平和憲法改定を許さない -声なき声の会が「6・15」記念集会-

 53年前の安保条約改定阻止運動(60年安保闘争)の中で生まれた反戦市民グループ「声なき声の会」による恒例の「6・15集会」が、6月15日、東京・池袋の豊島区勤労福祉会館で開かれた。毎年、さまざまなテーマで話し合ってきた「6・15集会」だが、昨年暮れの総選挙を機に日本国憲法改定に向けた動きが強まっていることから、今年の集会では、参加者から「戦後民主主義の根幹をなしてきた平和憲法の改定を許してはならない」との発言が相次いだ。

 日米間で安保条約が結ばれたのは1951年だが、57年に発足した岸信介・自民党内閣は条約改定を急ぎ、両国政府間で調印された条約改定案(新安保条約)の承認案件を60年に国会に上程した。社会党(社民党の前身)、総評(労働組合のナショナルセンター)、平和団体などによって結成された安保改定阻止国民会議が「改定で日本が戦争に巻き込まれる危険性が増す」と改定阻止の運動を全国で展開する。これに対し、自民党は5月19日、衆院本会議で承認案件を強行採決。これに抗議して全国各地からやってきた大規模なデモ隊が連日、国会周辺を埋めた。

 デモの中核は労組員と学生だったが、千葉県柏市の画家、小林トミさん(当時30歳)らが「普通のおばさんも気軽に参加できるデモを」と思い立ち、6月4日、小林さんら2人が「誰デモ入れる声なき声の会 皆さんおはいり下さい」と書いた横幕を掲げ、虎ノ門から国会に向けて歩き出した。
 横幕に「声なき声の会」と記したのは、岸首相が抗議デモに対し「私は『声なき声』にも耳を傾けなければならぬと思う。いまのは『声ある声』だけだ」と述べたからだった。
沿道にいた市民が次々とデモの隊列に入ってきて、解散時には300人以上に。小林さんらが提唱したこの安保反対デモはその後も続けられ、参加者は毎回、500~600人にのぼり、この人たちによって「声なき声の会」が結成された。無党派市民による反戦グループの誕生であった。

 6月15日には、全学連主流派の学生たちが国会南門から国会構内に突入、警備の警官隊と衝突、混乱の中で東大生の樺美智子(かんば・みちこ)さんが死亡した。抗議の声がとどろく中、新安保条約は6月19日に自然承認となった。

 翌61年の6月15日、小林さんは国会南門を訪れた。前年、そこは樺さんの死を悼む人びと花束で埋まっていたが、それから1年、南門周辺は閑散としていた。「日本人はなんと熱しやすく冷めやすいことか」と衝撃を受けた小林さんは「安保条約に反対する運動があったこと、その中で死んだ樺さんのことを決して忘れまい」と誓い、毎年6月15日には、「声なき声の会」の有志とともに花束を携えて国会南門を訪れるようになった。
 その後も、この日を記念する、声なき声の会主催の6・15集会と国会南門での献花は1年も欠かさずに続けられ、2003年に小林さんが病死してからもずっと続いてきた。
戦後に誕生した、一般市民による平和運動は数え切れないほどあるが、今なお半世紀以上にわたって継続している運動は他にはないとみていいだろう。

 53回目となった今年の集会の参加者は約30人。前年とほぼ同じ。秋田県、栃木県からやって来た人、初めて参加した人もいた。この集会は、参加者全員が自由に発言するというやり方をずっと続けており、何事かを多数決で決めるということはしない。今年は、集会の冒頭、今年から世話人となった細田伸昭さんが「この集会は年に一回の開催だが、毎年、今の状況を確認するとともに6・15反安保闘争を思い起こして犠牲者を顕彰してきた。これは、意義のあることだと思う」とあいさつ、次いで全員が発言した。

 憲法、原発、教科書、広島・長崎、沖縄、オスプレイ配備……。参加者の発言内容は実に多岐にわたったが、一番緊迫感をもって語られたのは憲法改定問題だった。

 埼玉県在住の教員は「去年暮れの総選挙の結果、憲法改定に積極的な内閣と首相が出てきて、危機感を持っている。若い人が憲法改定に積極的とは思えない」と話した。
元大学教授(哲学専攻)も「7月の参院選挙の結果によっては、数年先に9条をめぐる国民投票があると覚悟しなくてはいけない」と危機感を露わにし、「9条は人類の叡智が体現されたもので、。今こそ、これを生かさなくては。なのに、私たちはこれまでこれにきちんと向き合う経験がなかった。改憲をめぐる論議が起こってきたことを、むしろ、人類の叡智と向き合うチャンスととらえよう」と、平和憲法の内容をもっと学び、これを広げてゆく必要を強調した。

 元演劇俳優の80歳の女性は、自身が東京大空襲や、戦中から戦後にかけての飢えを経験したこと、最近、被爆地・長崎を訪れて浦上天主堂の被爆の惨状に接して言葉を失ったことなどを紹介した後、「戦争を永遠に放棄することをうたった憲法9条は、悲惨な戦争を経験した日本人が、もう二度と戦争を起こしたくないという誓いから、日本人自身がつくったものと実感できた。改憲を許してはいけない」と語った。
 松戸市からきた女性は「若いお母さんの間では、この子だけは戦争にやりたくない、という気持ちが強い。そこに希望がある。お母さんたちの間に9条賛同署名を広げてゆきたい」と述べた。
 秋田県から参加した市議会議員は「教育現場でもっと憲法学習が行われるよう、議会で訴えてゆきたい」と話した。

 原発をめぐる発言も目立った。「唯一の戦争による被爆国なのに、なぜ原発を推進するのか」「3・11東電福島第1原発事故に対しては、東京と福島で温度差が生じている。東京では、被曝のことを声に出して言う人は少ない。都会の人はもっと福島に目を向けて」「これから先、がんになる人が増えるだろう。私たちは、本来つくってはならないものを造ってしまった。なんでこんな愚かなことをしてしまったのか」

 集会後、参加者たちは国会南門を訪れ、そこに花束を供え、故樺美智子さんを偲んで黙とうした。

国会南門で花束を供えて樺美智子さん追悼の黙とうを捧げる集会参加者たち



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