報道によれば、政府は、安定的な皇位継承策を議論する有識者会議を、11月30日に再開し、最終答申の検討に着手するらしい。当ブログでもすでに書いたように、有識者会議は7月26日以来なのである。総選挙を控え、「女性天皇」が争点にならないように、静かにしていたらしい。有識者会議の中間整理に拠れば、女性皇族が結婚後も皇室に残る案と戦後に皇族を離れた旧宮家の男系男子が養子縁組をして皇籍に復帰する案である。
前にも述べたように、この二案とも、私には、「つなぎ」にはなっても、その後を考えると、とうてい皇位が安定的に保たれることには直結するとは考えにくい。とくに、天皇家の存続をのぞむ人たちをも納得させることはできないのではとも思う。
コロナとオリンピックに隠れて~皇位継承、いつまでも結論が出せない政府(2021年7月31日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/07/post-5b9ebe.html
2019年1月1日 新年の儀 共同通信の代表撮影。壮観ではあるが。愛子さんの成年の儀のティアラは、「コロナ禍の国民を思い」新調しないことになったという、相場は3000万円前後らしい。。
そもそも、1889年、大日本帝国憲法で「第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」「第2条皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」としてはいたが、明治以前の天皇には、もちろん女性天皇は10代もあったというし、南北朝時代というのもあった。また、実在したかどうかも分からない神功皇后が天皇として在位していたとする時代もあったらしい。1911年、明治末期に、南北朝正閏論争の末、南朝を正統とする勅裁により落着している。1926年3月、まさに大正末期に宮内省に「帝室制度審議会」のもと「臨時御歴代史実考査委員会」が立ち上げられ、同年10月には、皇統譜から神功皇后が排除されるに至ったという。この辺のことは原武史『皇后考』に詳しいが。私にとってはかなりややこしかった。
これは、1933年生まれの次兄が、疎開先の中学校で使用した教科書『中等歴史二』(文部省著作・発行 昭和19年8月30日)。神功皇后が実在の人物ついて、仲哀天皇の死去後も、九州の熊襲の反乱は、新羅の後援に拠ると察し、「威風堂々新羅に攻め寄せ給ひ、忽ちこれを降伏せしめて、任那の日本府を確立し給うた。・・・」などの記述がある。
明治天皇と美子皇后には、子供がいなかったので、天皇は、複数の側室に子を産ませたが、成人した男子は後の大正天皇嘉仁一人であった。ようやく男系の皇位が維持できたことになる。
大正天皇には、節子皇后との間に後の昭和天皇裕仁以下4人の男子がいたことにより、平成の明仁天皇、令和の徳仁天皇へと続いてきたことになる。日本国憲法第2条で皇位は「世襲」と決まり、皇室典範第1条で皇位継承資格は「皇統に属する男系男子」となっているので、現在は、常陸宮はかなり高齢なので、秋篠宮とその長男の二人に限られる現実に危機感を覚えての政府の対応なのである。しかし、有識者会議とて、前述の二案以上のものは出ないとなると、いずれにしても、なんのために、こうまでして天皇家の存続を図らなければならないのか、という疑問も出てこよう。
天皇家あっての天皇制、天皇制あっての天皇家、いつの時代でも、政治に利用され、翻弄されるされるばかりではないか。強制終了しないまでも、「お家断絶」って、どこの家にも起こり得ることではないか。
なお、以下は、小泉純一郎時代の2005年、「皇室典範に関する有識者会議」の資料ではないかと思うが、それぞれの女性天皇の成立背景の複雑な事情など詳細に調査したものであり、興味深い。
歴代の女性天皇について
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai3/3siryou3.pdf
庭のえさ台には、ことしも、ヒヨドリ、ヤマガラ、メジロがやってきた。メジロの昨日・今日、パートナーを呼んでは、何を話しているのか、「昨日のミカンより甘いかも・・・」。ヤマボウシの葉陰から降りてくるヒヨドリに追い払われることもある。
初出:「内野光子のブログ」2021.11.27より許可を得て転載
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