(2022年4月7日)
国立市で開催された「表現の不自由展東京2022」が、4日間の日程を無事に終えた。何ごともなくてよかったという安堵の思いとともに、この国の「表現の不自由」の現実を改めて思い知らされてもいる。
「表現の不自由展東京」は、当初は21年6月に予定されていた。しかし、右翼の街宣車による妨害によって会場側が貸し出しを拒否する事態となり、10か月も遅れての開催を余儀なくされた。今回も、「街宣抗議の中、警察官100人以上が警備態勢に」と報道された厳重な警戒の下、ようやく無事に終えることができたのだ。
この国には、天皇にヨイショする恥ずべき言論や、隣国に対する露骨なヘイトの言論、従軍慰安婦の存在を否定する歴史修正主義の言論の自由は保障されている。しかし、天皇を批判し天皇の神聖を否定する言論や、歴史修正主義を論難して隣国の平和運動との連帯を求める表現は、大きな制約を受けざるを得ない。この国では、表現の「自由」はあるべきところにはなく、あってはならない「不自由」がいたるところに立ちはだかっている。
我が国には日本国憲法があり、その21条は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。保障されているのは、「一切の表現の自由」である。しかし現実には、「一切の表現の自由」が保障されてはいない。国民は、権力者や社会的強者、政治的社会的権威を、思うとおりに批判し得ない。この国は、けっして生き生きと表現の自由を謳歌している状態にはない。
「表現の自由」とは、言いにくいことを、言いにくい人に向かって、遠慮なくものが言えるということでなくてはならない。政権を批判する言論の自由を保障することには大きな意味があるが、政権におべんちゃらを言う自由の保障は意味をなさない。天皇や皇族を批判する表現の自由の保障は極めて重要であるが、天皇や皇族を敬語で語る表現の自由を保障する意味はない。
「表現の不自由展」・東京実行委員会は、そのホームページで「はじめに・ご挨拶」として、こう述べている。
https://camp-fire.jp/projects/view/556785#main
「芸術作品の展覧会を開催できない。表現を発表する場、鑑賞する場が保障されていない。今の日本社会は、私たちが生きていく上で必要不可欠な表現の自由が守られていない、そんな社会です。
日本社会に存在する、排外主義、性差別、植民地支配責任・戦争責任について改めて考えるきっかけを与えてくれるような作品をみなさんにぜひ観ていただきたいと考えています。2022年春、表現の不自由展・東京を実現させるために、ご支援・ご協力を募ります!」
下記の実行委員会の呼びかけにも耳を傾けたい。
「国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」における表現の不自由展展示中止事件は記憶に新しいかと思います。しかし、最初の表現の不自由展は2015年に遡ります。2012年5月に起きた新宿ニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件、同年8月に起きた「慰安婦」をテーマにした2作品の東京都美術館による撤去事件を発端に、表現の自由が侵害されている現状を伝えたいという思いから、各地の美術館・公共施設などから撤去や規制を受けた作品を集め、「消されたものたち」の権利と尊厳の回復をめざして2015年1月、最初の表現の不自由展を開催しました。
それから約7年が経ちましたが、表現の自由が保障された社会になったといえるのでしょうか? 2019年のあいトリでの展示中止事件、2021年の東京・名古屋・大阪の表現の不自由展に対する妨害、会場の使用拒否、中断など、表現の自由が侵害される事件が相次いでいます。
しかし、暴力的な攻撃や妨害に屈しているだけでは表現の自由を守ることはできません。私たち実行委員会は平穏に展覧会を開催し、ご来場の皆さんに心おきなく作品を鑑賞していただきたく、2022年春、東京で開催するため現在準備をしています。開催するためには、警備、弁護団、会場確保などさまざまな経費がかかるため、今回クラウドファンディングで支援金を募ることにしました。」
この実行委員会の努力は、「連日満員、四日間で約1600人にお越しいただきました。」という成功につながり、「開催にご協力いただいた作家、地元市民、ボランティア、弁護士の皆さんに感謝します。表現の自由を保障するということの意味を、皆さんに考えてもらう機会になれば幸いです」という弁となった。
なお、今回の「不自由展」成功には、国立市の協力が大きく貢献している。その国立市は、ホームページに次の一文を掲載した。
くにたち市民芸術小ホールで開催される展示会
に関する市の考え方について
このたび、4月2日から開催される展示会(主催:表現の不自由展・東京実行委員会)について、市民の皆様から様々なご意見が市役所に寄せられておりますので、市としての考え方を、市民の皆様にお知らせいたします。
公の施設であるくにたち市民芸術小ホールの利用につきましては、指定管理者である「くにたち文化・スポーツ振興財団」が、条例・規則等のルールに基づいて承認決定したものです。施設利用については、内容によりその適否を判断したり、不当な差別的取り扱いがあってはなりません。これは、アームズ・レングス・ルール(誰に対しても同じ腕の長さの距離を置く)と、同じ考え方です。
市としましては、多様な考え方を持ったそれぞれの市民・団体が、法令に従い実施する様々なイベント・活動の場として、公の施設の利用は原則として保障されるべきものと考えています。
なお、他の地域で実施された同展示会の実績から、会期中混乱を生じる事が予想されますので、市民の皆様に安心していただけるよう、関係機関と連携し必要な対応をとってまいります。
ご理解のほど、よろしくお願いいたします。
表現の自由を実現することも、容易ではない。努力を重ねて、実績を積み上げなければならない。そのような努力をされた実行委員会と国立市に、敬意を表したい。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.4.7より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=18883
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion11930:220408〕