだ。

この言明は、

女神の存在そのものが経験的に検証されない限り、絶対に反証不能である。

岩田氏の主張はこれと同型である:

1. 「ハロッド中立を仮定すればカルドア的事実が説明できる」

2. 「だからソローモデルが唯一の説明理論である」

しかし、

ハロッド中立が現実に成立しているかは検証されていない(=女神の存在が検証されていない)

ゆえにこの議論は

“仮定を認めれば何でも説明できる”という非科学的・不可反証的構造を持つ。

これはまさに

海の女神モデルと同じ論法である。

 5. 労働の代わりに他の生産要素 X を置くことも可能

→ X 集約型ソローモデルの成立

→ よって理論の唯一性は完全に崩れる

岩田氏は「労働には効用最大化主体があるが、石油にはない。だから L を労働に限るべきだ」と述べる。

しかしこれは以下の理由で誤りである:

 (1) ソローモデルにおける L は“人数”ではなく“効率的労働量”であり、

行動主体ではなく技術的パラメタ

ソローモデルにおける L は

 実際の労働者の効率

 その効率の成長率

  を含む“技術的指数”であり、経済主体ではない。

 (2) 効率的労働 L を、別の要素 X に置き換えることは数学的に可能

たとえば

 エネルギ投入量 E

 原材料 R

 資源利用効率 Z

 ICT サビス S

を L の位置に置き換え、

“X に対するハロッド中立的技術進歩(X 効率の指数成長)”を仮定すれば、

 X 財集約型ソローモデルは完全に成立する。

つまり

L を労働とみなす必然性はモデル内部にはない。

 (3) したがって「ソローモデルだけが唯一説明」は成立しない

なぜなら、

「労働の代わりに別の要素 X を置いたソロー型モデル」も同様にカルドア的事実を説明しうる

からである。

これは、岩田氏が主張する「唯一論」を根底から否定する論理的帰結である。

 結論

岩田氏の「ソローモデル唯一論」は、次の理由で成立しない。

1. ソローモデルがカルドア的事実に適合したのは数学的構造の結果であり、唯一性の論証にはならない。

2. ソローモデルの根本仮定(ハロッド中立的技術進歩)が現実に観察されているかという経験的検証を岩田氏は意図的に回避している。

3. 実際には様々な方向の技術進歩が観察されており、それでもカルドア的事実が成立したのは経済主体の内生的調整の結果である。

4. 以上の構造は「海の女神を仮定すればすべて説明できる」という不可反証的モデルと論理的に同一である。

5. 労働の代わりに別の要素 X を置き、X に対するハロッド中立的進歩を仮定すれば、

   X 集約型ソローモデルが構築可能であり、ソローモデルが唯一の説明理論であることにはならない。

ゆえに、岩田氏の主張は理論的にも経験的にも成立しない。

「人間社会の自己認識の営み」の前に、経験科学としての必要要件を慎重に吟味したいものである。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔study1376:251201〕