弁護士自治とは、人権擁護を職責とする弁護士の重要な砦である。

産経新聞の記者から、以下のメールをいただいた。趣旨は、インタビューの申込みである。

「先生に取材をお願いしたく、連絡させていただきました。
弊紙では、今年4月から、「戦後72年 弁護士会」という企画を掲載しております。 弁護士会の戦後の歩みを振り返るというもので、これまでに以下のようなテーマ・概要で記事を掲載いたしました。

第1部 政治闘争に走る「法曹」=近年の会長声明や意見書などから安全保障など各分野への日弁連の姿勢を考察
第2部 左傾のメカニズム=日弁連会長選挙など弁護士会の仕組みを紹介
第3部 恣意的な人権・平和=拉致や国旗国歌など戦後の各問題への日弁連の姿勢を考察
第4部 左傾の源は憲法学=東大法学部が牽引した戦後憲法学が現在の改憲議論などに与えた影響を考察

12月初旬ごろから掲載予定の第5部では「揺らぐ土台」というテーマで、弁護士会の地殻変動につながる可能性のある事象を考察したいと考えております。
具体的には、5回構成で、
①法科大学院世代の逆襲…法科大学院出身で「弁護士会の任意加入制の導入」を訴える弁護士が、東京弁護士会正副会長選挙に出馬したことなど
②波乱含みの救済制度…弁護士による横領被害者に見舞金を支払う制度をめぐる賛否など
③日弁連VS新興勢力…ウェブ広告をめぐる懲戒処分や、長野県、千葉県弁護士会への入会を求める訴訟など、アディーレと弁護士会をめぐる対立など
④淘汰される法科大学院…学生募集停止が相次ぎ、予備試験に後塵を拝する法科大学院の苦境など
⑤加速する弁護士離れ、廃業宣言も…司法試験に合格しても弁護士会に登録せずに企業内弁護士として活動するなど
を取り上げたいと考えております。

つきましては、①の記事の関係で、先生に、弁護士自治のあり方などについて、ご意見を伺えないでしょうか。
①では、平成27、28年の東京弁護士会正副会長選挙に立候補した赤瀬康明弁護士(64期)が、
「弁護士会の任意加入制の導入」、「弁護士会費の半減」「委員会活動などの事業仕分け」を訴えたことを取り上げる予定です。
先生は、両年の選挙についてブログで複数回、見解を示されていらっしゃいますが、改めて、
◎そもそも、なぜ弁護士会は強制加入制度をとっているのか(弁護士自治の必要性)
◎「弁護士会の任意加入制の導入」を訴える候補が立候補したこと、また、その得票数などをどうとらえていらっしゃるか
という点について、ご意見を伺えればと思っております。」

ご親切なことに、第1部から第4部までの過去の記事をPDF添付で送っていただいた。いやはや、なんとも凄まじい日弁連に対する「左傾化」批判。さすがは産経、なのである。

きれいはきたない、きたないはきれい。みぎはひだりだ。ひだりもひだり。産経から見れば、全てが「左傾」。そんな産経と私は折り合いが悪い。これまで何度か、インタビューやコメントを求められたが、全てお断りしてきた。「貴紙の論調に違和感がある」「貴紙に協力したくない」と、明確に理由を述べてのことである。

しかし、今回は自分が書いたブログの記事に目を止められての取材要請。自分の書いたものには責任を持たねばならない。そう考えて、インタビューをお受けし、本日産経の記者に会った。

そのブログが、下記のとおりだ。

今年は平穏無事だー2017年東京弁護士会役員選挙事情 (2017年2月7日)
http://article9.jp/wordpress/?p=8108

東京弁護士会副会長選挙における「理念なき立候補者」へ(2016年2月1日)
http://article9.jp/wordpress/?p=6329

野暮じゃありませんか、日弁連の「べからず選挙」。(2016年1月29日)
http://article9.jp/wordpress/?p=6309

東京弁護士会役員選挙結果紹介-理念なき弁護士群の跳梁(2015年2月15日)
http://article9.jp/wordpress/?p=4409

弁護士会選挙に臨む三者の三様ー将来の弁護士は頼むに足りるか(2015年2月2日)
http://article9.jp/wordpress/?p=4313

産経と私の間には、越えがたい深い溝がある。私がしゃべったことがどんな記事になるかは、予想しがたい。産経側の意図がどんなものであったとしても、言うべきことは言っておきたい。

当然のことながら、産経にも言論の自由がある。しかし、率直に言って産経にほめられるような日弁連であってはならないし、私の望むところでもない。

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「そもそも、なぜ弁護士会は強制加入制度をとっているのか(弁護士自治の必要性)」

弁護士の弁護士会への強制加入制度は、弁護士自治と表裏一体の関係にある。弁護士会に自治を認め、行政からの統制を遮断して、会に会員の入退会や指導監督の権限を委ねる以上は、一元的な弁護士管理の必要上、単一の弁護士会に全弁護士の所属が求められる。強制加入は、弁護士自治の当然の帰結なのだ。

ではなぜ、弁護士の自治が必要なのか。ことは弁護士という職能の本質に関わる。弁護士とは、基本的人権の擁護をその本務とする。人権を誰から擁護するのか。まずは公権力からである。弁護士は在野に徹し公権力から独立していなければならない。

弁護士が国民の人権の守り手として公権力と対峙するときに、公権力が、その弁護士の活動を嫌って弁護士の行為を制約し、あるいは身分の剥奪をはかるようなことが許されてはならない。弁護士の身分が権力から独立してはじめて、十全の人権擁護活動が可能となる。弁護士の身分は、権力からの統制を完全に遮断した弁護士団体によって保障されなければならない。これが、弁護士の自治である。

国民の人権は、公権力からだけではなく、資本からも、あるいは社会の多数派からも侵害の危険にさらされる。個々の弁護士が人権擁護活動を行うとき、資本や社会の多数派とも果敢に切り結ばねばならない。そのとき、弁護士会はそのような任務を遂行する弁護士を、こぞって支援しなければならない。そのために、会は公権力からだけではなく、資本からも、多数派からも独立していなければならない。

法は人権擁護のためにある。法がなければ、この世は無秩序な弱肉強食の世界だ。法あればこそ、合理的な秩序が形成され、強者の横暴を押さえて弱者の人権が擁護される。人権侵害に対する最後の救済手段が訴訟であり、訴訟の場において人権擁護のために法を活用する専門家が弁護士である。弁護士とは、そのような基本的任務を負うものとして、社会に必要とされる。弁護士会とは、そのような弁護士の活動を相互に支援することを任務とする。社会的な圧力から、個別の弁護士の活動を守るために、弁護士会がある。

戦前、弁護士自治はなかった。弁護士は司法省・検事局の統制の下にあった。人権擁護の守り手としての弁護士の活動は、司法省によって制約された。布施辰治も、山崎今朝弥も、その弁護活動を咎められて懲戒を請求され、弁護士登録抹消となり、あるいは業務停止となった。労農弁護士団事件では、治安維持法違反被告事件を弁護した弁護士が、共産党の目的に寄与する行為があったとして、有罪となり弁護士資格を剥奪された。これに、弁護士会が抗議の声をあげることはなかった。

これは、一握りの弁護士の問題ではない。もっとも厳しく権力との対峙をした局面における象徴的事件なのだ。その余の弁護士にとっての見せしめでもあった。こうして、弁護士が真っ当にその任務を果たすことのできない時代には、国民の人権は惨憺たるありさまとなった。

戦後、弁護士自身の起案による、新弁護士法が制定された。政府はこれを歓迎せず、閣法としなかった。そのため、49年制定の現行弁護士法は議員立法として成立した。言うまでもなく、新弁護士制度の中心には、確固たる弁護士自治が据えられている。

弁護士自治は、弁護士のためにあるのではなく、国民の人権擁護のためにあるのだ。「自治などどうでもよい」「任意加入でよいではないか」など、弁護士本来の任務を忘れた妄言を、軽々しく発してはならない。
(2017年12月4日)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2017.12.4より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=9559

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/

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