「祝賀御列の儀」というパレード
天皇即位に伴う祝賀パレードが10月22日から11月10日に延期された。また、即位に伴う恩赦の政令が出されることになった。ともに、10月18日の閣議で決定されたのだが、パレード延期の件は、すでに、NHKwebnewsでは、 10月17日に安倍首相は被災地の宮城県丸森町で「延期する方針で検討」と語り、延期の方針、午後3時49分付では、11月10日に延期との報道があり、新聞では18日朝刊で「政府の方針」として先ぶれ報道がなされた。恩赦については、18日午前中の閣議で決定された後に報道されている。
私には、この報道の微妙な時間差を意図した政府広報、メディア・コントロールこそが天皇即位自体と関連報道を、フルに政治利用をしている場面に思えたのだ。
パレード延期の理由が「甚大な被害を出した台風19号の被災地に配慮」して、とのことであった。前日までは、「淡々と進めている」と記者に答えていた菅官房長官だったが、17日の会見では「諸般の状況を総合的に勘案した」としている。首相は、被災地のぶら下がりで、延期の方針を発表したかったのだろう。それに、あまり評判の良くない「恩赦」と同時発表は避けなければならかったにちがいない。
被災地への配慮というならば、直近では、15号台風の被災地、被災者の現状、さかのぼれば、東日本大震災、福島原発事故の被災地・被災者の実態を知らないわけではないだろう。11月10日に延期したところで、状況が大きく改善するわけもない。
菅官房長官は、「宮内庁と相談したが、あくまでも内閣として判断した」と会見で語っていた。しかし、報道によれば、宮内庁関係者は「突然でびっくり」ともらし(毎日新聞10月18日)、政府関係者は「台風によりパレードの警備にあたる警察官の確保が難しくなったという事情」を語ったという(東京新聞10月18日)。被災地や被災者に配慮したとは、たてまえからも実態からも大きく離れてはいないか。さらに、国事行為として行われる内外の要人を迎えての祝宴や首相夫妻の晩餐会などの一連の行事とて、被災地や被災者を配慮するというのならば、中止して、その経費や労力を災害復旧・復興に充てるくらいの決断があってもよいのではないか。祝宴にしても晩餐会にしても、即位を利用しての政府の大判振る舞いに過ぎない。一般国民の生活に何ら寄与しないではないか。今の憲法下で、政治的権能を有しない天皇の存在自体が、死去ないし退位、改元・即位、結婚などに伴うさまざまなイベントや活動が、時の政府に組み込まれ、加担、補完する役割を果たすことになるのは、むしろ当然の成り行きであろう。
私などからすれば、日本国憲法に「第一章」がある限り、とりあえず、天皇、皇族方には、「象徴」などというあいまいな役まわりをさぼってもいいので、ひっそりと自由に、退任でも、代替わりでも、結婚でもなさったら、よろしいのにとも申し上げたい。そして、現代の日本にとっての「象徴天皇制」は必要なのかの問いに対峙したい。
日本は、これで法治国家?
政府は、都合が悪くなると、日本は「法治国家」だからといって、法律に従い、粛々と、淡々とことを進めてしまい、進めた結果の責任はだれも取らないのが、日本の法治国家の実態である。
「恩赦」は、旧憲法下では、天皇の大権事項であったが、日本国憲法下では、天皇の国事行為(7条6号)で、内閣が決定する天皇の認証事項である。大赦、特赦、減刑、刑の免除、復権とあるが、いずれにしても、一度、裁判所が犯罪者の処罰を決めるという「司法権」に「行政権」を持つ内閣が介入して「処罰」がなかったことにする制度である。今回は、罰金刑により制限された資格を復活させる「復権」が大半という。その対象の55万人のうち、道路交通法違反者が65.2%で三分の二を占めるが、他は過失運転死傷、傷害・暴行・窃盗の罪を犯した者、公職選挙法違反者たちが含まれるのである。
具体的に、今回の政令恩赦では、2016年10月21日までに罰金を納めた約55万人が対象となった。罰金刑を受けると、原則として医師や看護師など国家資格を取得する権利が5年間制限されており、こうした権利が回復する。法務省によると、対象者の約8割が道路交通法や自動車運転処罰法などの違反。公職選挙法違反による罰金納付から3年がたった約430人の公民権なども回復されることになる(JIJI.com10月18日)。
しかし一定の条件をクリアしただけで「自らの過ちを悔い、行状を改め、再犯のおそれ」がなくなった者への更生の励みや再犯防止策になるという建前ながら、実態はどうなのか、疑問は尽きない。今回も当初、法務省は、皇室の慶事による恩赦は「社会への影響が大きく、三権分立を揺るがしかねない」とその不合理性を指摘、実施すべきではないとし、また、一律の政令による恩赦でなく、対象者を個別に審査する「特別基準恩赦」のみの実施を訴えたという(朝日新聞10月19日)。しかし、政府としては踏み切ったのである。その過程や決定の不明瞭さはぬぐえず、そもそも、内閣の恣意性が問われ、そのチェック制度がない恩赦は、実施すべきではなかったのではないか。
諸外国において、たとえば、イギリスでは、恩赦権は大法官・法務大臣の助言に従う国王大権の一つであるが、その運用にあっては、罪や刑罰を定めて一律に行う大赦は、1930年以降実施されておらず、過去20年間に行われた特赦2件、他の恩赦も厳しい条件のもとに実施されている。フランスでは、他のヨーロッパ諸国に恩赦制度が実施されることはまれなことから、大統領選ごとに行われていた慣例的な恩赦も2007年以降実施されなくなった。アメリカでは、大統領に恩赦権はあり、司法長官の助言を受けて実施するが、減刑や罰金刑減額などは、別の制度によるとされ、2018年度に承認した恩赦は、特赦、減刑あわせて10人であった。
日本のように、行政府が、恣意的に一律に大量に行う「恩赦」などは、もはや特異な例と言わねばならない。今後は、皇室の慶事にかこつけてなされる「恩赦」を内閣には実施させない選択を迫るべきではないか。
こうして、利用されるだけの「象徴天皇制」を少しづつでも無化するには、どうしたらいいのか。
<参考>
・小山春希「恩赦制度の概要」『調査と情報』No.1027
(2018年12月6日)file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/JDLUCL85/digidepo_11195781_po_IB1027%20(1).pdf
・法務省のQ&A「なぜ恩赦は必要なのですか?」
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo_hogo10.html#02
・法務省「「復権令」及び「即位の礼に当たり行う特例恩赦基準」について」
(2019年10月18日)
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo08_00006.html
・晴天とら日和「恩赦に反対します」(2019年10月20日)新聞記事などのまとめあり
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/52334331.html
初出:「内野光子のブログ」2019.10.20より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/10/post-b6d866.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9103:191021〕