本日(9月24日)の毎日新聞朝刊に「北田暁大が聞く」シリーズの第6回。ゲスト・小熊英二が対談の相手。テーマは、「安保法制抗議運動(その1)」である。
両対談者の関心は若者層の運動参加。「60年代運動参加者」との対比で、「2015年9月の安保関連法案への運動参加者」を論じている。大雑把には、「団体が主導した60年代」と「SNSでつながっているいま」なのだが‥。
小熊が次のように言っているのが、興味深い。
「『68年』と、2011年の原発事故以降の抗議運動は、参加者の属性や意識が大きく違います。『68年』の運動参加者は大部分が大学生で、その多くは、経済の成長とそれに伴う卒業後の雇用の安定を疑っていませんでした。安定を前提にしたうえで、非日常な『ここではないどこか』を求めて大学をバリケード封鎖したり、機動隊と衝突したりした。『市民』を掲げた運動もありましたが、実際の参加者は学生が多く、あとは知識人や主婦や公務員が中心だった。
現在は、現状の生活レベルが今後も維持できるのかといった、未来への不安感が運動の背景にあります。11年以降の抗議運動の中心には、デザインや情報産業など知的サービス業の非正規専門労働者、認知的プレカリアートと呼ばれる人々が多くいます。高学歴でスキルはあるが、日々の生活や将来は安定しない人々です。反安保法制運動を主催したSEALDsの学生も、奨学金という名の借金を何百万円も負っている人が多い。彼らも認知的プレカリアートの一種です。こうした人たちの不安を、より広い層も共有している。『未来がみえない。平和な日常を守りたい』という不安感、言い換えればある種の生活防衛意識が背景にあり、それが広範な人々を集めた一因でしょう。」
全部が当たっているかどうかはともかく、「当時の学生は、卒業後の雇用の安定を疑っていませんでした。」という指摘は興味深い。おそらくその通りで、明らかに今は違うのだ。
かつては、学生時代の運動参加経験が就職活動に障害になるという意識は希薄だった。企業の姿勢も寛容だったし、あえて活動歴を問いただすということは禁じ手と意識されていた印象がある。理想を追い求めて反政府的な学生運動に走る学生に対して、企業も社会も寛容だった。そのことが、就職時の採用可否に関する思想差別は許されないという法意識を醸成していた。
このことの評価は両面あろう、学生は社会のしがらみにとらわれることなく、理想を追求することができた。学生が「革新的」であることは当然視され、運動参加も学問の姿勢においても自由を謳歌することができた。しかし、それはあくまで社会に出るまでに期間限定された自由であって、その多くが企業社会の文化に染まるや見事にこれに従順と化した。また、その自由は恵まれた階層に属する学生の特権でしかなかったともいえよう。
もっとも、この学生の自由も、60年代末には企業の側から浸食され始めていた。その典型が、「三菱樹脂・高野事件」であり、「日本軽金属・品川事件」だった。いずれも、大企業が新卒者を幹部社員候補として採用の後に、学生時代の活動歴を実質的な理由として、試用期間満了時に採用を撤回して大きな支援運動を伴った裁判となった事例である。
三菱樹脂事件は一・二審は原告勝訴となり、最高裁では逆転敗訴になったが、それでも復職を実現した。復職は実現したものの最高裁判例としては「こと採用に関しては、思想差別禁止の適用はない」との判例が残された。日本軽金属事件では、「勝利的和解」を勝ち取りはしたが、復職は実現できなかった。その後、少しずつ、企業の優位は拡大され、学生の側の自由は縮小を余儀なくされた。
問題は企業だけではなかった。70年代に入るや、「最高裁よ、おまえもか」という事態が生じたのだ。かつては、思想信条や団体所属歴で、裁判官の採用差別は考えられなかった。裁判官の政党所属も、公的には自由だった。そのことは、裁判所に対する社会の信頼の支えの一つとなっていた。しかし、判事補採用希望の司法修習生が、青年法律家協会会員であったことを実質的な理由として任官拒否される事件が起こった。1971年私と同期(23期)では6名が任官拒否された。時あたかも、自民党政権からの、「偏向判決批判」キャンペーンと軌を一にするものであった。
反対運動は大きく盛り上がったが、結局判事補採用希望司法修習生の青年法律家協会入会は激減した。こうして、裁判官希望者は、任官以前から最高裁の意向を忖度する習性を身につけることになる。
今学生は、リクルートルックに身を装う以前から、就職や任官を意識せざるを得ない立場にある。総資本から、管理されていると言っても良いのではないか。大企業への就職競争は、いつからスタートしているのだろうか。有名幼稚園、有名小学校、偏差値中学を経ての進学校での受験偏重教育。その難関を経てようやく進学した大学で、政治活動などしていたのでは就活の成功はおぼつかない。就活競争とは、企業への忠誠心の競争である。反体制の活動に関わってなどしておられないのだ。
だから、確かに、いま国会を取り囲み、「戦争法反対」、「原発反対」、「差別を許すな」、「人間らしい働き方を保障しろ」と声を上げる人の中に、若者は少ない。しかし、彼らは何となく動員されて参加するのではなく、危険を覚悟で、自覚的主体的に、「ある種の生活防衛意識を背景にして」参加するのだ。
小熊は、「それが広範な人々を集めた一因でしょう」という。圧倒的な企業優位社会で管理され、萎縮した学生の運動離れの面だけを見ていると絶望的になるが、小熊のいう「『未来がみえない。平和な日常を守りたい』という広い層が共有している不安感」を背景に、こうした人たちの代表として運動に参加する学生たちと見れば、明るい展望も開けて来るのだろうと思う。
(2016年9月24日)
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2016.09.24より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=7517
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