政治家達よ!福島の現状を直視し全原発の閉鎖・廃炉に向かへ

連帯・共同ニュース 第118号 2011年5月17日 

■ 「智恵子は東京には空がないと言った」(『智恵子抄』)。まだ雪の残る安達太良山を車中から眺めながら智恵子のことを思った。彼女には青々とした空の記憶があったのだろうか。智恵子が今、福島の空を見たら何と語るだろうか。彼女の病んだ魂はこの病んだ世界をより鋭敏につかんだはずだ。彼女はもう福島にも空はないと歎いたか。これはたわいのない話ではない。彼女の感受する世界を政治家たちは想像できるだろうか。福島の現状は原発が今や人間の存在そのものに敵対する、いうなら人間の存在の倫理に反するものであることを示している。確かにかつて原発は技術的制御の可能性の中にあるように思われてきた。それに幾分かの懐疑を抱いていたにせよ僕もその枠組みの中にあった。だが、福島で進行する事態は原発の技術的制御の可能性が不可能性であり、原発の存在そのものの非倫理性を示している。僕らは反省を込めてそこで起こった事態を理解し、その解決のための行為を必要としている。
■ 脱原発が現にある原発への対応でありそれはいささかでも曖昧にしてはならない。が、その実現には径路というか道筋も必要である。脱原発への具体的な構想である。僕らは福島原発暴発阻止と浜岡原発停止→福島原発・浜岡原発の閉鎖と廃炉をさしあたっての段階としつつ、危険立地条件にある原発の閉鎖・廃炉へ、さらに全原発廃止へと段階を構想する。ここには時間が必要なのだが重要なことはこれが原発推進派との闘いの中でのみ可能であることだ。政府や官僚、産業界やメディアはまだ原発推進の幻想を捨ててはいない。人々の怒りが鎮静化の兆しでも見えれば推進派は頭をもたげる。彼らは原発災害の収拾の目途もたたず、次々とメルトダウンが明らかになる中でも原発推進を転換したわけではない。この間に原発推進派が重ねてきた所業が白日のもとにさらされている。それはカネと権力を使っての悪行である。その根の深さにはうんざりする程のものだ。僕らはこうした所業とその権力的構造を告発し続けなければならない。原発を推進してき政府、政党。官僚、御用学者やメディアなどについても容赦のない責任追及をやらねばならない。これは原発を推進してきた日本の政治権力や社会権力を変えることだ。脱原発にいたる過程では段階的道筋が必要だが、この過程では原発推進派との闘いが必至であり、それは現在の政治と社会の変革を内包する。絶望したくなる状態を希望にかえるためにもそれが必要だ。
■ 座り込みは5月20日(金)まで続けられる。是非、国会前にきて欲しい。(文責 三上治)

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