たびたびブログに登場させていただいている被災地H市の知人Aさんから、先日、仙台名物がとどけられました。
半壊した自宅に家族が寄り添い、もはやなんの貯えもないAさんがなけなしのお金をつかって心くばりをされたことに恐縮するより、
なんとも心がゆさぶられる感動をおぼえました。
このゆたかな心情はどこからわきあがってくるのだろうとかんがえるうちに、ふと、映画「大阪ハムレット」のゆたかな心の「ふつうの人たち」を思い起こしました。
それはまた、
落語家仁鶴の「青菜」の植木屋と大工のような心ゆたかな関係を連想させてもくれました。
Aさんも、それらの登場人物も、ツイッター詩をかく詩人とはちがって、おおぜいに発信する言葉はもたないかもしれない。
しかし、
笑うほかないほど貧しいけれど、言うにゆえない、ゆたかな心情の関係性をたやすことがないひとたちです。
またまた、Aさんから学ばせてもらいました。・・・
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それにしても、
東北三陸大震災の支援も、東電福島原発事故の収束も遅々としてはかどらずに、また貴重なはずだった七日間の時間だけがむなしく過ぎました。
このことをわたしたちは肝に銘じておくほかない。
「いいわけ」と「虚言」ばかりの虚ろな政治家、官僚たちと、それを追従するだけのマスメディアと御用学者、労組などの「体制」(むかしは大政)翼賛がこれほどまったくブロック化されたことはあの昭和の戦争の前夜いらいないだろうとおもわれる。
体制に組するだれもが利己的で、<愛国や大義>を保身のためにふりかざす野卑そのものであった戦争推進派の者たちと双子のように似ていて、国民大衆の何ごとにも痛痒を感じず麻痺している。
そのためいざ重大緊急事態に直面しても、もとから見せかけだけの行政は、指導部が機能不全をあらわすほかないのである。・・・
戦前の政治家のなかでも気骨のあった人としてよく名を挙げられる斉藤隆夫氏は、1936年に「粛軍演説」を、1940年(昭和15年)に「反軍演説」といわれる議会演説をしている。
その内容には巷間いわれるほどの、とくだんの思想的価値がみられるわけではない。
まぁ、いってみれば、
ものおじしない実直な「政治家魂」を議場にひびかせたところが評価されたのであろうとおもえる。
ただおもしろいのは、
その演説のなかにでてくる「政治家の情け無いほどの体たらくぶり」が、
いまの政権のありさまと気持ちわるいほど似ていることにある。
斉藤の演説には、
“中国との戦争の「目的・意味」が何かが分からない”のだという政治家の発言がでてきます。
この言葉はぞんがい、「東亜新秩序建設構想」が軍官僚独走の美化の妄想にすぎないことを、
当時の世情を反映して語られていることがわかります。
それから戦時体制というなかで、利権に預かる戦争産業だけが巨万の富を築く一方で、
国民大衆は自分たちから兵士をだしつづけているにもかかわらず、
「兵士の苦難を思え」という理屈をおしつけられ、
じぶんたちの生活の基盤をうしなうほどの犠牲をしいられるといった点において、
現在の政官業利権と格差社会の出現状況が被虐的なところが
奇妙に似てきていることが見逃せない。
また当時の政治家が力無く内閣を投げだすこと三度で、
国民の負託という責任をになう気概も無く、
ただ犠牲をおしつけるばかりであることを斎藤氏はなげいているが、・・
これもまた、いまの政治状況とそっくりではないか。
これをみても、
< 政治 >というものが
国民にとって「もっとも不条理で、いつのまにか支配されているもの」でしかないことが、
よくわかるというものである。
したがってどんなときにも「支配」権力としてしか国民にむきあえない官僚政治に対しては、
この際、
わたしたちの頭の中で一度徹底して拒絶、排除しきることが必要なことではないだろうか。
そののちようやく、わたしたちは「愛国」に名を借りた強迫観念の国家ナショナリズムからも
自由になることが可能になるのではないだろうか。・・・
その先には、
<個の尊厳と自由> のもとに「ゆたかな心情の関係」が織りなす地域社会が展望できよう。・・・
–1940年(昭和15年)の「反軍演説」抜粋.
《 この大事変を前に控えておりながら、この(シナ)事変の目的はどこにあるかということすらまだ普く国民の問には徹底しておらないようである。([ヒヤヒヤ』拍手)聞くところによれば、いつぞやある有名な老政治家か、演説会場において聴衆に向って今度の戦争の目的は分らない、何のために戦争をしているのであるか自分には分らない、諸君は分っているか、分っているならば聴かしてくれと言うたところが、満場の聴衆一人として答える者がなかったというのである。(笑声)
ここが即ち政府として最も注意をせねばならぬ点であるのである。ことに国民精神に極めて重大なる関係を持っているものであって、歴代の政府か忘れているところの幾多の事柄があるのであります。例えば戦争に対するところの国民の犠牲であります。いずれの時にあたりましても戦時に当って国民の犠牲は、決して公平なるものではないのであります。即ち一方においては戦場において生命を犠牲に供する、あるいは戦傷を負う、しからざるまでも悪戦苦闘してあらゆる苦艱に耐える百万、二百万の軍隊がある。またたとえ戦場の外におりましても、戦時経済の打撃を受けて、これまでの職業を失って社会の裏面に蹴落される者もどれだけあるか分らない。しかるに一方を見まするというと、この戦時経済の波に乗って所謂殷賑!
業なるものが勃興する。あるいは「インフレーション」の影響を受けて一攫千金はおろか、実に莫大なる暴利を獲得して、目に余るところの生活状態を曝け出す者もどれだけあるか分らない。(拍手)戦時に当ってはやむを得ないことではありますけれども、政府の局にある者は出来得る限りこの不公平を調節せねばならぬのであります。
しかるにこの不公平なるところの事実を前におきながら、国民に向って精神運動をやる。国民に向って緊張せよ、忍耐せよと迫る。国民は緊張するに相違ない。忍耐するに相違ない。しかしながら国民に向って犠牲を要求するばかりが政府の能事ではない。(拍手)これと同時に政府自身においても真剣になり、真面目になって、もって国事に当らねばならぬのではありませぬか。(「ヒヤヒヤ」拍手)
しかるに歴代の政府は何をなしたか。事変以来歴代の政府は何をなしたか。
(「政党は何をした」[黙って聞け」と叫ぶ者あり)
二年有半の間において三たび内閣が辞職をする。政局の安定すら得られない。こういうことでどうしてこの国難に当ることが出来るのであるか。畢竟するに政府の首脳部に責任観念が欠けている。(拍手)身をもって国に尽すところの熱力が足らないからであります。畏れ多くも組閣の大命を拝しながら、立憲の大義を忘れ、国論の趨勢を無視し、国民的基礎を有せず、国政に対して何らの経験もない。しかもその器にあらざる者を拾い集めて弱体内閣を組織する。国民的支持を欠いているから、何ごとにつけても自己の所信を断行するところの決心もなければ勇気もない。姑息倫安、一日を弥縫するところの政治をやる。失敗するのは当り前であります。(拍手)
こういうことを繰り返している間において事変はますます進んで来る。内外の情勢はいよいよ逼迫して来る。これが現時の状態であるのではありませぬか。これをどうするか、如何に始末をするか、朝野の政治家が考えねばならぬところはここにあるのであります。我々は遡って先輩政治家の跡を追想して見る必要がある。日清戦争はどうであるか、日清戦争は伊藤内閣において始められて伊藤内閣において解決した。日露戦争は桂内閣において始められて桂内閣が解決した。当時日比谷の焼打事件まで起こりましたけれども、桂公は一身に国家の責任を背負うて、この事変を解決して、しかる後に身を退かれたのであります。伊藤公といい、桂公といい、国に尽すところの先輩政治家はかくのごときものである。しかるに事変以来!
内閣は何であるか。外においては十万の将兵が倒れているにかかわらず、内においてこの事変の始末をつけなければならぬところの内閣、出る内閣も出る内閣も輔弼の重責を誤って辞職をする、内閣は辞職をすれば責任は済むかは知れませぬが、事変は解決はしない。護国の英霊は蘇らないのであります。(拍手)私は現内閣が歴代内閣の失政を繰り返すことなかれと要求をしたいのであります。
事変以来我が国民は実に従順であります。言論の圧迫に遭って国民的意思、国民的感情をも披瀝することが出来ない。ことに近年中央地方を通じて、全国に弥漫しておりますところのかの官僚政治の弊害には、悲憤の涙を流しながらも黙々として政府の命令に服従する。政府の統制に服従するのは何がためであるか、一つは国を愛するためであります。また一つは政府が適当に事ぶるを解決してくれるであろうこれを期待しているがためである。
しかるにもし一朝この期待が裏切らるることがあったならばどうであるか、国民心理に及ぼす影響は実に容易ならざるものがある。(拍手)しかもこのことが、国民が選挙し国民を代表し、国民的勢力を中心として解決せらるるならばなお忍ぶべしといえども、事実全く反対の場合が起こったとしたならば、国民は実に失望のどん底に蹴落とされるのであります。国を率いるところの政治家はここに目を着けなければならぬ。 》–
(斎藤隆夫著「回顧七十年」中公文庫より)