戦後70年、日本に民主主義革命成る - 老若男女は安保法案が戦争法案であることを見抜いた -

著者: 伊藤力司 いとうりきじ : ジャーナリスト
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雨模様の8月30日国会議事堂を包囲した12万の人々に世界的音楽家の坂本龍一さんは、ラウドスピーカーを通じて語った。「僕たちにとって、イギリス人にとってのマグナカルタ、フランス人にとってのフランス革命に近いことが、ここで起こっているんじゃないかと強く思っています。一過性のものにしないで、あるいは仮に安保法案が通っても終わりにしないで、行動を続けてほしいと思います。僕もみなさんと一緒に行動してまいります」

永田町から霞ヶ関の道路と言う道路を埋め尽くした老若男女がひしめく映像とこの坂本スピーチに接して、私は戦後70年とうとう日本に民主主義革命が成ったと確信した。「平和」「国民主権」「人権」を盛った日本国憲法が、われわれ日本人に本当に定着したのだ。

終戦時10歳の「国民学校5年生」だった私は「神風が吹かなかったじゃないか」と憤りつつ「天皇陛下のために米軍戦車に爆薬を抱いて飛び込まないで済む」つまり「生きられるのだ」と安堵したのを覚えている。今の小学5年生にいくら説明しても信じられないだろうが、1945(昭和20年)8月、全ての日本人は生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていた。

日本軍を破ったアメリカの英雄マッカーサー将軍が指揮するGHQ(占領軍最高司令部)は1945年9月以来、日本帝国を解体し日本を民主化するための施策を次々に強制した。GHQが時の日本政府に命じてつくらせた憲法草案は旧帝国憲法の焼き直しで民主主義とは縁もゆかりもない代物だった。GHQはそこで、9条の平和条項を盛り込んだ新憲法草案を日本側に提示、日本政府は日本人法学者の意見も取り入れて1946年10月これを公示、新憲法は1947年5月3日を以って実施された。

1947年5月、私は長野県の片田舎の新制中学1年生だった。そこに新しい日本国憲法が到着した。その時の担任教師は、戦時中も学生たちがリベラル精神を貫こうと闘った旧制第3高等学校(京都)から召集され、帝国陸軍歩兵2等兵として中国大陸で辛酸をなめて帰国、折しも新制中学の教師としてリクルートされ、郷里の少年少女を育てた岩波正人先生だった。岩波先生との出会いは、基本的にその後の私の人生を決定した。

昭和20年(1945年)まで、少国民教育を受けて(安倍首相のお好きな)皇国史観に染まっていた私は、これと全く違う岩波先生の言葉に魅せられた。17世紀のフランスの思想家ブレーズ・パスカルは「人間は弱い葦である。しかし考える葦である」と。人間は野獣より弱い生き物だが、野獣と違って理性・知性・悟性を持っている。太古以来人間集団は争い、殺し合ってきた。世界中の至る所で、原初集団である氏族、部族は生き残るために戦ってきた。勝った集団は負けた集団を奴隷にしてほしいままに使役した。

しかしこうした「弱肉強食の論理」が人間性に反するという思想は、古代ギリシャからローマ、あるいは歴代の中国王朝でも伝えられてきた。紀元前500年ごろの乱世に生きた孔子は、彼が仕えた魯王や弟子たちに「仁」を説いた。仁とは人間関係の基本を成す根源的・包括的な愛である。また2000年ほど前にパレスチナ生まれたイエスは人々に「無私の愛」を説き続け、そのために時の為政者の怒りを買って十字架に架けられた。そのイエス・キリストの教えは21世紀の今日、世界中で生き続けている。

18世紀ドイツの哲学者イマニュエル・カントは「永遠の平和のために」という著作を残した。カントはこの中で、諸国家が戦争状態を脱して恒久平和をもたらすことは当面到達し得ない現実だが、人類が到達すべき理念であると説いた。カントは恒久的な平和状態に近づくためには、人類は世界市民法と自由な国家連合を生み出すべきだとの構想を打ち出した。これが第1次世界大戦後に成立したパリ不戦条約(1928年)や国際連盟(1920年)、ひいては第2次大戦後に創設された国連(1945年)、さらには日本国憲法の根底にある哲学である。

孔子、イエス、パスカル、カントと愛と平和を説いた先哲の教えにもかかわらず、今日現在もシリア、イラク、イエメン、アフガニスタンでは殺し合いが続いている。米ブッシュ前政権が始めたイラク、アフガン戦争で疲弊した米国の立て直しに苦闘するオバマ政権は、日本国憲法に違反して米国支援の武力行使に踏み切ろうとする安倍政権の集団的自衛権行使の法制化を大歓迎している。

安倍政権は、日本国憲法9条違反が明白な集団的自衛権を行使するための「安保法案」を、この9月16にも参議院で強行採決する構えである。7月16日の衆議院強行採決に続く強行採決の「ダブルプレー」を辞さないのだ。自公連立の安倍政権は衆議院で3分の2多数、参議院でも過半の議席を維持している。全国各地で連日広がっている「安保法案破棄」を叫ぶ市民の声がいかに広がっていようとも、安倍政権は国民の声に耳を貸さず「戦争法案」を強行可決する構えだ。

戦前の日本で特高警察に拷問・虐殺された小林多喜二をはじめ、多くの先覚者が苛烈な弾圧を受けながら民主・人権・平和の闘いを続けたことをわれわれは忘れてはならない。こうした闘いの伝統があったからこそ、この日本で民主主義と平和憲法が息づいたのである。

冒頭で紹介した坂本龍一さんの言葉をもう一度かみしめよう。安倍政権の「戦争法案」に対してやむにやまれぬ思いで集まった老若男女に訴えた言葉だ。それは戦後70年にして本当の民主主義が日本に定着したことを意味する。明治、大正、昭和を通じて中江兆民、大杉栄、吉野作造、美濃部達吉らの先覚者が、日本に民主主義を定着させようと苦闘した歴史があった。一見マッカーサー司令部から「与えられた」民主主義のようにも見えたが、今こそ日本に定着した民主主義に誇りを持とう。

自衛隊の武力行使は「何とか事態」「かんとか事態」に限られるとか、集団的自衛権の行使は「国民の幸福と安全の追求が根底から脅かされる場合」に限ると弁解しても、最終的にはそれが時の政府の判断にゆだねられることが、衆参両院での質疑を通じて明らかになった。各種世論調査では今国会で安保法制を通すことに6割以上が反対している現状に、安倍首相は安保法制が国民に理解されていないからだと強弁しているが、国民は安保法制とは憲法9条に違反して、アメリカの戦争に加担するためであることを見抜いている。

仮に今国会でこの法案が可決されても、アメリカの戦争に加担することを拒否する日本国民の闘いは終わらない。われわれはようやく、主権者は国民であること、言論・集会・表現の自由を保証する基本的人権を保証し、さらに交戦権を否定した日本国憲法の価値に目覚めたのだ。これまで政治活動とは無縁を任じてきた老若男女のひとりひとりが、国の運命を決めるのは自分たちだと決意して立ち上がったのだ。

昨年12月の総選挙で有権者の5割近い人々が棄権した現実がある。その結果、有権者の4分の1の得票で自民党は衆議院の7割以上の議席を確保した。そのことが、憲法違反の戦争法案をごり押しする安倍政権の右寄りファッショ体質を強める作用を果たしたことは間違いない。安倍政権のファッショ体質を見て民主主義に目覚めた老若男女は、必ずや来年夏の参議院選挙など各種の機会を通じて安倍政権に痛棒を加えるだろう。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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