抗議する市民たち―「新・市民革命」か

みなさまへ    松元

「ウォール・ストリートを占拠せよ」のデモで数百人の逮捕者を出したと報じられています。
http://mainichi.jp/select/world/news/20111003k0000e030024000c.html
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111003/k10015996261000.html

イソップさんが、南砺市で始めた市民会議による「協働のまちづくり条例」への試みを世界の市民革命に結びつけて論じています。

また、板垣雄三さんがそれにたいする好意的なレスポンスとご自分の「新・市民革命」論の諸論考を紹介しています。以下、イソップさんのブログとPublic PeaceのMLより転送させていただきます。

=====以下転送======

■イソップ通信:抗議する市民たち
http://blogs.yahoo.co.jp/isop18/62329160.html

このところ市民革命と言えば、チェニジアのジャスミン革命で始まった、エジプトや中近東の長期独裁政権に対する、抗議の市民革命を指すようです。
この潮流は世界中に流れ込んでいて、中国では政府が頭を痛めていますし、軍事独裁と言われるミャンマーでさえ、市民の要求が通り始めている。
ヨーロッパでも、脱原発、脱成長と言った、今までの政策に対する批判が、
これまでにない奔流となって、政府の政治姿勢にさえ影響を与え始めています。

こうした状況の中で、現在の世界経済の元祖である日米はどうなっているか?政治が経済に飲み込まれてしまっている日本でも、3.11原発事件によって、この国が経済優先で危険な状態になっていることが、ようやく明るみに出ました。これを受けて、新しい価値観を模索する動きが急激に広がっているのですが、あまりにも経済優先で洗脳されていた、圧倒的多数の一般市民にとって、こうした価値観の転換は、そう簡単には行かないことが容易に想像が出来ます。それでも多くの人たちが公然と脱原発を唱え、マスコミを批判し始めている。

アメリカでも事情は同じで、金融機関を中心とした経済優先政策に対し、
市民の抗議は次第に膨らんで、ついに大きなデモが各地で始まっています。
ボストンでは大手銀行の建物の前に、数千人が集まって抗議をしたようですし、ロサンゼルス市役所の前では、数百人が徹夜で座り込みを続けていると報じられ、さらにニューヨークのマンハッタンに掛かる、ブルックリン橋を占拠して、昨日だけで500人以上の人たちが、警察に拘束されたと伝えられています。

こうした新しい市民による抗議活動の主張は、多くの場合多方面に渡って、
脱原発の集会でも、経済政策に対する抗議や反戦平和なども掲げられますので、旧来の頭では支離滅裂に見えるかも知れませんが、全部繋がっているのです。それは等しく、中央集権的な利権擁護の体制に対する不満と批判であって、日本では脱原発をきっかけに、アメリカでは金融政策批判をきっかけに、現状の政策が持ち続ける、市民の生活よりも経済優先の価値観への抗議です。すでに多くの市民は、経済成長が市民を幸せにしないことを知っているのです。

この流れは国家ばかりではなく、身近な地域社会においても例外ではなく、
僕らが南砺市で始めた、市民会議による「協働のまちづくり条例」への試みも、現状の政策や行政の方針に不満を持ち、抗議する意志を持って始まっている。この現状に対する不満と抗議がわからないと、なぜ条例が必要なのかもわからず、様々な団体のトップにいる人たちは、「現状で何が悪い!」とうそぶくのです。現状ではダメだから、世界中で市民が声を挙げ始めているのでしょう!

インターネットの普及を中心とした、新しい情報網の広がりによって、世界中の一般市民が目覚め始めている、この流れを止めることはできません。地球レベルにおいても、国レベルにおいても、地方レベルにおいてさえ、一部の人が利権を握って富を支配しようとする、旧来の価値観は否定されます。新しい価値観は世界共通の市民意識として、誰もが平等であることを求め、自らが関わって社会を構築する、市民民主主義の理想を掲げ始めているのです。

実現までは遠いとしても、掲げられた旗はひるがえり続けるでしょう!

=====Public Peaceより転送=====

板垣雄三です。
イソップさんからお知らせいただいたブログ記事、興味ふかく読みました。
「アラブの春」とか「中東民主化」とかいった、人を惑わすいい加減な言葉が横行する中で、「今世界で起きている市民革命」というとらえ方をされること、大賛成です。私は、今年1月末から、世界の「新・市民革命」の時代のはじまり、ということを言っております。福島第一の原発事故がそのような時点で起きたこと、「協働のまちづくり」も世界史のそのような段階の課題だということが、大事ですね。

すでにお目にとまっているかも知れませんが、念のため、今年、私が書いてみた「新・市民革命」論議は、以下などでみることができます。
◆「中東と世界の行方―ナイルが潤す国を揺るがした市民決起の意味」、『現代思想』(青土社)Vol. 39-4、2011年4月臨時増刊号
◆「中東の新・市民革命を、いま日本から見、そして考える」、『世界』(岩波書店)No. 818、2011年6月号
◆DAYS JAPAN誌には何度も書きましたが、そのなかから選べば、
「世界を変える新市民革命の足音」、DAYS JAPAN, Vol. 8
No. 9、2011年9月号(9.11から10年)
◆これから(12月に)発行されるものですが)、
「人類が見た夜明けの虹―地域からの世界史・再論」、『歴史評論』(歴史科学協議会)、2012年1月号
以上

(以上転送終わり)