崩れた原発の「安全神話」 -反・脱原発派は早くから地震による事故を警告-

著者: 岩垂 弘 いわだれひろし : ジャーナリスト・元朝日新聞記者
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 東日本大震災による未曾有の被害に関する報道をテレビや新聞で見ていて、最も衝撃を受けたのは、東京電力福島第1原子力発電所(福島県大熊町)における原子炉の「炉心溶融」だ。世界を震撼させた、1979年に米国で起きた「スリーマイル島原発事故」と同様の事故で、原発にとっては最悪の事態である。地震大国である日本でこうした事故が起こる可能性は、早くから反原発・脱原発を目指す団体や一部の研究者・学者によって指摘されてきたが、電力会社、政府、裁判所などは「原発は絶対安全」として、こうした声に耳を傾けようとしなかった。「だから言ってきたではないか。われわれの主張はやはり正しかった」というのが、今回の大事故に対する反・脱原発派の受け止め方ではないか。

 「炉心溶融」とは、「原子炉の温度が上がりすぎ、燃料棒が溶けて破損する事故。冷却水が失われて炉心の水位が下がり、燃料棒が水面上に露出した場合、燃料棒中の放射性物質の崩壊熱が除去できず。温度上昇が続くために起きる。想定されている事故の中でも最悪の事態」(3月13日付毎日新聞)という。
 地震による今回の炉心溶融は福島第1原子力発電所の1号機で起きた。2号機でも炉心冷却装置の機能が失われた。このため、原子炉格納器外に放射性物質が飛散した可能性があり、1号機の半径20キロ以内に居住する住民と2号機の半径10キロ以内に居住する住民が避難を余儀なくされた。その数は7~8万にのぼるとみられている。まさに日本の原子力開発史上かつてない異常な事態である。  

 世界の陸地で発生する地震の8割が日本で起きているといわれる。まさに、日本は文字通り地震列島であり、地震大国なのだ。それゆえ、原子炉が破壊されると危険な放射性物質が周囲に飛散する恐れのある原発を日本列島にはつくるべきでないという声が、かなり以前からあった。つまり、「日本は地震の多発地帯だから、原発は日本にそぐわない」という主張が、原発立地反対の一つの根拠となってきたわけである。

 例えば、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)。原水禁が「反原発」を中心スローガンに掲げるようになったのは1970年から。以来、毎年夏の原水禁世界大会では「原発問題分科会」が設けられるようになったが、そこでは、日本が地震多発地帯であることを原発反対の理由にあげる声が聞かれた。
 
 また、1980年に刊行された『原発はなぜこわいか』(監修・小野周/絵・勝又進/文・天笠啓祐。高文研刊)の中で天竺啓祐氏は次のように書いている。

 「四国電力が、伊方原発の建設を政府に申請したのは、一九七二年五月八日のことであった。内閣総理大臣はこの安全審査を原子力委員会に委託し、原子力委員会はその検討を安全専門審査会に委任し、安全専門審査会はこの伊方原発の安全を審査するための特別の部会を設置した。これが、八六部会と呼ばれるものである。……八六部会は、五月一七日からおよそ半年にわたって一七回の会議を開いた」
 「ところが、住民側が法廷で、この一七回の調査と審議過程についてその資料を国側に提出させたとき、その内容は人々を唖然とさせてしまったのだった。審査委員一二名(後に一四名となる)中、出席者が一名(!)という会議が三回(!)、二名の会議が一回、とあったのである」

 「出席者一人で、どんな“会議”がもたれたのであろうか。しかも、地盤、地震、気象、海洋への影響を担当した気象庁観測部長は、一七回の会議中ただの一度も出席していなかったのである。地震ひとつとっても、それは原発事故に直接つながり、まして地震国日本であってみれば、厳密な調査・分析・討議が必要なはずで、事実この伊方裁判でも地震は大きな争点の一つとなったのだった。にもかかわらず、その直接の担当者が一度も出席しなかった安全審査の会議とは、いったいいかなる会議であったのか」

 中部電力の浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)が運転を始めたのは1976年だが、ここでも建設前か反対運動が続けられてきた。反対理由の一つは、「このあたりは東海地震が予想される地域の中にある」というものだ。

 2007年7月16日には、中越沖地震によって、東京電力の柏崎刈羽原子力発電所(新潟県柏崎市・刈羽村)で被害が出た。雑誌『世界』2007年11月号によれば、3号機の変圧器から出火し、6号機の天井クレーンの軸の継ぎ手が破損、さらに、6号機から微量の放射能が含まれた使用済み燃料の保管プールの水が海へ流出したという。こうした事態により、同原発は1号機から7号機までの原子炉が全面運転停止に追い込まれた。その後、一部で運転が再開されたもののまだ全面運転再開とはなっていない。 

 この柏崎刈羽原発の事故をきっかけに、地震による原発事故を懸念する声が、反・脱原発を掲げる運動団体の間でいっそう強くなっていた。
 例えば、今年1月20日、脱原発と環境破壊のない社会をめざす市民団体「たんぽぽ舎」が東京で開いた第154回いろりばた会議で、たんぽぽ舎代表の柳田真氏は「地震が迫っていて原発震災の危険があるが、原発は止まっていない」と話した(「いろりばたニュース」)。

 反・脱原発運動が長年にわたって続けられ、地震多発国日本で原発を設置することの危険性を指摘する声が絶え間なくあげられてきたわけだが、原発推進側の動きは止まらなかった。その結果、この狭い地震列島に54基もの原発が林立するまでになり、さらに3基が建設中だ。そればかりでない。自民党政権に代わった民主党政権は「原発輸出」に躍起だ。その果てが今回の「最悪の事態」である。
 
 福島第1原発1号機の「炉心溶融」を伝える3月13日付の毎日新聞には「原発『安全神話』崩れ」との大見出しが踊っていた。私たちは、今こそ原発に代わるエネルギーをどう確保してゆくかの国民的議論を本気で始める時ではないか、と私は思う。
                            (3月13日夜記す)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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