希有・前代未聞のオリンピックが始まった

韓国通信NO674

<悲劇か、喜劇と言うべきか>
 感染症パンデミックと政治不信ただ中のオリンピック。開会式は現実と思えない異次元の世界。空しさとやるせなさが漂い正視に忍びないものだった。狂気の沙汰としか言いようがない。選手たちに悲劇を演じさせる主催側の喜劇役者たちの悪巧み。人類史上希な悲喜劇の幕があがった。
 コロナとオリンピック開催をめぐって関心が集まるさなか、政府は唐突に放射能汚染水の海洋放出、原発の再稼働を決めた。福島復興のためには汚染水は邪魔に見えたのか。脱炭素化のためには原発は必要というのか。コロナ不安に紛れてやりたい放題だ。
 私ごとになるが、7月13日、仙台の従兄の葬儀に参加した。病院は感染対策を理由に看病を認めなかった。ホスピス病床で誰にも看取られずに息を引きとった。自宅で最期を看取りたいという妻の願いは無視された。生きづらさと人間の尊厳の軽さに涙した。

<驕れる日本 滅びの予感>
 韓国の文大統領の来日が立ち消えとなった。冷え切った両国関係の改善の糸口になると期待されたが、徴用工問題と慰安婦問題で「おみやげ」(譲歩)がなければ話し合いにならないという日本政府の対応が壁になった。最近の中国に対する強硬姿勢といい、韓国に対する頑な傲慢さは不吉である。オリンピックの強行開催という非常識と隣国に対する強もてぶり。わが国は危険な状況にまた一歩踏みだした。
  戦争が廊下の奥に立っていた  渡辺白泉
 戦争の予感を詠んだ一句である。日常を感じさせる「廊下の奥」という言葉が印象的だ。

 22日付朝日新聞の社説は文大統領の訪日中止について、「大局を見すえ不毛な対立から脱すべき」と主張しながらも「根本的な問題の打開に必要なのは、具体的な行動である。最大障壁となっている徴用工と慰安婦問題をめぐる韓国の司法判断に、行政府として対処する政治判断」を韓国側に求めた。争点の核心を理解せず「おみやげ」を求めた日本政府と同じ主張だ。さらに「歴史問題の解決が先決」という日本政府の一方的な主張をそのまま紹介したのも解せない。歴史問題の解決が求められているのは日本政府であって韓国政府ではない。
 朝日の社説から白泉の句を思い出した。戦争で血を流すことを厭わない政権にすり寄った社説から廊下の奥に忍び寄る戦争を予感したからだ。

<『「アジア」はどう語られてきたか』>
 日本思想史の研究者、子安宣邦氏の著書。2003年発行と同時に購読。最近、日本に漂う中国と韓国に対する「軽さ」が気になり再読した。
 著書は日本人のアジア観を江戸時代まで遡り、福沢諭吉の『文明論乃概略』が「東亜思想」の概念に引き継がれるまでの過程を、ヘーゲル、マルクスの歴史観とともに日本近代思想の歴史を紐解く。脱亜入欧によって近代化を成し遂げたわが国がアジアを指導する意識を持つにいたった課程が述べられている。社会主義者まで巻き込み国民を一色に染め上げた「思い上がり」は敗戦によって破綻したが、日本はいまだに大東亜意識から抜け出せないでいる。日本人のアジア軽視・蔑視はかつての侵略主義と両輪だったと。
 最終章では日本人の森元首相の「神の国」発言から見えた日本人の一国主義的精神構造の問題点、さらに歴史改ざん主義者の「われわれは何も悪いことはしていない」(『国民の歴史』西尾幹二)を取り上げる。(侵略を肯定する)「自己正当化の言葉は殺人者の用いる自己正当化の言葉とまったく変わりはない」。日本に蔓延し始めた侵略肯定の風潮を厳しく批判した。
 発行から17年経った。巷では子安氏が指摘した「殺人者の自己正当化の言葉」で満ち溢れている。

<日本は大丈夫か>
 インテリジェンス(知性)は、知見を重ねて深まるものだが、右翼思想に染まった人たちで占められる現在の自民党政権は過去の誤った歴史を正当化して大東亜思想に逆戻りしてしまった。同調するマスコミによって「殺人者の論理」は拡散する一方である。過去から学ばないインテリジェンスの後退は明らか、森、麻生、安倍、菅へと引き継がれた反知性派が闊歩する。
 オリンピック開会式に感動した人も多い。原発事故と新型コロナの二つの緊急事態宣言下で行われるオリンピックにもかかわらず。
 国民は政治不信を募らせ、疲弊している。先進国中、労働者の賃金が減り続けているのは日本だけ。先が見通せない大企業と金持ち中心の絶望の国。被爆国でありながら核禁止条約に加わらない不思議な国。子どもの貧困率世界ワースト18位。ジェンダーギャップ121位、報道の自由度ランキンク67位。オリンピックをとおして何を世界に「発信」するつもりなのか。
 コロナ患者が増え続けても金メダル優先にメディアは連日興奮と感動を伝えるはずだ。「やってよかったでしょ」と菅首相に言わせたらこの国はおしまいだ。日本の将来はアフターコロナ・アフターオリンピックにかかっている。

 地元の我孫子高校野球部が地区予選3回戦で敗退した。練習帰りの野球部の学生を呼び止め声をかけた。「テレビで試合を見たが残念だった。実力は伯仲。甲子園に行けるチャンスは十分ある。頑張りなさい」。齢相応にエラソーなことを言った。言われた高校一年生は緊張気味に「ありがとうございます」と嬉しそうに立ち去った。
 猛暑である。散歩は夕方の1時間あまり。フォークシンガー岡林信康のニューアルバムから「コロナで会えなくなってから」を聴いた。誰もが人恋しくなっている。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

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