2012年6月30日~7月2日 番外号その2
■ 大粒の雨が降る中、おおい町・成和のオフサイトセンターに着いた。そこには多勢の警備員とマスコミがいた。大飯原発から約8Km離れているが海は直ぐそこに有り、大津波が来たらひとたまりも無いだろう場所だ。そこにはまだ、相手側の担当者が来ていない。余りの人の多さに恐れをなしたのか保安院側が申し入れに来た我々を中に入れようとしない。入れないだけでなくゲートを閉じてその前に立つことさえ許さない。反対歩道に集まっていた我々の所に出て来た保安院の森下氏はこちら側が約束を破ったからだというのだ。これは一体どうゆうことか?主催者のSさんが『約束を護っていないのはそちらだろ!ちゃんと我々を中に入れて申し入れを受けると約束したはずだ!』と。当初はセンターの中に我々を入れ申入書の手渡しが行われる手筈であった。森下は我々の言い分に一切耳を貸さず執拗に約束の件を持ち出すので、Sさんも幾度もの堂々巡りに怒り心頭!申 し入れを断念するに至った。
しかし再度出て来た森下が申入書を受け取るとの事で、これも紛糾はしたもの五名の代表者を決め皆の声援のもと送り出したのだ。福島の代表として佐藤幸子さんも入った。
■ が、後で知るのだが、雨の降る中、申し渡しは何と玄関外で行うと言われたのだ。全く福島で事故を起しながらその収束を見せていない今、そして何も安全策を採らず厚顔無恥に再稼動を目論む官僚の何様たる態度か!外にいた皆はそれを知ると一層の怒りがこみ上げ、シュプレヒコールのボルテージは嫌が上でも昂まった。その時、江田さんから『今、原発ゲート前で道路封鎖を始めた。応援に行くぞっ!』と耳打ちされた。僕はそれを予見していたので、『いよいよだな!』と気合を入れバスに向かった。しかし皆が中々集まらない。団体行動の制約はあるとしても、直ぐにでも飛んで行きたい!ゲート前には仲間が僕らを待っているのだ。結局、この日は現場へは行かない判断となり、忸怩たる想いでその日の宿舎へ行くこととなった。夕飯後、全員会議で明日の打合せをし、行動の確認をした。夜遅くまで各々の議論が続く中、僕は原発ゲート前でのstream中継を見ていた。そこには4月から監視テントに駐在し現地を支援 してきたQさんの警備員や警官を諭すように訴え続ける顔があった。
■ 深夜、晴れて月の出た若狭湾の海を見ながら、早く朝になれ!早く夜が明けろ!と熟睡出来ずに悶々として朝を迎えたのだった。そして運命の朝が明けた。 (福田良典)