まえがき(古賀 暹)
アメリカのヴェネゼラへの侵略が起こった。それがキッカケで蔵田計成さんから預かっていた「アメリカ帝国史論」というこの論文のことを想い出した。この論文は彼と私の間で何度か往復し、互いに論じ合った「アメリカ」についてまとめた中間報告である。
蔵田さんはわたくしより6,7歳の先輩で60年安保闘争時の都学連副委員長であり、第一次ブンドの中心人物の一人であった。彼は安保闘争時にブンドが岸訪米阻止の羽田闘争は戦ったものの何故ハガチ―入国阻止闘争を取り組まなかったのかを自分たちの責任として痛く後悔しておられた。自分たちが闘争を組織できず、何故、全自連(日共系)にのみによってハガチ―闘争が闘われてしまったのか、ということを深刻に考えていた。
アメリカンデモクラシーの中で育った、戦後の自分たちの思想の問題ではないかとまで彼はこの問題を考えていたように思われる。そうした問題が、以下の一文を彼に書かせた動機なのだが、この論文はそれに対する糸口であってその全部をつくせたものではない。それ故、蔵田さんと私の意見交換の一部としてとどまっていたわけであるが、アメリカの南米攻撃を目の当たりにして、わたくしのパソコンから飛びださせたものである。
序章 アメリカ帝国史論の意味 蔵田計成
何故、アメリカ帝国史論か。その答えは簡単である。いまもなお歴史における傍若無人を振舞っている巨駆の正体を知りつくすことである。そのためにはアメリカの歴史の始端にまでさかのぼらなければいけない。そのことによってはじめて、アメリカが歩んできた歴史過程を貫く覇権主義という一本の赤い糸の本質と実態を知ることができる。実は、その赤い糸の呪縛から自由になることが、カオスに等しい閉塞の現代史における出路を見いだすことを可能にする。戦争大国同伴の道を断ち切るためにも、いまこそ、アメリカの歴史から真実を取り出さなくてはいけない。
その北アメリカ大陸の古い歴史をたどれば、アメリカにおける人類史の最初の歴史がある。ユーラシア大陸からベーリング海を渡り、南北アメリカ大陸に住み着いた先住者の歴史がある。その後、地理的には「ビンランド」(葡萄の国)の実在をヨーロッパのバイキングが知ることになった。その約500年後、アメリカ大陸は冒険家の野心を歴史に印すことになった。ヨーロッパ移民の歴史のはじまりである。この植民史は、そのまま先住民の抹殺と略奪という内征の歴史であった。だが、北アメリカ大陸においてはその固有の内征史は域内にとどまらなかった。域内の膨張はそのまま域外を目指す対外膨張へと継起し、果てしなき外征の歴史となった。その歴史過程は現在に至っても止まることがない。その本質と実態が覇権主義の歴史として、アメリカ史に深く刻まれていったのである。
その白人アメリカの祖先はアングロサクソンである。その故地は北アメリカ大陸北東部沿岸にへばりついて位置するニューイングランドであった。この地を始点にして、旧イングランド出身のイギリス人が北アメリカ大陸に新たな植民地を建設したのである。その植民事業を安定的な軌道に乗せるためには、覇を競い合った他のヨーロッパ諸列強との植民地争奪戦を勝ち抜き、大西洋の制海権を手に入れることが必要であった。オランダ海軍に勝利し、スペイン無敵艦隊を撃破することによってようやく安全な大西洋航路は確保され、北アメリカ大陸への植民事業は保証されることになった。
植民事業の最初の仕事は、居住地の確保であり、大陸の先住民に対する土地略奪と殺戮であった。これは植民事業にとっては必要不可欠な手段である。と同時に、これは植民事業が内包する根元的な二律背反であり、相即的な矛盾である。すでに指摘したように、この冷厳な歴史の現実をふくめて、アメリカ大陸史が自ら刻んだ域内外に対する内征史・外征史は、過去から現在にいたるまで、その手口、形態、性格、時代性において、例外なき覇権というむき出しの野望の体現であった。このアメリカ建国の歴史に始まった強奪と殺戮の論理は、覇権主義を貫く国家原理であった。しかも、アメリカ合衆国はこの原罪を顧みることもなく、歯止めをかけることもしないで、最悪を演じ続けたのである。
アメリカのイギリス人と呼ばれた北アメリカ大陸の植民者にとって、植民地経済を盤石にするためには新しい資本主義的生産様式を導入して、植民帝国をつくりあげることであった。その最初の政治的軍事的標的は、イギリス本国からの独立であった。理由にもならない理由をつくりあげて大義名分を掲げて戦い、その独立戦争に勝利した。
やがて、イギリスにはじまった産業革命は大西洋を渡り、「新大陸」で根づいた。先住民の土地略奪・殺戮による土地の私的所有制をいち早く制定し、労働力としての奴隷制(完全無給労働)による資本の原始的蓄積による、一連の収奪過程を経てイギリス人のアメリカ帝国は急速な発展をとげた。
その過程で、西欧デモクラシーのあとに続いたアメリカの「民主政体」は、先住民の殺戮・抹殺のうえに咲いたあだ花に過ぎなかった。ヨーロッパ植民者にとって先住民は大自然の一部に過ぎなかった。広大に広がる肥沃な土地も「無主の原野」と勝手に決めつけた。その自然は征服の対象であった。植民者は恣意的な暴力行使と軍事力によって、多くの先住民を殺戮し、生き残った先住民を居留地という檻の中に閉じこめた。植民者は己に対してのみ生存権と財産権の保証書を交付した。人間の存在を否定し、尊厳を破壊することが植民事業の存立与件であった。このシステムは、はじめから出発点において、「普遍化可能性原理(Universalizability・カント)」を欠いていた。植民者たちが先住民に対して「人権」の普遍性を認めたのは、先住民の殺戮と収奪をやり尽くしたあとである。それも一部の先住民に限定した。さらに、解放された黒人奴隷の公民権運動は奴隷解放宣言から100年以上も続いた。いまに続く銃社会の存続は白人自衛武装の不可避性を裏付けている。
このアメリカ資本主義の生成・発展に関する歴史評価については、その時代を支配した歴史観だけが、高い評価を与えた。その論拠は、野蛮から→文明へという「歴史発展史観」であった。それはいうまでもない。「人類が実現した近代物質文明と利便」という自賛の意味を込めた果実にある。
だが、その文明の中身は、一体何を意味するだろうか。身近な例を取り出せば、あの第2次世界大戦後のお手本とした「アメリカデモクラシー」がある。その史実をふくめて、果たして、人口に膾炙されてきた「アメリカデモクラシー」なるものを、手放しで評価できるだろうか。結論を先にいえば、これを戦後史に限ってみても、われわれ自身のボタンの掛け違いであった。
アメリカの歴史評価に対しては厳密な再検証が必要である。西洋デモクラシーのひとつ、アメリカデモクラシーの生成・発展過程に対して、別な光をあてる必要がある。その作業を媒介にしてはじめて、「歴史の真実」をとり出すことができるだろう。遠い過去から、近・現代にいたるまでの歴史をたどることによって、未来を照らす一筋の光りも見えてくるだろう。そして、その時点において歴史の風景は一変するだろう。
結論を予測することは、難しいことではない。アメリカ合衆国は建国初期の、あの「略奪」「殺戮」「征服」「奴隷」という覇権史の伝統をそのまま受けついで、切れ目なく、帝国へと肥大化の一途をたどった。ところが、このようなアメリカ帝国の存立を支えた政治理念の欺瞞性、歴史において演じた仮構性の実態は、これまで厚いオブラードに包み込まれてきた。いつの間にか実態とはかけはなれた別な歴史の言説におきかえられていた。おまけに、マルクス、レーニン、トロツキーなどからも称賛を得て、これを追い風とした。その人類史の背理とは、相似形のごとく土地拡大図絵、排他的覇権図絵を歴史に描き続けることであった。その図絵は、時代を越えて変色することはなかった。いずれ詳述することになるが、そのアメリカ覇権主義の全容は、人種差別構造さえも飲み込んで、形式主義的論理性と論理的整合性を与えられ、アメリカン・デモクラシーをうたいあげることに収斂する。アメリカ固有の一元的価値観は骨の髄までしみこんでいる。
アメリカ合衆国は、自ら犯した過去の大罪を糊塗し、開き直り、歴史街道を駆け抜けた。その政治手法の傲慢さと独善は度し難い。それを身近に垣間見ることができるのは、「戦後日米関係」「冷戦時代の反共主義」「反テロ戦争」「中東への軍事関与」など、史実に事欠かない。アメリカ合衆国はやりたい放題をやってきた。
世界金融資本主義の破綻と、貧富の世界的偏在は、資本主義的生産様式における市場原理主義がたどりついたひとつの帰結点である。世界の15%(約1/7)の人々が「飢餓!」に苦しんでいる。にもかかわらず、世界一の大富豪は、1万円札が路上に落ちていても、それを拾うに値しないという計算になる。いまや、劇画が現実を活写してくれる。
アメリカ流のやり方が厳存し続けた。この事態は驚嘆に値する。この事実から目をそらすべきではない。いまこそ、アメリカデモクラシーという観念形態としての思想的、論理的、政治的呪縛から自他ともに解放されるべきである。これが政治的社会的歴史変革へのイデオロギー的再生の道である。以下の5項目は、歴史からとりだした断層に過ぎない。「アメリカ帝国史論」の序論としたい。
1、アメリカの「戦争中毒症候群」の数値化: アメリカは過去200年間に年間平均1.3回の「対外軍事行動」を行なってきた。
2、アメリカ軍事支出予算総額: 第2次大戦直後から21世紀までの過去56年間の国防費累計は「1845兆ドル」(時価為替100円、18京4500兆円)である。
3、約30年前の大統領教書: アフガニスタン侵攻は、主語を入れ替えるだけで、その
政治的意図を自ら語ってくれる。
4、ワシントン新聞特派員からのコラム「ウソつきアメリカ人」: 「戦争は倫理的に問題なし」という論理は、いわば、多数派市民の世論として成立するかも知れない。
5、日本覇権主義の基本構造と歴史に演じた虚妄性: ヨーロッパ覇権主義に対する「日本型対抗覇権主義」は、古代有史以前にまでさかのぼってその類似性として考察されなければいけない。
◇ 概説
(1) アメリカの「戦争中毒症候群」の数値化
アメリカ帝国の軍事的実像を数値化すればどうなるか。アメリカ合衆国が建国以来行使してきた「対外軍事行動(戦争)」の回数、頻度、数値は驚くべき高さを示している。合衆国初代大統領ジョージ・ワシントン就任の10年後(1798年)から、第43代ジョージ・W・ブッシュ時代(2000年)までの過去「202年間」にわたる「対外軍事行動」(戦争)は、実に「263回」という数字を計上している。(注1)
この資料をもとに計算すると、アメリカ合衆国の対外軍事行動(戦争)の回数は、年間平均「1.3回」のペースになる。アメリカはこのように驚くほど高い頻度で、戦争を繰り返してきた。その戦争史の背後には、アメリカ覇権主義国家の闇が果てしなく広がっている。その闇は現在に至るまで切れ目がない。
その対外軍事行動の数値には、対先住民戦争(対インディアンの白人戦争)はふくまれていないと思われる。この対インディアン殺戮戦争も規模の壮大さにおいて過去の人類史上に例をみないものであった。その戦争の回数は、ある資料によれば「メイフラワー号入植」(1620年)から起算して、「フロンティア消滅宣言」(別名「先住民掃討終了宣言」1890年)までの約268年間までに、42回以上、平均すれば6年5ヵ月に1回という記録がある。(注2)
だが、この数字はけた外れに過小であり、歴史の偽造というべきである。アメリカ陸軍の別な資料によれば、18世紀末~19世紀末までの最後の約90年間だけでも、対インディアン戦争「交戦記録」は「約8600回」(年間平均95回、3日に1回)を記録している(注3)。この交戦期間として起算した時期は、独立戦争終結から約20年後から始まっている。それ以前の17世紀までの160年間は交戦記録から除外されたものである。厳密にいえば、この交戦記録の最後の90年間は対インディアン戦争の全期間でみると3分の1に過ぎない。参考までに、交戦記録の総数を先の交戦記録の3倍増と仮定すると、単純に推計すると、総交戦回数は2万回を超える計算になる。
後に詳述するが、この最後の90年間の対インディアン戦争が幕を開けた時期は、フランス・ナポレオンから、ルイジアナ、ニューオリンズのすべて、ミシシッピ川全流域を1500万ドルの即金で買い取った時期であった。この強奪に近い「商取り引」によって、既存の210万km2の領土は一挙に倍増した。ヨーロッパと並ぶ広さ400万km2に拡大した。そのために、次なる西部拡張への懸念と阻害要因はなくなった。まもなく次なる「領土倍増」を目指したインディアン掃討作戦が戦端を開いた。
先住者インディアンは戦争のたびに「部族共有地」(居住地)を奪われ、そのまま白人入植者の「領土」に組み込まれた。この「対インディアン白人戦争」の残忍さは、次の歴史の事実が象徴てきである。最小「数百万」~最大「2000万人」といわれる北アメリカ大陸先住民人口が、最悪「25万人」という衰滅の危機に追いやられた。生存率は「1.25%」ということになる。
参考までに、以下、その推移の概況を示しておこう。先の極端に過小な「対インディアン戦争」の数字を用いて、戦闘回数にみる戦争頻度の推移の変化を解析すると、ひとつの傾向がみえてくる。資料が過小であることを考慮すれば、実数は数十倍、数百倍かも知れない。時代区分は3期である。
① 入植期以後、141年間(1622~1763年): 10年に1回。
② 建国期以後、62年間(1775~1836年): 5年に1回。
③ 連邦確立後、29年間(1861~1890年): 2年に1回(「交戦記録」では60回だから、12日に1回)。
この歴史過程は、アメリカ合衆国が背負い続けなければいけない歴史の原罪である。にもかかわらず、その原罪を歴史に封印してきた。しかも、戦争史がたどる通有の軌跡・蛮行を描きながら現在に至っている。
数字を補足しよう。44人の大統領のうち、11人が軍人出身であった。その戦争指導者は軍服、背広を問わず、言葉を粉飾の小道具にして、「建前」「理屈の正当性」をたくみに演出するという役割を演じてきた。それが最高権力者に求められた唯一最大の資格と条件であった。のちに詳細に論証するが、アメリカ合衆国が開戦することによって他国へ貢献したとされる「戦争貢献史」に関しては、厳密な検討を加えることが必要である。歴史観が貢献史に直結している戦争は、多くはないないだろう。
アメリカ合衆国が「解放のため」「自由のため」「民主主義のため」「正義のため」の戦争として掲げた星条旗のウラには、ことごとく本音や真意が隠されていた。あらゆる政治的言辞はたんなる理屈の整合のために費やされたに過ぎない。星条旗は、いわば帝国の域内に向けて開戦の熱狂をかきたてるための扇情的言辞の代替え物である。このいい方は決して誇張ではない。
あの粗野な大統領ジョージ・W・ブッシュによる「狂言まわし」は、その身近な典型例である。「わが国はもっとも偉大な正義の勢力である」(注4)とは、ジョークに等しいほどに滑稽である。すべての戦争の動機と目的の背後には「国益」「民益」「個欲」があった。このことを全否定するまともな論理はどこにも見当たらないだろう。
「正義」の裏には、例外なく合衆国の域内外に向けた覇権主義があった。にもかかわらず、このたぐいの滑稽さが国内ばかりか、国外においてさえも物質力に転化してきた歴史の事実を見逃すことはできない。その事実自体が、事態の深刻さを示している。いまも、その構造に変りはない。
戦争史に関しては大幅な値引きが必要である。18世紀中期の第1次独立戦争、19世紀初期の第2次独立戦争、19世紀中期の米墨戦争、19世紀末期の米西戦争、さらには20世紀の第1次大戦、第2次大戦などを筆頭に、アメリカの戦争に対しては厳密な歴史評価が必要である。先に引用したアメリカ国際政治学者チャルマーズ・ジョンソンは、21世紀のアメリカの軍事帝国像を以下のように描いている。ジョンソンが指摘したいことは、アメリカ合衆国の目的は世界支配であり、それを支えるのが軍事基地であり、その背後には「悪徳」「犠牲」が伏在しているといいたいようである。
「アメリカ国民は多くの場合、自分たちの政府が全世界に軍事基地を置いていることを知らない。南極以外のあらゆる大陸にはりめぐらされたアメリカ軍基地のネットワークが、実は新しい形態の帝国を築いていることを認識していないのである…」
「わが国は、50万人以上の兵士やスパイ、技術者、教師、扶養家族、民間の請負業者を、他の国々や全世界の海に配備された10数個の空母任務部隊に派遣している。領土の外で、無数の秘密基地を運用し、自国民をふくめた世界中の人々が、なにを話し合っているか、ファックスやEメールでどんなことをやりとりしているかを監視している。全世界を包囲するアメリカの軍事施設や諜報施設は、民間企業に利益をもたらし、いっぽう民間企業の方は軍隊のための武器を設計製造したり、辺境の地に駐屯地を建設し、維持するための業務を請け負ったりしている。そうした請負業者に与えられた仕事は、帝国の軍服を着たメンバーたちに、心地よい住環境を与え、食事をたっぷりと用意し、手ごろで楽しい休養施設を提供することである。アメリカ経済のあらゆる分野が軍に売り上げを依存している。例えばイラクに対する2度目の戦争の前夜には、国防総省は「日焼け止め」を27万3000本発注した。これは1999年の受注数のほぼ3倍にあたる…」。(注5)
同じ著者は別な著書で次のように記述している。
「海外の軍事基地に勤務したことのないアメリカ人には、その衝撃的な実態はほとんど知られていない。沖縄などの米軍基地には、大規模な軍事施設をはじめ、郵便局、家族住宅、水泳プール、ゴルフ場、バー、ストリップ劇場、売春宿、性病専門の診療所などがもうけられている…。1992年にアメリカ軍がフィリッピンから撤退するまで、スーピック湾の米軍基地に隣接するオロンガポには「娯楽」産業以外の産業は存在しなかった。その『娯楽』産業でおよそ5万5000人の売春婦が働き、2182の登録施設がアメリカ軍のための『休養とレクレーション』を提供していた。アメリカ国内における婦女暴行事件は10万人につき41件だが、沖縄の米軍基地では10万人につき82件である」。(注6)
(2)過去のアメリカ軍事支出総額の概況
アメリカ商務省「アメリカの国防費」統計(注7)によると、2000年度の物価・為替を基準にした1947年~2003年(第2次大戦直後からイラク戦争)までの、過去56年間の国防費累計は「1845兆ドル」である。円に換算すれば、支出総額=「18京4500兆円」(時価為替100円)である。この過去57年間の「国防費」という名の対外軍事行動を含めた軍事予算総額は、2000年度日本国家予算総額で計算すると、実に「21.6年分」の予算総額に相当する。さらに、年平均に換算すると、2000年度日本国家予算総額の38.5%を「覇権=侵略費」に毎年計上し続けたことになる。その計上予算総額は「アメリカデモクラシー」の実態を数値化したものといいかえることもできる。政治的野心を実現し、その邪悪な意図を貫徹するためには、戦争=暴力行使という最終的な強制手段を行使するほかにはない。まさに「戦争とは、他の手段による政治の延長である」(クラウゼビッツ『戦争論』)。この戦争命題はアメリカ合衆国の戦争の歴史が、覇権の行使の歴史であることを雄弁に物語っている。
戦争の原資は、土地略奪に加えて、域内の通常労働や奴隷労働がもたらした冨だけではない。戦争が、戦争を保証した。その戦争経費の財源は、第1次独立戦争、第2次独立戦争、黒人奴隷導入、南北戦争をふくむ第1次、第2次アメリカ産業革命の時代から積み上げた原資である。その後、第1次大戦、第2次大戦までの2世紀半以上にわたる強蓄積によって吸い上げてきた独占的冨は、戦費を賄うに十分であった。
戦後も、ドルを基軸通貨にして、その特権に見合う以上の世界の冨を吸い上げることによって、白人帝国の旺盛な消費需要を賄うに十分な世界市場を創出した。それは世界的規模のドル環流の仕組みである。先の統計が示している戦後58年間の戦争支出総額は、経済的ドル支配、政治的収奪形態を維持するために必要な経費であった。明らかに戦争がもたらす利得は、その経費を上回り、戦争の収支決算は帳尻があった。失ったものは兵士や市民の命であった。
原爆の開発費も戦争に必要な経費の一部である。その大量殺戮兵器は、市民30万人の頭上で炸裂した。ナチスのホロコースト(数100万~1000万人)にも匹敵する。ところが、あれほどの反生命体的な爆弾を投下しておきながら、この蛮行を「アメリカの正義」と強弁する。
「アメリカ人は広島と長崎への原爆投下を正当化した。戦争を終らせるために原爆を使用し、その結果として日本本土への侵攻が避けられ、沖縄戦のような大量殺戮を繰り返さずにすんだとすれば、原爆投下は正当化してあまりある、とアメリカ人は主張した」。(注8)
だが、沖縄戦における米軍戦死者は「約1万2000人」であった。数字の問題ではないとはいえ、果たしてあの蛮行を償う悪行がどこに存在していたのだろうか。第2次大戦末期、あの天皇制軍事ファッシズムの末路は、すでに風前のともしびあった。アメリカはこの時点における軍事的力学関係を十分に知悉していた。にもかかわらず、あえて「悪魔的所業」を頑固に選択した。ソ連占領に先駆けて、軍事的占領策を優先させたのである。これが歴史の真実というべきだろう。
そもそも、アメリカ合衆国の側には、人類の戦争史上未曾有の「究極の野蛮」を演じる資格も、権利も、理由も、根拠も存在しない。アメリカはナチス同様の人類史的背理を過去の歴史のなかで、平然と演じてはばからなかった。その覇権主義にこめられた傲慢と独善を装う外皮の典型が「アメリカデモクラシー」である。原爆投下という蛮行とその居直りは、その原像と重なる。
さらに、第2次大戦はそれ自体が本質的に覇権争奪戦である。米英ソ独日各国の大義をもってしても、「真のデモクラシー」という意味の人類史的正義をめぐる戦争ではない。たとえば、植民地民族解放革命戦争を例外として、帝国主義列強の戦争を「反ファッシズム戦争」と定義づけることは欺瞞である。「プロレタリア独裁」(レーニン)、「永続・世界革命」(トロツキー)、「一国社会主義」(スターリン)へという覇権主義的変質をとげて反革命に帰結した「反ファッシズム戦争論」は、共産主義イデオロギーを厚衣装したに過ぎなかった。それは止揚されるべき対象である。ソ連・東欧型社会主義の結末が、歴史を予見したかのごとくである。
さらに付言すれば、アメリカ合衆国においては建国以来、帝国への野望を手控えるという選択肢はもたない。大陸中央線に止まるという意見もあったが、立ち止まることはなかった。それどころか、蛮行に秘めた野望の先は陸地だけではなかった。果てしなく広がる太平洋があり、ユーラシア大陸があり、西方の果てがあった。
真珠湾の挑発を待って開戦へと国内の熱狂をかき立てた。さらに、9/11を口実にしてアジア・ユーラシア大陸の内陸部の奥深くまで支配を遠望し、それを実現することが戦争目的であった。身勝手な理屈と価値観、強欲の実現という歴史そのものが「アメリカデモクラシー」の本質であることを隠そうともしない。いまや、アメリカは「ガン細胞」のように、世界を蝕んでいる。アメリカは決して「意外な歴史」(注9) を演じてきたのではない。アメリカは「必然の歴史」を演じただけである。
(3) 約30年前の大統領教書
第39代大統領(人権派!?)ジミー・カーターの「1980年度大統領年頭教書」を再録することは、決して無意味ではない。アメリカ上下両院に提出したその年頭教書は、赤裸々な帝国の野望を内外に宣明した。その自己開示こそは、現代史において演じ、以後も演じ続けた悪夢の意味を、満天下にさらした。その時期はあの「東欧社会主義」の劇的自壊に先立つこと「10年前」である。その東欧型社会主義崩壊後には「9/11」が突発した。アメリカはそれを口実に「中東湾岸戦争」「反テロ戦争」「イラク、アフガン」侵略戦争へとつきすすんだ。強力な軍事力を背景に、世界一極支配をめざした。教書はその見事なまでに、あからさまな予告宣言となった。その理由と根拠を示すには、以下に引用する年頭教書のなかの主語「ソ連」を「アメリカ」に置きかえるだけで十分である。
「ソ連が強大な軍事力をアフガニスタンにたいして行使したことは、世界の平和に対し第2次大戦後もっとも深刻な脅威である。アフガン革命に介入した今回のソ連の行動は…世界の平和に対する深刻な脅威である。世界が平和に過ごせるか、国際規模の紛争に突入するかの決定において、米国とソ連との関係は過去30数年間でもっとも危険な状態にある。」
「…ソ連軍のアフガニスタン侵略によっていま脅かされている地域は、大きな戦略的重要性をもっている。同地域は、世界の輸出可能な石油の3分の2以上を埋蔵している。アフガニスタンを支配しようとするソ連の努力は、インド洋から300マイル以内、ホルムズ海峡の間近までソ連軍を進出させたが、そこは自由世界の大半が通過しなければならない水路なのである。ソ連はいまや、中東石油の自由な移動に対する重大な脅威となる戦略的な位置を固めようと図っている。」
「…ここで米国の立場を疑問の余地がない形で明確にしたい。ペルシャ湾岸地域を支配しようとする外部勢力のいかなる試みも、米国の死活的な利益に対する攻撃とみなされるだろう。そうした試みにたいしてわれわれは、軍事力をふくむ必要な手段を行使して撃退する」(注10)。
この1980年大統領カーター教書によると、アメリカ合衆国は東欧型社会主義崩壊の10年前から、アフガニスタン、パキスタン、イラク、イラン、ウクライナ、中央アジアに対して侵略戦争を射程に入れていたことになる。
これらすべての過去の史実を現在的にふりかえってみると、ひとつの歴史の真実が浮彫りになる。ある歴史局面に残された足跡・言辞の欺瞞性は、その後の歴史過程が雄弁に立証してくれる。すでに、10年以上も前の早い時期から覇権主義的、帝国主義的な戦略的青写真を描きあげていた。アジア内陸部奥深くに位置する一国民衆の命運さえも、自国の安全保障・国防・国益に直結させていた。教書がいう「自由世界」とは収奪、貧困、格差からの「自由」を意味しているに過ぎない。その論理の延長線上に世界一極支配への壮大な野望を秘めていた。その野望を公然と世界に宣布したのである。
(4)ワシントン新聞特派員からのコラム「ウソつきアメリカ人」
以下の引用は、帝国の域内を蝕んでいる、現代アメリカ社会の「病める断層」を示している。ある少女は作文コンテストに優勝した。「パパはイラク戦争で死にました」というフィクションを作文にした。だが、そのウソはすぐにばれた。「パパは戦死者名簿に記載されていなかった」からである。「作文」を手伝った母親は「戦争に勝つためには何でもしようと思った」と、テレビで言い訳をしたという。コラムは続く、
「米国は人口の8割がキリスト教徒。ウソは聖書の十戒の一つのはずなのに、何とも軽々とウソをつく。…06年、カリフォルニアの研究所が高校生3万6000人を調査したところ、42%が『成功するため、時にはウソやだましも必要』と答えた。過去1年間で82%が親にウソをつき、60%がカンニングし、33%がネットから宿題をコピーしていた――という。大人も負けてはいない。従業員の75%が職場から金品を盗んでいる。管理職の57%が応募者の履歴書に学歴や経歴の詐称を見つけた経験がある。米国市民の2割以上が『脱税は倫理的に問題なし』と思っており、脱税による国庫の損失は年間2500億~3000億ドル(27兆~30兆円、為替1ドル=100円:引用者註)と推定されている。ウソがはびこる理由として、『競争社会で、人を出し抜く必要がある』という説明や『勝者に利益が集中する社会構造が、ズルをしても勝とうとする欲求を生み出す』という分析もある。…欲望は倫理観を上回るのか、身勝手なだけか、ウソつきは絶えない。…米国が衰退する場合、原因のひとつはウソの蔓延ではないか、と思っている」(注11)
このたぐいのウソは、自分自身の心の内奥にひそむ瞬時の即興のウソとは全く異質であり、これも「自由世界」「競争社会」の帰結である。また、この引用文のなかの「脱税」という単語を、「戦争」におきかえて「戦争は倫理的に問題なし」という、あの多数派市民の回答を引出したとしても、決して不思議ではない。この思想的、道義的荒廃の根深い背後では、逆に、その破局を突き抜けようとするマグマが生み出されている。「米テロ4割が米国民」という意外で突飛な新聞見出しが2011年新春の1面トップ記事のタイトルを飾った。米司法省国家安全保障部(NSD)によると
「09年~10年にあった米国を標的にした未遂をふくむテロ事件で、米当局が訴追した126被告のうち約4割が米国民だった」と報じている(注12) 。その記事は、イスラム原理主義という異端の宗教的動機に擬せて、その数字を説明しているが、それ以上の論及はない。
いずれにしても、アメリカの闇は底なしである。「病めるアメリカ」はいまや骨の髄まで冒かされている。この社会病理学的現象は決して不思議な現象ではない。人類が刻んだ足跡が「人類の歴史物語」であるように、ヨーロッパからアメリカへとつながった歴史も、その歴史物語の1ページであった。この歴史の人類史的継承性は、「古代史」「ヨーロッパ近世史」「アメリカ帝国史」へとつながる歴史物語の固有種として世界遺産に登録されるべきだろう。そして、その歴史の相関性を論考の対象にして、厳密な検証を加えることによって「歴史の真実」を取り出すことができるだろう。
「アメリカ帝国史」におけるキーワードは、語彙に不足はない。「仮構」「虚構」「虚妄」「擬制」「欺瞞」「背理」「卑劣」「野卑」「悪辣」「低劣」など、当てはまめる言語にあふれている。その歴史が演じる仮構性は疑いの余地がない。その裏側には、アメリカ建国史の「二重性」がいたるところに叢生している。アメリカ帝国史は、この二重性を、徹頭徹尾、帝国存立の与件にして、現在にいたっている。
資本主義を「自由主義」におきかえるとすれば、貧困からの自由、格差からの自由である。市場原理主義を駆動軸にして、その独自の法則性と論理体系に基づいて、自己実現を目指してきた。その自己実現のための、生産・消費・生活実現形態を保証した社会的形態が、資本制生産様式であった。その仕組みが露呈する二重性は、いわば「病めるアメリカ」の裏面にみる必然の矛盾であった。詳細は続編となるが、現象的には「一つのことの二面性」(香村正雄)として己の相貌を、もうひとつの鏡に映し出している。その実相の一端をえぐり出すことの意味を、再度、アメリカ史の始原のなかに求める作業は、有意義である以上に、必要不可欠である。
(5)日本覇権主義の基本構造と歴史に演じた虚妄性
和製覇権主義の歴史の詳細を論じるには、別稿が必要である。ここでは問題提起にとめおきたい。いうまでもないが、アメリカ帝国史は日本の近・現代史との相関において検証されなければいけない。たとえば、第2次大戦におけるアメリカ・ヨーロッパの覇権主義に対して「対抗覇権」という覇権主義を対置したのが日本の近・現代史である。この後発日本型「対抗覇権」(後発覇権)に対する批判は、過去、現在においても剔出しなければいけない歴史課題である。
つまり、天皇制ファッシズム下におけるその支配構造、目的、結果に関して、正当な歴史認識を獲得するためには、2つの覇権主義に対する相互媒介的な捉え返しが必要である。本来ならば、真の意味での「反覇権主義」「反帝国主義」という国際主義、国際連帯の立場からの、国境を越えた批判・自己批判・相互批判が必要である。また、20世紀は植民地独立闘争、民族解放・革命戦争の時代であり、その死闘が勝利をかちとる時代であった。これとは対蹠的であるのが、帝国主義本国、資本主義本国における階級闘争の不在というに等しい惨状は重要である。
その根元的なひとつの要因は、マルクス以来のアメリカ覇権主義に対する、半ば伝統的な理論的武装解除という歴史認識上の致命的な欠落があった。
先にもふれたが、コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)の公式見解は「第2次大戦はソ連の参戦によって反ファシズム戦争に転化した」(ソ連共産党アカデミー編)とした。そのうえで米英仏連合軍を「解放軍」として、これを等号で結び、「占領軍=解放軍」と規定した。それだけではなかった。戦後日本階級闘争史、社会運動史の不毛もそのたぐいの論理と路線の延長線上にあった。
また、あの「ソ連型覇権主義」「一国社会主義革命論」の誤謬とその無残な敗北(東欧型社会主義崩壊)という歴史の結末に関して、その致命的欠落がもたらした原因の一端を、覇権主義大国アメリカ史が演じた仮構性に対する根底的な批判の欠落に求めるべきである。こう断定する理由は明快である。過去において余儀なくされた革命の「敗北」「蹉跌」「変質」「改良」なども、アメリカ帝国史との相関性を不問にしては総括できない。にもかかわらず「社会帝国主義論」(社会主義の名を僭称する覇権主義)に一般化させ、短絡化させることによって、覇権主義の歴史をめぐるイデオロギー批判、戦略綱領論争の明確な基軸を措定することができなかったからである。
その種のイデオロギー論争の不毛性を、逆な立場(その対極)において自己を演じきったのが、日米支配階級である。戦後55年体制の確立は、戦後との決別であり、保革共存時代の幕開けであった。保守は日米同盟を掲げ、革新はアメリカ型「戦後デモクラシー」と憲法9条を額縁に飾り、これを大義とした。日米安保条約に反対した60年安保闘争の高揚は、その「擬制デモクラシー」の存在証明に止まった。アメリカ覇権主義の本質を見抜くことはなく、反共、非共随伴者に止まった。真の民主主義(永久革命)を問い続ける「民主主義の体現者」ではあり得なかった。その代償が、ハワイに次ぐ51番目の「準州」というにも等しい「日本列島浮沈空母」(GHQリッジウエイ)の沖縄基地である。これが沖縄基地73.8%という数字の意味である。残る26.5%の意味も不問にすべきではない。
疑いなく、過去、現在においても沖縄はアメリカ覇権主義にみる極東のシンボルである。沖縄基地の存在自体が、戦後の従属・依存・相互関係の下で確立した「覇権の共有」「合作覇権」「同盟覇権」の証である。その「合作覇権」の実態は経済的従属関係から相互依存関係へと移行し、その関係性を基礎にした軍事的同盟を主柱とした日米安保体制であり、これが現在の「日米同盟」の根幹をなしている。
このような日米安保体制の存立を保証した直近の歴史の始端は、すでに、明治維新以後の日本近代史が歩んだ歴史過程にあった。日本の対抗覇権は「立憲」君主制のもとに、天皇制軍事専制支配を強行した。天皇の赤子(皇民、臣民)論、万世一系、排外主義思想をイデオロギー体系として、国民国家総力戦を展開した。覇権主義の矛先は、隣国の「朝鮮」(蔑称・鮮人)」「中国」(蔑称・チャンコロ)」であり、この隣国を服属と侵略の対象に、域内の本国性(民族主義、排外主義、民益、国益)をかきたてて、後続覇権大国の大合唱であった。さらに、その強欲は「大東亜共栄圏」を名目にした東南アジア全域にまで足をのばした。だが、国境の外縁部は、すべて異文化・異宗教をもった異民族国家であり、しかも、別な覇権を求めるライバルもいた。先行覇権と対抗覇権との激突が第1次、第2次大戦の基本構造であり、2つの戦争の本質であった。
このように西欧帝国主義の覇権に対抗した、日本の「対抗覇権」を合理化する歴史観が台頭しつつある。諸列強と同質の盗賊行為に対して、「3分の道理」というたぐいの理屈を適用して、過去の蛮行を合理化して開き直っている。それは、過去の歴史の教訓を学ぶ努力を放棄するという愚行を意味するだけではない。過ちの再現につながる。「日本型覇権構造」にみる服属・征服・侵略のルーツの解明が浮き彫りにしてくれる。過去の歴史に正面から向き合う人類史の解明が必要である。それに、歴史は何よりも雄弁に自己を物語る。結局は、古代史にまでさかのぼることになるだろう。
覇権主義は、遠い日本の過去の歴史のなかにも「歴史の原罪」として根在している。その実態は歴史に演じた日本的仮構ともいえる「域内の本国性」に端を発している。そこにおいては、差別・異端・異族の服属、民族主義、排外主義、個欲、民益、国益という強欲を内包させ、イデオロギー的原基をなしている。この「域内の本国性」は、それが対内的であるか、対外的であるかを問わず、他者に対する支配、強奪、服属をともなっている。たとえていえば、海中深く活動する「熱水バクテリア」を糧にして生きのびてきた不思議な海中生物の「人類史版」ともいえる。以下は、日本型覇権構造の概略項目である。
① 有史以前:「毛人」 「土蜘蛛」 「熊襲」などの石器・縄文時代の先住民への服属を先史として、「倭国」「倭人国家」を形成し、朝鮮侵略を行った。やく700年間、27回、BC50年~AC660年、『新羅本紀』、卑弥呼の時代をはさむ。
② 古代史: 日本(大和)統一国家形成。7世紀・総延長6300km古代道敷設開始。
③ 中世紀: 貴族・武家政治、戦乱・戦国・国内統一時代。
④ 16世紀:「アテルイ」服属、「蝦夷地」「アイヌ」討伐、秀吉朝鮮出兵。
⑤ 17世紀:「薩摩の琉球侵攻」。
⑥ 19世紀: 「台湾出兵」(高砂族)、「北方・領土進出」。
⑦ 20世紀: 第1次、第2次大戦、極東・東南アジアへの覇権行使。
このような歴史系譜に対して、これを根元的に再検証していく作業が必要不可欠である。この作業を手抜きすることは、偽装の歴史に厚化粧を施すということ以上に、域内、域外、地域性、民族性、文化・習俗、宗教性の枠をこえた、世界性として包摂されるべき未来史への志向を自ら断ち切ることになる。また、確固とした歴史観を獲得するためには、この伝統的な「日本型覇権主義」(帝国主義本国における域内の本国性、排外主義)に対するイデオロギー批判が必要である。その批判をどこまでも自己貫徹することができないかぎり、イデオロギー的混迷のアポリアから抜け出すことはできない。止めどなく歴史への背理を繰返すことになる。その作業は本稿の続編となるだろう。 (執筆 2011年1月)
参考文献
(注1) 『アメリカの対外軍事行動〈1798~2002年〉』H・W・Stanley、R・G・Naomi、『アメリカ政治統計必携2001-2002』ワシントンD.C、CQ Press. 2001、引用:古矢旬『アメリカ過去と現在の間』岩波新書。
(注2) 『インディアン戦争』Net)。
(注3) 東岡耐『アメリカ神話の解体』現代書館)。
(注4) 引用:チャルマーズ・ジョンソン『アメリカ帝国の悲劇』村上和久訳、文芸春秋社、以下『悲劇』、02年8/31、クローフォード演説。
(注5) 引用:同上
(注6) ジョンソン『アメリカ帝国への復讐』鈴木主税訳、集英社、以下『復讐』)。
(注7) NET
(注8) ジョンソン『復讐』)。
(注9) 杉田米行『知っておきたいアメリカ意外史』朝日選書)
(注10) 引用:武井昭夫『社会主義の危機は人類の危機』スペース伽耶)。
(注11) 國枝すみれ「風に吹かれて」毎日新聞09年1/28)。
(注12) 毎日新聞11年1/7日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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