◆「戦後」はいつまで?「敗戦後」か?
《「永遠の戦後」を目指して》という見出しの社説(東京新聞2025‘5・3)《「新しい戦前」の状況を転換するには、先人たちが憲法9条に込めた理想に立ち返り、今を生きる私たちがその実現に努めねばなりません。それが「永遠の戦後」にとどまることになるのです》と述べています。そうだ‼ と頷きつつも、「戦後」が百年も千年も続くものか? と疑問が浮かびます。
同じ日の毎日新聞のコラム「戦後80年の日本国憲法」(伊藤智永氏)では、次のような意見も。《米国が民主主義の手本だった第二次世界大戦後の世界が、特別だった。戦後日本は特殊な時代の米国を普遍的理想としてあがめすぎた。日本国憲法もその一つ。/戦後はとうに終わっている。なのに終われない。戦後を意志的に終わらせる。そうして憲法を日本のものにする》。この意見は、決して「押し付け憲法論」ではなく、目本国憲法の基礎となっている世界大戦終結後の国際秩序の動揺という、国際情勢を踏まえた意見のように思われます。
◆日本の80年、沖縄と世界の80年
「アウシュビッツ解放80年」という新聞の見出しもありました。「戦後80年」は、もちろん日本だけではないという認識が、きわめて重要のはずです。また日本では「敗戦後」の80年ですが、韓国などでは植民地からの解放・独立回復後の80年です。
1945年一〇月二四日に国際連合は憲章が発効して創設。国連にとって「戦後」80年というよりも、やはり創設80年であり、それは世界戦争を防いできた年月の積み重ねであることが大事なのだという気がします。
沖縄ではさて、「戦後」をどう認識すればいいのでしょうか。日本の敗戦後にアメリカの軍政支配下だった沖縄は「戦時」だったでしょうし、今も戦時的状況が消えてはいないと言ったほうがいいでしょう。平和の礎の前に在るのは、戦後か?いや「忘れてはならない・忘れようのない」戦時の記憶! そう思います。
戦前、戦時中、敗戦後、戦後、戦忘期、そして新しい戦前……。開戦の1941年生まれの身には、敗戦の認識はなく、焼け跡、闇市、傷痍軍人などが終戦後の強烈な記憶ですが、それらは間もなく消えました。四十年ほど前に、いつまでが戦後か?と問われ、困惑しました。敗戦後十一年目には、早くも「もはや戦後ではない」と言われたのでしたが。
◆国際関係の秩序の動揺と進化の動き
国際社会(世界)にとっては、第2次世界大戦が終結し形成された国際関係の仕組み(秩序)の80年。法の支配、平和的手段による紛争等の解決、人権、自由、民主主義、民族自決、加盟国の主権平等などの、国連憲章による原則は、国際社会の発展を支えてきたと言えます。
いわゆる五大国の主導で五一か国により発足した国連の加盟国は、現在一九三か国です。その多くは、1955年以降に加盟した新興国です。今や、国連総会で大国主導に(と言うより、主導力を失い憲章違反にも及ぶ大国と従属国に)代わり、国連の活動を支えている諸国とも言えると思います。核兵器禁止条約を実現させたのも、これらの諸国です。
国際関係の仕組みが進化しつつある、と捉えたい(動揺ではなく)。憲法が基礎に据えた諸原則の進化とも思います。改めて前文を読み返して、「全力をあげて」これら諸国と協力を、と望みます。
(はせがわたかし)
初出:「さがみ九条の会」ニュース61号 2025年7月31日より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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