中国の詩人劉暁波がノーベル平和賞を受賞した。だがその発表のとき、彼は受賞の報を聞くこともできずに獄舎にいた。彼は強制的に妻からも、友人たちからも、街の人びとからも距てられ、11年の刑に服して獄舎にいる。平和賞はこの獄舎の詩人に贈られたのである。彼にどのような祝いの言葉をのべたらよいのか。しかしなぜ彼に平和賞なのか。その意味をこそ私たちは考えねばならない。
劉暁波は1989年6月4日未明に天安門広場で起きた事件の犠牲者たちの記憶を魂に刻んだ詩人である。
「『六四』、一つの墳墓/永遠に永眠できない墳墓」
「忘却と恐怖の下に/この日は埋葬された/記憶と勇気の中で/この日は永遠に生き続ける」
彼は6月のその日、民主化を要求する学生たちを軍事的に制圧しようとする当局に抗議するハンストの中にいた。迫る惨劇を避けるために、彼は撤退することを学生たちに訴えた。最悪の事態を避けて学生たちは撤退した。だがそれを待ちきれずに戒厳部隊は行動を開始した。この制圧行動によって広場で何があったのか、何人殺されたかは分からない。当局は広場における死者は一人もいないといい、この事件を通じての死者は319名だと発表した。
だが6月のあの学生たちの運動とその軍事的制圧を見聞した市民で、当局のこの発表を信じるものはいない。犠牲者は数千にのぼるともいわれる事件の真相は隠され、事件そのものさえ中国現代史の公的記述から消されていった。すでに中国ではこの事件を知らない青年たちが育っている。
劉暁波は「6・4」事件の死者たちの記憶を魂に刻むようにして詩を書いた。そして生き残った者の呵責が、針として体内にある痛みに耐えながら文章を記した。それはあの犠牲者の母たちの運動に連帯する文章であった。
母たちの運動とは虐殺された息子たちの事実を根気強く明らかにし、謝罪と弁償と法の裁きとを要求するものである。彼はこの運動に中国の希望を見出した。「六四問題をいかに解決するかは、中国が平和裡に民主国家に転換できるかどうか、という巨大な公共の利益に直接関係している」と。
6月4日の事件の最終的な解決は、中国が平和裡に民主的国家に転換できるかどうかにあるというのである。「6・4」事件の死者の記憶を言葉にする詩人劉暁波は、民主的中国のためのマニフェスト「08」憲章の提唱者でなければならないのだ。
「6・4」事件を歴史から抹消する中国当局は、この事件を堅く記憶にとどめ、その最終的な解決を民主的国家中国の成立に求める劉暁波を許さない。「08」憲章の発表の前日、2008年12月8日に彼は当局に拘束され、そして今年の2月11日に北京の人民法院は国家政権転覆扇動罪で懲役11年の刑をいい渡した。彼はいま遼寧省錦州市の刑務所に収監されている。その彼にノーベル平和賞が贈られたのである。
劉暁波の発言と活動は、中国における政府と民衆との、民族と民族との真の和解のための、すなわち民主的で平和的中国のために必要不可欠なものだ。授賞はそうした評価に基づくものだと考えたい。
平和的中国とは東アジアの平和のための最大の基盤であるだろう。中国の平和も、そして東アジアのわれわれの平和も劉暁波を獄中に置くことにはないことをこの受賞とともに知るべきである。劉暁波の即時釈放をはっきりと求めること、それこそが日本から彼に贈る祝いの言葉である。
[朝日新聞・2010年10月9日朝刊・文化面に掲載]
※子安氏のHP http://homepage1.nifty.com/koyasu/remark.html から、子安氏の了承を得て転載
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