成人式を迎えた若者諸君。成人おめでとう。
君たちは、この社会を構成し運営していくメンバーとしての資格を手に入れた。これからは、この社会の構造や運営のあり方について、大いに意見を述べていただきたい。それによって、社会は変わるのだから。
君たちには多様な可能性が開けている。未来は、君たちのものだ。君たち自身の力で、未来を変えることができる。これから長く君たちが生きていくことになるこの社会をよりよく変えていくのは君たちだ。
若いということはそれだけで素晴らしい。若さとは、理想や純粋の別名でもある。真実や正義を希求し、理想を実現するための行動をいとわない。この社会の虚偽や不正に対する怒りのエネルギーに満ちている、それが若者だ。
この世の不正義、この世の不平等、権力や資本の横暴、人権の侵害、民主主義の形骸化…。平和憲法の蹂躙、核の恐怖、原発再稼働の理不尽、沖縄への圧迫、格差貧困の拡大…。この世の現実は理想にほど遠い。若さとは、この現実を変えて理想に近づけようという変革の意志のことではないか。
ところで、若さとは長い未来に生きることを意味する。社会が今より良くなればその利益は君たちが長く享受することになる。反対に社会が今より悪くなればその不利益は君たちが長く甘受しなければならない。
仮に、憲法が改正されて、自衛隊が国防軍となり、集団的自衛権行使の名の下、世界の至るところでアメリカと共同して開戦するようなことになれば、前線に立つのは君たちだ。周辺諸国と軍備の増強を張り合って抑止力の均衡という恐怖の中で長く生きることになるのは君たちだ。新自由主義という格差と貧困の元凶となる経済政策が続くようなら、一部の例外を除いて君たちの大部分が格差と貧困にあえぐことになる。
自由・平等・連帯・個性の顕現を実現すべく合理的な社会を求めてその仕組みを変えていこうという志向が「革新」の立場。世の中を今程度で良しとして妥協するのが「保守」の立場。現状に満足せず理想を掲げて現実を動かそうとするのが「革新」で、理想は措いて現実を肯定するのが「保守」。
古来、若者は常に革新派だった。純粋に理想を追求するのが若者なのだから。しかし、人は若さを失うとともに、社会のしがらみを抱えることになる。守るべき多くのものが幾重にも桎梏となって、守りの姿勢にはいらざるを得なくなる。その結果、年齢を重ねるに連れて、理想よりも現実、変革よりも現状の維持を選択する心情となる。これが保守化ということだ。
政党は、革新から保守の目盛りの中に点在し、その両極に共産党と自民党がある。これまで、常識的に、共産党の支持者は若者が、自民党の支持者は高齢者が多いと思われてきた。革新的な若者が社会で生きていくうちに保守化して、政権与党を支持するようになる。一昔前までは、世論調査の結果もそう語っていた。
ところがどうだ。昨今は様変わりだという。
昨年10月の総選挙におけるNHKの出口調査が話題となった。私には衝撃だった。自民党に投票した有権者の世代別割合は、20代が50%、30代42%、40代36%、50代34%、60代32%、70代以上が38%だったという。年齢が上がるほど自民党支持者が減っている。つまり、若年層ほど保守的傾向が強く、高年齢層ほど保守支持が弱まるというのだ。常識とは正反対の現実。
もしかしたら戦後の教育は失敗したのだろうか。若者は理想を語ることをやめ、社会を変革していこうという気概を失ったのか。不正義や理不尽を怒るエネルギーを持ち合わせていないのか。ひたすら社会の空気を読み、忖度に長けた成人になっているのだろうか。
「今の程度に就職できることがありがたい。」「無難に働けるなら、それ以上は望まない」「民主党政権時代の混乱よりは、アベ政権の安定が望ましい」というのが若者の言葉だろうか。それが本当のホンネか。願わくは、そのような投票行動は、若者の仮の姿であってほしい。いま流行の「面従腹背」の実行と受けとりたい。
本日成人式に出席の若者諸君。もう、君たちは自分自身の将来のために覚悟を決めねばならない。もう、素直だの忖度だのは不要だ。空気を読むことはやめよう。生涯面従腹背を貫ぬいてもおられまい。現状維持の姿勢から、抜け出そう。もう少しましな、多くの人々にとって居心地の良い、生きるに値する社会をつくるために。
(2018年1月8日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2018.1.8より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=9736
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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