政府の「4.28主権回復の日」式典  沖縄との溝を深める愚挙―沖縄から(2)

著者: 山根安昇 やまねあんしょう : ジャーナリスト
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 政府は4月28日、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を開催した。いま、なぜ記念式典なのか。ほとんどの国民が、この藪から棒の式典の意味を知らない。

 同じ日沖縄では、この式典に抗議する1万人集会が開かれ、奄美大島でも同様な抗議集会が開かれた。一体なぜ同じ4月28日に、東京と沖縄で全く対照的な集会が開かれたのか。この日の持つ意味がまったく違うからである。

 もともとこの4月28日という日は、1952年4月28日の対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効した日である。この条約第3条によって沖縄は日本の主権下から切り離され、アメリカの統治下に置かれた。それ以後沖縄は、この日を”屈辱の日“として、祖国復帰闘争という”主権回復闘争“を続け、1972年5月15日に沖縄の施政権は日本に返還された。いってみれば、この4月28日は、沖縄が日本であれば「主権回復の日」どころか「主権分断」の日なのである。それだけに、沖縄が政府の記念式典に反発し、抗議するのは当然であろう。

 当初政府は「完全主権回復」だの「主権回復祝賀式典」だのといっていたが、沖縄側から問題点を指摘され、猛反発を受けたことから、わけの分からない式典名称となってしまった。それだけでなく、安倍総理の式辞も仲井真沖縄県知事と調整せざるを得なかった。株価や支持率ですっかり舞い上がっていた安倍総理の頭から、沖縄は抜け落ちていたのだろう。はしなくも、沖縄の戦後の歴史に無知であることをさらけ出してしまった。

 この4月28日という日は、東京都(小笠原)や鹿児島県(奄美大島)にとっては遠い歴史上の問題かもしれないが、沖縄にとって現実そのものである。沖縄はいまも基地問題で揺れに揺れているが、その根源には対日講和条約およびそれと同時に締結された日米安保条約、地位協定(行政協定)があるからだ。沖縄米軍基地が本格的に建設されたのは、これらの条約が結ばれて以降である。

 そもそも日本の戦後体制は、日本国憲法を含め対日講和条約、安保条約、地位協定などアメリカの世界戦略に基づいて構築されたものだ。対日講和条約の在り方について、全面講和か片面講和かの激しい論争が行われたが、結局日本はアメリカを中心とする連合国とだけの片面講和を結び、ソ連(ロシア)や中国など東側諸国は調印に参加しなかった。このことが東西冷戦構造につながり、冷戦崩壊後も沖縄基地だけは変わらず残った。そしていまやアメリカの属国同然となり、アメリカにノーといえない国となった。主権回復なんておこがましい。

 それはそれとして、今回の政府の記念式典は本土と沖縄の対立構造を浮き彫りにし、沖縄の“独立論”を誘発するまでに沖縄の怒りを買ったが、そのことがいま問題となっている普天間基地の辺野古への移転問題に影響を与えることは必至であろう。

 さらにもう一つ許せないのは、天皇の政治的利用の問題である。昭和天皇は、1947年9月20日、いわゆる“天皇メッセージ”をマッカーサーに伝え、そのことが講和条約第3条に影響したといわれる。その後の皇室の沖縄に対するこころ配りは沖縄県民にも痛いほどよく分かる。天皇陛下を沖縄と対立する政府式典に「お言葉」もないのにお招きしたことは、あまりにも残酷、非情すぎるのではないか。

 国家と時の政府は別物だ。天皇は沖縄県民を含めての全国民の象徴である。政府の政治的思惑で天皇の権威を政治的に利用することは許されない。(了)

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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