(2020年8月15日)
8月15日。75年前の今日、「戦前」が終わって「戦後」が始まった。時代が劇的に変わった、その節目の日。天皇の時代から国民の時代に。国家の時代から個人の時代に。戦争と軍国主義の時代から平和と国際協調の時代に。そして、専制の時代から民主主義の時代に…。
その時代の変化は、「敗戦」によって購われた。「敗戦」とは、失われた310万の国民の生命であり、幾千万の人々の恐怖や餓えであり、その家族や友の悲嘆である。人類にとって、戦争ほど理不尽で無惨で堪えがたいものはない。敗戦の実体験をへて、国民は戦争の悲惨と愚かさを心に刻んで、平和を希求した。
再びの戦争の惨禍を繰り返してはならない。その国民の共通意識が、平和憲法に結実した。日本国憲法は、単に9条だけではなく、前文から103条までの全ての条文が不再戦の決意と理念にもとづいて構成されている。文字どおりの平和憲法なのだ。
以下のとおり、憲法前文は国際協調と平和主義に貫かれている。8月15日にこそ、あらためて読み直すべきある。
「日本国民は、…われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果…を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、この憲法を確定する。」(第1文)
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(第2文)
「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(第3文)
とはいえ、日本国憲法を理想の平和憲法というつもりはない。この前文には、日本の加害責任についての反省が語られていない。そして、この戦争の被害・加害を作り出した国家の構造と責任に対する弾劾への言及がない。
「戦争の惨禍」という言葉は、戦争による日本国民の被害を意味する。政府と国民が近隣諸国に及ぼした、遙かに巨大な被侵略国の被害を含むものと読み込むことはできない。日清戦争以来日本が関わった戦争の戦場は、常に「外地」であった。敗戦の直前まで、「本土」は戦場ではなかったのだ。日本本土の国民にとって、戦争とは、外征した日本の軍隊が、遠い外国で行うものだった。その遠い外国に侵略した皇軍に蹂躙された近隣諸国の民衆の悲嘆に対する認識と責任の意識が欠けている。
また、日本の植民地支配・侵略戦争をもたらし支えた日本の国家機構が天皇制であり、その最大の戦争責任が天皇裕仁にあることは自明というべきである。にもかかわらず、日本国憲法は、その責任追及に言及することなく、象徴天皇として天皇制を延命してさえいる。敗戦の前後を通じ、大日本帝国憲法と日本国憲法の両憲法にまたがって、裕仁は天皇でありつづけたのだ。
国民を戦争に動員するために、聖なる天皇とはまことに便利な道具であった。神なる天皇の戦争が万が一にも不正義であるはずはなく、敗北に至るはずもない。日本男児として、天皇の命じる招集を拒否するなど非国民の振る舞いはできない、上官の命令を陛下の命令と心得て死をも恐れず勇敢に闘う。ひとえに陛下のために。天皇制政府はこのように国民をマインドコントロールすることに成功していたのだ。
3代目の象徴天皇(徳仁)が、本日全国戦没者追悼式に臨んだ。主権者国民を起立させての発言の中に、「過去を顧み、深い反省の上に立って」との一節がある。「過去天皇制が自由や民主主義を弾圧したことに顧み、その罪科の深い反省の上に立って」との意であれば立派な発言なのだが…。
また、同式典では、アベ晋三がいつものとおり、こう式辞を述べた。
今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。
この言い回しに、いつも引っかかる。「私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたもの」とはいったいどういうことなんだ。
天皇のための死も、国家のための死も、死はまことに嘆かわしく虚しいものだ。これを「尊い犠牲」などと美化してはならない。天皇と政府は、戦没者とその遺族にひたすら謝罪するしかないのだ。特攻の兵士の死が、レイテで餓死した将兵の死が、東京大空襲や沖縄地上戦での住民の死が、何故「尊い犠牲」であろうか。全ては強いられた無意味な死ではないか。その死を強いた者の責任をこそ追及しなければならない。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.8.15より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=15440
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10030:200816〕