古い記録の整理をしていると、全く記憶のないメモが出てくる。もう他界されたある大学の教員とかつて話すたびに、そして手紙を貰うたびに、この大学教員は記憶力の低減を嘆いていた。そんなに酷くなるものかと、訝しく思ったことを覚えている。しかし、そうなるものだと、最近実感している。させられているというべきか。今回は、次のようなまるで記憶にない記録が見つかった。
10日ほど前に、近くの図書館に行って、ウィルソン『フィンランド駅へ』を借りてきた(広島の取り次ぎに原著を発注したのだが、何回かのやり取りの後、取次からは、結局「版元で出版中止」という理解し難い連絡が入った。ともかく原著を入手する可能性は当面失われた)。毎日少しずつ読んでいるが結構面白い。今日からはレーニンに関する章に入った。ウィルソンはマルクスにもレーニンにも遠慮はしない。彼らの「欠点」をも淡々と描いていく。それを読んでいるうちに、最近どこかでレーニンに対する手厳しい評価を読んだことを想い出した。ところが、それがどこに書いてあったのか、全く思い出せない。手帳を見て最近読んだ本を確認し、これはとおぼしき本もあったので、その本を書棚から取りだし、ページをめくっても見た。しかし、判らない。ほとんど諦めかけた。これだけでも、「記憶力は弱くなった」と嘆いてしかるべきであろう。
ところが、最後になってそれがどこにあったかを想い出した。今読んでいるこの本の中にあったのだ。この本の末尾に、「後記」がつけられている。原著では「序文」だったが、内容から見てこのほうがいいので、「後記」としたと「訳者あとがき」にある。どういうわけか、この「後記」を借りてきてすぐに読んだ。その中に、この本の最初の版におけるレーニンの描き方が甘すぎるという批評を受けたということが書いてあり、当時「入手できた資料はソヴィエト政府によって正式に認可され、脚色されたものだけだった」という弁解がなされている。そしてそれに続いて、「ようやく最近になって、レーニンのもっと不快な側面を見ることのできる立場にあったある人物の印象記が、ソヴィエト政府の検閲を経ないで公にされた」とし、こうした人物の印象記から、レーニンの「不快な側面」が紹介されている。
そのことを私は完全に忘れてしまっていた。ということは、今読んでいる本の一部すらもう忘れてしまっているということである。驚きを通り越して情けなくなってきた。よほど気をつけなくてはならないということである。少しでも印象に残ったこと、覚えておいておくべきこと、それはその瞬間に、そう思った瞬間に、メモを取っておかなければならない。私もそういう年になったのだ。それを思い知らされた。
以上が古い記録である。レーニンに対する手厳しい評価も含めて、『フィンランド駅へ』は印象に残った本だったはずなのだが、その内容はほとんど覚えていない。自分の頭のなかで「忘れてもいいこと」と判断したのかもしれない。しかし、レーニンに対する手厳しい評価は、それが何時なされたかということも併せて、忘れてはならないことだ。レーニンの死後に、彼を批判することは容易であろう。その生前に彼を批判した左翼の人間たちの多くは決して幸せとは言えない最後を迎えた。そういうことを含めて「忘れてはならない」。しかし、このことをどのようにして忘れないようにしたらいいのか。いまだに答えを見出していない。
エドマンド・ウィルソン『フィンランド駅へ』(みすず書房、1999年)
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