感想文『金瓶梅』その1  

コロナの世界的蔓延以来ドイツへの旅を控え、年々暑さが加算されている感じのする東京で、出来るだけクーラーを使うのを節約するにはどうすべきかに悩まされながら、地獄の猛暑を、時には近所の図書館の閲覧室で(毎週、金、土、日の三日だけしか利用できない)過ごし、それ以外は炎熱地獄のような猛烈な暑気のこもる西側の書斎で、釜茹での熱さに耐えて居眠りと乱読の日々を送っている。

こんな状態で到底まともな読書ができるはずはない、との思いから、ここ5~6年の夏場はもっぱら長編小説の類、『ドン・キホーテ』や『カラマーゾフの兄弟』、ルソーの『告白録』、バルザック、また「高橋和己全集」等々、特にこのところは「シェイクスピア全集」を読むのを恒例としていた。

しかし今年の暑さはまた異常であり、外出することすら嫌になるほどの炎暑なため、上述した本を読み返すのも苦痛になり、ついにもっと安易に、笑いながら楽しめるものをと探した挙句、中国艶笑小説の古典といわれる『金瓶梅』と『紅楼夢』に行き当たった次第である。

手元には、昔、古書店で購った『金瓶梅』5冊、『紅楼夢』1冊(いずれも岩波文庫)があった。面倒なので、両者を併読してやろうと頁を繰ってみて驚いた。なんと、『金瓶梅』は全10冊本、『紅楼夢』は全12冊というけた外れの大作である。8月か、せめて9月末までにこれらを読みおおせるかどうか、はなはだ心もとない。しかし、そこは蛮勇をふるって、と同時に暑さしのぎができればよいという気持ちから、ともかく読んでみることにした。

正直に申せば、7月いっぱいかけて、双方をそれぞれ3冊半ずつ読むのがやっとだった。それ故、無責任な言い方だが、この感想文もいつ仕上がるかは目下のところ未定である。

ところで、読み始めてすぐ気づかされたのは、これらは「艶笑小説」という体裁を保ちながら、著者は実に見事な、かつ鋭い社会批判、風刺をやってのけているということだ。まさに、イソップ童話やエラスムスの『愚神礼讃』、あるいはラブレーの『ガルガンチュア物語』などに並ぶものと思う。

以下、可能な限りで、これらの書物の面白さを剔抉してみたい、うまく伝われば幸いである。最初は数回にわたり、『金瓶梅』の方を取り上げてその感想を述べてみたいと思う。

中国の四大奇書とその出現時期

「中国の四大奇書」の名前をすらすらと答えられる人は相当な中国通である。『西遊記』と『水滸伝』ぐらいは思い当たるかもしれない。あるいはせいぜい『三国演義』まで言えればよく知っている方ではないだろうか。実はそれにこの『金瓶梅』を加えて四大奇書なのだ。

私自身は、ずいぶん若いころ『水滸伝』(全15冊)と『三国演義』(全10冊)は読んだ。いずれも岩波文庫だった。『西遊記』は、残念ながらいまだ原典の日本語訳に触れたことすらない。これはどうも、子供のころに「孫悟空」の物語などをさんざん聞かされて育った世代のある種の反動(なんとなく知っているという安心感=思い込みから来るもの)であろう。

ヘーゲルに言わせれば、「知っていることeine bekannte Tatsache」は決して認識されたこと(erkannte)ではないのであるが…。

さてそこで、この「四大奇書」は、いつ頃書かれたものであるかが次の問題である。それぞれの物語の時代背景はもちろん異なっている。「三国演義」は、3世紀の三国時代にその範をとって物語られる。「水滸伝」は、12世紀の北宋の徽宗の時代に起きた「宋江の乱」(農民暴動)をモデルにしたと言われる。「西遊記」は唐の時代の三蔵法師玄奘がインドまで仏典を取りに行く物語である。

それでは『金瓶梅』は、どの時代のいかなる背景を描いたものであろうか。はっきりわかるのは、この物語の冒頭に出てくる「武松のトラ退治の話」からである。武松とは、言わずと知れた、かの『水滸伝』中の108人の豪傑の一人である。つまり、時代背景は『水滸伝』と同じく北宋の徽宗の時代ということになる。手近な事典によれば、徽宗の時代とは、「佞臣を重用し、国費を乱費したため民生を圧迫、ついに農民暴動が起きて首都開封が攻撃されて退位に追い込まれ、金(満州族)軍の捕虜となり幽死した」時代である。そしてこの反乱を題材にした『水滸伝』は、明と清の二つの時代をまたいで禁書にされていたといわれる。『金瓶梅』はこれを受け継いだのである。このことは非常に重要なことである。弾圧を避けるには徹底して「艶笑小説」という見せかけ(外被)をまとう以外にはない。著者の名前も「笑笑生」という偽名しか伝わっていないそうだ。

そこで問題を、「いつ頃書かれた小説か」にフィードバックさせてみたい。上記から推測するに、『水滸伝』は(『金瓶梅}は『水滸伝』の後を承けているのであるから、その後にできたものであることは当然である)、少なくとも明の時代以前に書かれたものであるということまでは素人にもわかる。

最近の研究により、おおよその年代を特定すれば、『三国演義』『水滸伝』は明代の初期(14世紀)に、『西遊記』『金瓶梅』は明代の中葉(16世紀)に、そして『紅楼夢』は清朝(18世紀中葉か末葉)に出現したという。

この明の時代は、日本の歴史上では南北朝時代から室町時代、戦国時代にかけてのころに照応している。そして日本では、その時代の文学の主流は、やはり軍記物語であり、また謡曲、狂言、御伽草子、連歌であったという。

西欧と照合してみるとどうであろうか。この時代は西欧でも同様な動乱(事件)が頻発している。マルチン・ルターの「宗教改革」(1517)、そしてルターの権力との癒着に抗して「農民反乱」の先頭に立ったトマス・ミュンツァー率いる「ドイツ農民戦争」。そして時の王侯貴族や宗教界の腐敗・堕落を痛烈に批判した、トーマス・モアの『ユートピア』(彼は反逆罪で処刑されている)、エラスムス、ラブレーの唱えた人文主義(ヒューマニズム)=ルネサンス運動…等々。

世界史的にみてこの時代が、歴史の大きな転換期にあることを改めて痛感する(以前に、ちきゅう座に「マキャヴェリ論」という小論を書いた折にもこのことに触れた)。

小説『金瓶梅』の外観

翻訳者「解説」によれば、「テキストは現存諸本中最も古いとされる『金瓶梅詞話』であり、明の万暦(1573-162o)中期、16世紀の終わりに書かれた」ものから採られたという。

『水滸伝』とのつながりの中でも触れたように、この物語の大きな流れはあくまで「虎退治の武松―その兄で蒸しまんじゅう(餅)を売って生計を立てている貧しく貧相な武大―その妻で稀代の毒婦(亭主を毒殺し、淫婦・姦婦な性格をもつ)潘金蓮―その間夫で徹底した遊冶郎の西門慶の間の葛藤」にあるだろう。しかし、ストーリーそのものは西門慶の破天荒な色恋沙汰、それを支える金力と権力、富豪・権力者の無法で乱脈な私生活上の豪勢さ、それと対照的に、奴隷として虐げられながら主人にへつらう下層民の卑屈さ、悲哀が延々と語られている。このコントラストの妙は、一方でのことさらな贅沢三昧な日常生活の詳細な描写、他方、容姿端麗だけを売り物にして権力者に媚びて、その余禄に与かろうともがく貧民の哀れでさもしい心情、これを執拗な筆致で活写している。つまり、大いなる矛盾に満ちたこの時代そのものを見事に抉り出した作品になっている。

この身分制格差社会に根付く巨大な憤懣が、『水滸伝』の農民反乱、そして体制そのものを変える「革命」へと結びついていくのである。もちろん『金瓶梅』は、その一歩手前で筆をとどめ、巧妙に弾圧を逃れている。

読み進みながらふとシェイクスピアのいわゆる「問題劇」群に思いを致した、また、サッカレーの『虚栄の市』の女主人公レベッカを、更にはバルザック中の人物像などを思い起こした。いずれも既存の体制の深部に届くような問題意識を喚起させるものである。

西門慶は大店の主人で典型的な遊冶郎。それにしてもよく朝から夜遅くまで、これだけ酒を飲み、大量のごちそうを食らい、そして女食(女漁り)にばかりに精を出せるものだとある意味感心する。

周りの女どもは、ひたすら彼の金・権力に縋りついて、上手く生きている感じだ。それぞれの女どもが、割にしたたかだが、中でも淫乱な性格の潘金蓮は、この小説の中では図抜けた存在感を示している。

下男下女(子供に至るまで)は文字通り金銭によって購われた奴隷である。その扱い方のひどさは、何かといえば体罰を加え、場合によっては打ち殺すこともありえたようだ。おそらく、逃亡すれば親も含めて実刑に処せられたものと思える。しかしまた、彼らどうしの間のいがみ合い、罪のなすり合いも大いにありえたようだ。彼らの処世術がそうさせるのであろうが、その性格のずる賢さ、抜け目のなさは、相当なものだ。

各回(章)の話の初めに掲げられる詩文は実に諧謔なもので、ブレヒトの『三文オペラ』を彷彿させる。

登場人物のあまりの多さにも驚かされる。これだけの登場人物を生き生きと描いた小説は『紅楼夢』などの中国古典以外にないのではないだろうか。

序に述べておくと、貴族男女間の愛憎をテーマとして扱った紫式部の『源氏物語』は、(少なくとも時代的な古さにおいては)これら中国の小説の「先駆」であった。だが、私の読みの浅さのせいかもしれないが、『源氏物語』には、以下のような強烈な社会批判は見いだせない。

「…ところで皆さんお聞きください。当時、徽宗の世は、天が下政を失い、奸臣道に当たり、讒侫朝にみち、高・楊・童・蔡という四人の悪者の党が朝廷におって、官を売り獄をひさぎ、賄賂が公然と行われ、金次第で官にのぼり、誰でも金で役人になれる。伝手をたぐって取り入る連中はたちまちよい役にのぼり、有能で廉直の士は何時まで経ってもうだつが上がらず、その結果、風俗は頽廃して、貪官汚吏(たんかんおり)は天下に満ちあふれ、役(ぶやく)が頻繁で賦(ぜい)が重いため。人民は貧窮して盗賊は起こり、天下まさに騒然、奸侫なる輩が台閣にいるためでなければ、どうして中原で血が人を染めるようなことがありましょう。」(3-pp.277-8)

「(西門慶曰く)「大小いろいろな事件を取り調べたがね。ほかのことはまあいいとして、とにかくむやみに取り込むんだな。事が起こると、白だろうが黒だろうが、金が入り次第無罪放免さ、道理もへちまもあったもんじゃない。…」(4-p.111)

悪党の西門にこう言わせるところはまるでシェイクスピアのドラマ(例えば『マクベス』)を読んでいるような感覚すら覚えるのだが、考えてみれば、シェイクスピアも16世紀(1563年生まれと言われる)の劇作家であったのである。

とりあえず今回はこれまで。 

参考文献:『金瓶梅』笑笑生作 小野忍・千田九一訳(岩波文庫1967/83)   2025.8.5 記

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座  https://chikyuza.net/
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