1957年からの私の映画記録は、簡略化?されていた。日付と題名と監督名だけで、その監督の名前も書かれてない場合もあるが、今、わかる範囲で補った。字数の関係で、和洋に分けた。ここでは日付を省くが、ほぼ日付順に記した。洋画にはマーカーをしている。
1957年(高2~高3)26(邦画22+洋画4)本
孤独の人(西河克己) 最後の突撃(阿部豊) 真昼の暗黒(今井正)
ビルマの竪琴(市川崑) 夜の河(吉村公三郎) 早春(小津安二郎)
米(今井正) 若さま侍捕物帖・鮮血の晴着(小沢弘茂)
朱雀門(森一生) 満員電車(市川崑) 黄色いカラス(五所平之助)
正義派(渋谷実) 東京暮色(小津安二郎) 雪国(豊田四郎)
柳生武芸帖(稲垣浩) 夜の蝶(吉村公三郎) 足摺岬(吉村公三郎)
雲ながるる果てに(家城巳代治) 爆音と大地(関川秀雄)
鮮血の人魚(深田金之介) 青い山脈(松林宗恵)
風の中の子供・善太と三平物語(山本嘉次郎)
理由なき反抗(ニコラス・レイ )
八月十五夜の月(ダニエル・マン)
ジャイアンツ(ジョージ・スティ―ブンスン)
世界の七不思議(テイ・ガーネット)
受験生真っ盛りながら、ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」「ジャイアンツ」は、見逃したくはなかったのだろう。「米」は霞ケ浦の大きく帆を張った船のワカサギ漁のシーンが印象に残っている。ストーリーは思い出せないが、親子を演じた加藤嘉と中村雅子の結婚、去年亡くなった江原真二郎と中原ひとみが兄妹役で共演、後に結婚したなどというゴシップの方をよく覚えている。
1958年 高3~浪人中 31(邦画21+洋画10)本
二人だけの橋(丸山誠二) 大当たりタヌキ御殿(佐伯幸三)
氷壁(増村保造) 陽気な仲間(弘津三男) 忠臣蔵(渡辺邦男)
恋人よ我にかえれ 宝塚花詩集(白井鐵造)*
陽のあたる坂道(田坂具隆)羅生門(黒澤明) 野良犬(黒澤明)
つづり方兄妹(久松静児) 鰯雲(成瀬巳喜男) 裸の太陽(家城巳代治)
波止場ガラス(伊賀山正光)無法松の一生(稲垣浩) 異母兄弟(家城巳代治)
巨人と玩具(増村保造) 遠州森の石松(マキノ雅弘)
湯島の白梅(衣笠貞之助) スタジオはてんやわんや(浜野信雄)
月形半平太(衣笠貞之助) 黒い炎(西村元男/ドキュメンタリー)
王様と私(ウォルター・ラング)
野郎どもと女たち(ジョセフ・L・マンキウィッツ)
マダムと泥棒(アレキサンダー・マッケンドリック)
殿方ご免遊ばせ(ミッシェル・ボワロン)
OK牧場の決斗(ジョン・スタージェス)
黒い牙(リチャード・ブルックス)
白鯨(ジョン・ヒューストン)
情婦(ビリー・ワイルダー)
三人の狙撃者(ルイス・アレン)
若き獅子たち(エドワード・ドミトリック)
摸試などの合間を縫って、受験生にしては、見ていた方ではないか。これでは、勉強の方は頼りなかったわけである。黒沢の「羅生門」や「野良犬」や戦時中の名作「無法松の一生」(1943年)を見逃すわけにはいけないという気持ちがわからないではないが、どうでもいい?作品も結構見ていた。洋画といってもアメリカ映画だが、かなりの名作を見ていたことになる。マーロン・ブランド、バート・ランカスター、モンゴメリー・クリフト、グレゴリー・ペック・・・。誰もが魅力的に思えた。
この頃、家の商売柄、製薬会社や問屋の招待というのがときどきあって、歌舞伎座、明治座、新橋演舞場などへ、両親や兄たちが出かけていたと思う。*の宝塚公演は、私が生まれて初めての宝塚で、次兄が私の卒業祝いか、予備校入学祝い?のつもりだったか、手配してくれて、一緒に出掛けている。 その頃の日記帳には、こんな歌が書きつけてあった。私の二階の部屋には、ネオンだけでなく、店の向かいのパチンコ屋の店内放送も聞こえていた。短歌会などに入会する前なので、活字にもなっていない短歌で、第一歌集『冬の手紙』にも収めていない。なんだ、ここからの成長があまりみられないではないか。
・受験誌を求めし帰路のウインドにまといてみたき服地の流れ
・極端に襟幅広きコート着る女の吐息は夜道に残る
・窓染める赤きネオンの点滅は風邪に伏したる寝床に届く
・存分に日差しを受けて本探す合否の不安しばらく忘れ
初出:「内野光子のブログ」2023.1.17より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/01/post-abc35c.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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