ネット上で、次のような記事を見つけた。すぐに日の丸・君が代強制のことを思い浮かべたが、記事の後半でもこの点に触れている。ただし、この弁護士の「回答」は判例をなぞっただけで説明になっていないと思う。
「朝礼の『唱和』はダサくてイヤだ! 従業員が唱和を『拒否』するのは許されるか?」
弁護士ドットコム 2013年 8月7日(水)21時21分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130807-00000651-bengocom-soci
記事の抜粋
「職場の朝礼で『唱和』を拒否したら、懲戒解雇されてしまった――。そんな男性が解雇の無効を訴えた裁判で、男性の主張を認める判決が7月26日、京都地裁で下された。
報道によると、解雇が無効とされたのは、学校法人平安女学院(京都市)の元職員の男性。2012年9月、男性は朝礼で「理事長の下に固く結束し」という部分の読み上げを拒否して解雇されていた。学校側は「業務に支障が生じた」としていたが、裁判官は「業務に大きな影響を与えたとも言えない」「懲戒解雇は重すぎる」と判断した。」<以下、省略>
会社の精神訓話に恭順することまで強制されるのか?
類似のことで、JALが新規採用社員に対する研修時間の相当部分を割いて稲盛哲学の教本というべき「JALフィロソフィー」をたたき込んでいると知りあいのJAL関係者から聞いている。また、この教本がJALの全社員に配られ、日常的にも全社員、組織を「アメーバ」とみなし、会社利益の追求に駆り立てる精神的同化の手段に使われているという。
上の記事で相談コーナーの回答役の弁護士(大阪労働者弁護団幹事)は、この係争事件に見られたような「行き過ぎた」唱和に対して、おざなりの注意をするだけで、「労働契約上、労働者は使用者に対して労働を提供する義務があります。その関係で、使用者の指揮命令に服さなければなりません」と、指揮命令の範囲を無限定に解釈する、そっけない解説でお茶を濁している。こうした法曹界の体質もまた、ブラック企業をまかり通らせる一因になっているのではないかと思える。
判決文の全文を読まなければ確かなことは言えないが、この種の唱和強制の問題性を、「会社の業務に支障をきたすかどうか」という雇用企業の観点からのみ評価するのではなく、社員以前に人間としての労働者の「自分の意に沿わない言動は拒む」人格権、人間としての尊厳を尊重するという観点が裁判官にあったかどうかが核心的な問題である。労働者は使用者の指揮に従わなければならないとしても、その指揮が、理事長に忠誠を誓い、会社の教祖の精神訓話に恭順することにまで及ぶとしたら、それは労働契約上の義務を越えた人格権の侵害に当たると私は考えるが、皆さんはどのようにお考えだろうか?
会社の「ブラックな」体質は業務にも大きな支障をきたす
なお、百歩譲って、「会社の業務に大きな影響を与えたかどうか」という観点から見ても、大きな影響がなかったと割りきれるわけではない。例えば、JALでは会社更生期間中に165名のパイロットと客室乗務員を整理解雇したが、その後、残ったパイロットや客室乗務員の間から退職者が続出し、深刻な人手不足に陥った。年休すら取れない、昇給もストップの中で、利益追及に社員を駆り立てるJALの体質に嫌気がさしたのが主な理由と言われている。あわてたJALは1審判決後、940名もの客室乗務員を採用した有様である。しかも、解雇された165名を雇用し続けたとしても、それに伴う人件費は解雇当時(2010年度)の営業費用総額の0.1%に過ぎなかった。
このようなJALの事実を例にして言えば、労働者の人権、尊厳を踏みにじって意に介さない企業の「ブラックな体質」は「会社の業務に大いに支障をきたしている」といって過言ではない。
もっとも私の信条を言えば、組織の業務への支障以前に、あれこれの唱和であれ、万歳三唱であれ、前もって用意したシナリオに沿った発言を促す記者であれ、個人の思想・判断に立ち入るおせっかいは大嫌いだ。
「我を送る郷関の人、願ば、暫し其『万歳』の声を止よ。
静けき山、清き河。其の異様なる叫びに汚れん。」
(中里介山「乱調激韵」1904年)
初出:「醍醐聡のブログ」より許可を得て転載 http://sdaigo.cocolog-nifty.com
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.ne/
〔opinion1399:130808〕