東日本大震災による東京電力福島第一原発の事故は日を追うごとに危機的様相を強めている。朝日新聞の3月16日付朝刊は一面トップで「福島第一 制御困難」と報じ、同紙の「天声人語」は「これまで『原発の二大事故』は、米国のスリーマイル島とソ連のチェルノブイリだった。こののち、フクシマを含めて『三大』となることは現時点の規模でも間違いない」と書いた。まさに今回の原発事故がもつ深刻さを的確に言い得ていると言ってよく、この容易ならざる事態に、私は、これまで一部の反核団体が掲げてきたスローガンを改めて思い浮かべている。それは「核と人類は共存できない」というものだ。
世界最大の原発事故は、1986年4月に旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発で起きた事故とされる。3月13日付朝日新聞によれば、4号炉が大爆発して大量の放射性物資を放出した。原子炉の設計ミスに運転員の規則違反が重なって運転中に暴走、原子炉建屋内で水素爆発が起きたのだという。半径30キロ圏内の住民12万人が強制避難させられ、事故後の消火作業で被曝した約50人が死んだ。国際原子力機関(IAEA)などの専門家チームは、2005年に被曝に伴う死者の数(推計)を、将来分も含め約4000人と発表した。
また、バルト3国在住のチェルノブイリ原発事故被曝者の救援を続けている平和団体・平和事務所によれば、事故直後、放射能除去作業のためにソ連全土から約60万人が事故現場に動員されたため、この人たちも作業を通じて被曝したという。
スリーマイル島原発事故は、1979年3月に起きた。3月15日付読売新聞によれば、原子炉の冷却水が流出し、炉心が空だき状態になって核燃料の一部が溶融。微量の放射性物質が漏れ、住民約10万人が避難した。3月13日付朝日新聞によれば、事故後の核燃料の除去作業に11年の歳月と10億ドル(約800億円)の費用がかかったという。
原発事故の国際評価尺度(0~7)では、チェルノブイリは「レベル7」。スリーマイル島は「レベル5」。報道によると、フランス原子力委員会のラコスト委員長は、福島原発事故が「レベル6」に相当する事故との認識を示したという。
それにしても、今回の原発事故をめぐるテレビ報道で私が見た番組に登場するキャスターや記者、学者・研究者、専門家の発言を聞いていて驚いたのは、これほど深刻な惨事を前にしても「これを機にもう危険な原発はやめよう」とか、「これからは原発を減らさなくては」とか、「原発の新しい立地はやめるべきだ」と主張する人がほとんどいなかったことだ。この人たちの多くは、今回の事故を「想定外の津波に付属施設がやられたからだ」ととらえ、「今後は防潮対策に力を入れなくては」と強調するばかり。中には「日本の原発は必要な発電量の3割をまかなっている。今後も原発が頼り。フランスは発電量の八割を原発に頼っている」などと発言する人もいた。
そこには、巨額を費やして開発してきた原発が日本にもたらしたものを、この際、冷静に見極めようという真摯な態度が感じられなかった。そこでは、本質的な発言が聞かれなかった。なんという危機感の乏しさ、鈍感さだろう。
その点、欧米各国の方が、今回の福島原発事故に敏感な反応をみせた。例えば、ドイツのメルケル首相は3月12日、国内の全原発の点検を表明し、14日には昨年秋に決めたばかりの「原発の運転延長政策」を凍結した。さらに、15日には、国内17カ所の原発のうち1980年までに稼働を始めた7基の運転を3月間停止すると発表した。
スイス政府は14日、老朽化した原発を更新する手続きを凍結すると発表した。米政府の原子力規制委員会は12日、福島の原発と同じ沸騰水型炉の専門家2人を日本に派遣したと発表した。
欧州を原発事故に敏感にさせたのは、チェルノブイリ原発事故だった。スウェーデン、デンマーク、ドイツ(当時は西ドイツ)、ベルギーなどで「反原発」「脱原発」を掲げる大衆的な運動が高まり、それぞれの政府はエネルギー政策の転換を余儀なくされた。が、日本では国民の間でそうした運動は高まらず、電力会社、政府による積極的な原発推進策が進んだ。その間のことを朝日新聞はこう報じている。
「資源のない日本では、原発をエネルギー政策の柱にすえてきた。スリーマイル事故で米国の原発建設が止まり、1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故で欧州で脱原発が広がっても、原発中心の政策を変えず、世界で広がる自然エネルギーは普及していない」(3月12日付朝刊、竹内敬二・編集委員)
日本で反原発運動がなかったわけではない。最初に「反原発」を掲げたのは原水爆禁止日本国民会議(原水禁)である。原水禁が「反原発」を中心スローガンに掲げたのは1969年の原水禁世界大会が最初であったが、翌70年の世界大会から大会基調報告に原発問題が入り、「原子力平和利用に関する分科会」が設けられた。
1986年のチェルノブイリ原発事故は、原水禁の関係者に大きな衝撃を与え、原水禁として反原発運動により一層取り組むきっかけとなった。この年の原水禁の世界大会主催者あいさつで、森瀧市郎・代表委員(元広島大学教授)は「最近のチェルノブイリ原発の大事故で、放射能のおそろしさは全世界に明らかになってきました。私たちがいわゆる平和利用をも否定してきた態度があやまりでなかったと痛感させられたのであります。結局、核エネルギーは軍事利用であっても、平和利用であっても、人類の生存をあやうくするものであり、核エネルギーと人類は共存できないと思いさだめて核絶対否定の道を歩むことが人類の生きる道ではないでしょうか」と訴えた。
これを受けてであろう、1989年の原水禁の世界大会基調に「私たちは、改めて被爆の原点を踏まえ『核と人類は共存できない』との『核絶対否定』の理念にたった一人ひとりの自発的運動を全国各地域から展開しなければなりません」と書き込まれた。「核と人類は共存できない」のフレーズが登場したのはこれが初めてだった。以来、これが原水禁のメインスローガンとなり、やがて、反核運動の理念を象徴するものとして他の運動団体にも広がった。
原発開発推進の末に「原発の三大事故」を起こして世界を恐怖と不安に陥れてしまった日本。私たち日本人は、いまこそ「核と人類は共存できない」という認識を共有する時ではないか。そう思えてならない。
(3月16日夜記す)
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