教科書問題の影 -教育委員会見直しの動きをめぐって-

自民党が教育行政制度を大幅に変更する法案を準備している。戦後、アメリカの制度にならって発足した教育委員会が選挙制から任命制に変更された1956年以来、60年近く続いてきたシステムが変えられることになる。

国民にとって身近なはずの義務教育などを担う行政の仕組みは分かりにくい。一般行政とは離れて、議会の承認を得て首長により任命される教育委員が合議制で最終責任をもつ体制になっていることが基本的性格である。日常的な業務は事務部門の長であり教育委員のメンバーでもある教育長とその下の官僚組織によって担われている。教育長は教育委員の任命であり、校長経験者か事務局の行政経験者が就任するのが一般的である。文科省資料によれば、市町村の教育長は平均年齢が63.4歳で、校長職や教育委員会の職(指導主事)にあった教員出身者が7割程度、教育行政に従事した事務職出身者を含めると約8割、いずれの経験もない行政経験者が2割程度である。

地元の国立大学教育学部(戦前の師範学校)出身の教員にとっては退職後に到達する、特別職に準じた栄達のポストである。彼らは日常的な学校運営から、文科省や県教育委員会から降りてくる指示の捌き方まで、長い経験のなかで学校教育の動き方をよく理解している。一方の教育委員には地域の企業経営者や幼稚園・保育園の経営者などが任命されることが多く、レイマン・コントロールである。教育行政は基本的に教育官僚によるイナーシア(慣性)で動いてきた。

この仕組みを変えようという重要な法案であるにも関わらず、分かりにくいテーマであるためか、マスコミはもちろん教育関係者の間でも法案の狙いなどについて、焦点を絞り切れないまま議論も低調である。教育長の首長による任命と首長への教育行政に対する指揮権限の付与が法案の眼目であることはほぼ一致している。この法案が成立すると学校教育には大きな変動をもたらす可能性があるが、その動機は意外と矮小なものではないかと思われる。

制度変更の根拠として繰り返し強調されているのは、「責任体制の確立」である。現行の制度は「委員長、事務の統括者である教育長の間での責任の所在の不明確さ、教育委員会の審議等の形骸化、危機管理能力の不足といった課題」(2013年10月中教審中間取りまとめ)があるという認識である。ならば、教育委員会の組織の見直しや教育長と教育委員との権限の調整によって責任の所在をより明確にする仕組みを検討すればよいはずだが、教育長の首長任命が結論として先に出されていた。

第二次安倍政権の発足が確実視された2012年12月、自民党の教育再生実行本部は教育委員会について、「『改正教育基本法』の理念にのっとり、いじめ問題でも露呈した現行の無責任な教育行政システムを是正」するため、「首長が議会の承認を得て任命する教育長を責任者とし、教育委員会は諮問機関とする」という方向性を示していた。「無責任」さの根拠として挙げられているは、いじめ自殺事件のなどの社会的に大きな関心を集めた際の教育委員会の対応がほとんど唯一であり、その後の文書では、ひたすらシステムの変更が議論され、変更された制度下でいじめ問題がどのように解決されるかなどは論じられていない。

首長や首長任命の教育長に権限を集中させれば迅速な対応が可能になるのか。2年前の大阪市立桜宮高校の生徒の体罰・自殺事件の際の橋下市長の介入が事態収拾を混乱させた例をみるまでもなく、その効果のほどは疑わしい。内部事情を知れば知るほど動きにくいものだ。家庭内暴力などはその典型であろう。教育の場も子どもたちの生活の場である。外部からの一方的な介入で解決できる部分は少ない。これも法案づくりの当事者も分かっているはずだ。では、根拠にもならないような理由で教育委員会を解体しようとする意図は何か。

現政権の教育委員会への干渉を考えると教科書、とくに中学校の歴史教科書と公民教科書の採択をコントロールすることに目的があるのではないかと思われる。沖縄県八重山地区の教科書問題が、2011年夏以来続いている。石垣市などを含む八重山地区の教科書採択にあたり、地区協議会長の石垣市教育長が中心になって、「新しい歴史教科書をつくる会」(以下「つくる会」)系である育鵬社のものを採択する決定をしたことが発端である。この決定方法などに反発した竹富町が町の予算で、全国でもっとも多く使用されている東京書籍の教科書を購入・配布するという事態が続いている。下村文科大臣は、教科書無償法を根拠に竹富町に育鵬社の教科書を使用するよう「是正要求」を出そうとしている。

さて育鵬社とは扶桑社の子会社である。扶桑社が「つくる会」の教科書出版に協力したことはよく知られている。しかし2001年に発行した教科書の採択はゼロに近かった。その後「つくる会」は、教科書採択の仕組みを研究した。教科書採択の過程では現場の教員の意見を反映させるのが一般的であるが、彼らは法律的には教育委員会にこそ決定権限があると主張し、支持者のいる教育委員会に的を絞って働きかけを強め、自分たちの教科書を採択させるという運動を展開した。

その後は会が分裂し、一方が似たような教科書を別の自由社から発行し、著作権などをめぐって訴訟合戦を始めるなど、会の活動は混乱した。占有率は育鵬社と自由社とを併せて1.8%程度(2011年度)に留まった。育鵬社のホームページによれば、直近では単独で3.8%程度まで伸ばしているとしているが、特別支援学校や私立学校が目立つなど、現場教員の声が届きにくい一部の学校に限られているのが現状である。

彼らの教科書がなぜ現場で敬遠されるのか。イデオロギー的な臭気が嫌われていることもあるだろうが、決定的な理由は、何よりも高校受験に不利なことである。公立高校入試では、原則としてすべての教科書に共通して掲載されている範囲からしか出題されない。英語では中学校で使用されている教科書の単語レベルまで調べ上げて問題作成される。「つくる会」系の公民教科書では自衛隊を2ページにわたって肯定的に取り上げるなど内容的に偏りが大きく、そのぶん一般的な内容の扱いが少なくなっている。歴史教科書では、二社だけが取り上げる人物に神武天皇、二宮尊徳、乃木希典がある。歴史学の観点から見れば神武天皇は論外として、他の二人も重要性は低く、これらの人物の「事績」の学習に時間を割くことは普通の教員は敬遠するだろうし、保護者にも歓迎されない。いくら思想的に「つくる会」に親しみを覚えていても、教育委員会として採択を強行することは躊躇せざるをえないのである。

「つくる会」やそれを支持する自民党議員たちはここにきて、教育委員会こそが大きな障害なのだと考えるようになったはずである。採択数の伸び悩みという事態を打開するためには力技が必要になる。現政権では、一時期「つくる会」会長であった八木秀次が教育再生実行会議のメンバーになっている。安倍首相の周りには「つくる会」の歴史観を共有する議員も多い。特定の教科書の採択を一気に増やすために、教育委員会を解体してしまおうという、常識的に考えればありえない判断も現在の自民党ではありえる話である。
この内閣は内政外交とも、歴代内閣が抑制してきた政治行動を臆面もなく実行に移している。自分たちの好む特定の教科書を子どもたちに押し付けるため、教育行政のあり方そのものを変えてしまうという乱暴さは普通には考えられないが、普通でないのがこの政権だと考えるべきだろう。

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