大昔に読んだ国際金融の教科書では、次の三つを同時に達成することは出来ないとされていた。これは納得できるし、今までこのことを否定する言説を聞いたことはない。
ア 為替レートの安定(あるいは為替レートの固定)
イ 自由な国際的資金移動
ウ 独立した金融政策(例えば、国内の物価安定を目的にした金利操作)
今更書くのが恥ずかしくなるようなこの教科書的知識を思いだすような記事にぶつかった。14日付けのWall Street Journal (WSJ)は、ソウルでのG20や横浜でのAPECのアメリカの失敗を手厳しく批判したうえで、今問題なのは、中国の為替政策ではなく、資本勘定規制なのだが、そのことにアメリカの財務長官は気づいていないとする。
教科書の基本を繰り返すことになるが、中国は上述の3つのうち、イを放棄して、アとウを選択しているのである。実際、中国が資金移動規制を撤廃したら、アとウのいずれかは実現困難になる。国内の安定を考えれば、ウを放棄することは不可能であるから、為替レートの安定(実際にはその過少評価)を放棄する以外にない。べらぼうな外資をため込んでいる中国に資金移動規制にこだわる理由はないから、その撤廃を要求することは理にかなっている。WSJはそこまで露骨に書いてはいないが、突き詰めれば多分こうなる。
こんな簡単なことをどうして忘れていたのか。一見複雑に見える国際金融を巡る様々な動きのなかにも、当たり前のことを忘れた(あるいは無視した)空文句ばかりが踊っているような場面が見え隠れする。
14日付けHandelsblatt (HB)はソウルでのG20は「均衡の取れた、持続可能な、革新的で堅実な成長」という形容詞が4つも重なる、しかしそれとは裏腹に具体性を全く欠く戦略に向けて各国は合意しただけだったと指摘している。つまり官僚的空文句を羅列するだけで、何の具体的成果もなく終わったとする。
これに対して、16日の東京新聞(社説)は、G20は「均衡の取れた、持続可能な」成長が必要だというが、現実にはいまの世界は均衡がなく、持続可能でもないことをまず認識する必要があるとする。そうなると、G20は現実を無視した話をしていることになる。あるいは、何の成果も出ないのであれば、現実はどうあれ、建前としてはだれも反対できない空句文句でお茶を濁すことにしたのかもしれない。
東京新聞はその上で、今後想定されるいくつかのリスク(アメリカの景気の腰折れや中国の国内暴発)を指摘する。しかし、その対応策となると途端に歯切れが悪くなる。日本の農業生産力や省エネ、環境技術を活用することを訴えるのはいいが、結語はなんと「要は構想力なのです。場当たり的対応ではなく」である。東京新聞自身が言ったことになぞらえれば、「構想力がないままで、場当たり的対応をする以外にない」のが現実なのである。そういう現実に対して、「構想力を持て」というのもまた、空文句に過ぎない。実際、「日本の農業生産力や省エネ、環境技術を活用する」として、それがどうして世界経済の「均衡の取れた、持続可能な」成長をもたらすというのであろうか。それがわからないところに空文句の空文句たる所以があるのであろう。
もっとも、東京新聞がそれを恥じる理由もまたない。日本の新聞社には経済の専門記者がいないと指摘されることが多い。経済の専門紙中の専門紙であるFinancial Times (FT)には専門記者がいる。専門記者中の専門記者と言っていいMartin Wolf 氏が17日のFTに「米中対立から抜け出す道を探す」と題する論文を寄せている。
Wolf 氏は、まず、FTの一貫した姿勢にくみし、アメリカの金融緩和政策を支持し、中国を次のように批判する。
胡錦濤国家主席はソウルの会議で、「あらゆる形の保護主義に反対し、既存の保護貿易主義的な手段を撤廃する努力」を約束するよう各国の首脳に求めた。
しかし、中国の為替政策は主席の言う「あらゆる形の保護主義」に確実に該当する。ことわざにもあるように、すねに傷持つ者は他人の批評などすべきではない。
WSJが「誤り」だとした中国の為替政策に対する批判が繰り返される。専門記者であるはずのWolf 氏も国際金融の教科書をもう一回読み返した方がいいのかもしれない。こういう「誤解」に基づいて議論を展開するのが影響しているのか、Wolf 氏の結論は驚くべきものである。
だが、そんな「通貨戦争」(ドル紙幣と人民元紙幣を増発しあう戦争─引用者)は間違いなく悲劇となろう。その理由はいくつかあるが、特に重要なのは、為替レートが比較的柔軟な、そして罪のない傍観者の国々にも大変な悪影響が及んでしまうことである。これではいけない。もっといい方法があるに違いない。いや、実際にある。バランスの取れた、中期的な調整プログラムを策定すればよいのだ。
上述した東京新聞が言うように、現実には「いまの世界は均衡がなく、持続可能でもない」のである。Wolf 氏はそれを認識したうえで、「バランスの取れた、中期的な調整プログラムを策定すればよい」と言っているのであろうか。これが「米中対立から抜け出す道」だとしたら、これは東京新聞の「要は構想力なのです。場当たり的対応ではなく」という結論と同様の、あるいはそれ以上の空文句である。
「通貨戦争」という言葉が適切かどうかは別として、経済面での厳しい競争は国際的には国家権力の存在を抜きにしては語りえない。国際経済における国家同士の衝突は絶えずあった。しかし、1945年以降に限って言えば、資本主義諸国は超大国としてのアメリカの影を抜け出す選択を持ち得なかった。中国は国内的にはともかく国際的には資本主義国と変わるところはない。その中国は、戦後初めてアメリカと正面から向き合って、自らの経済主権を主張し続ける可能性を持っている。そしてもうそうなったら、衝突は避けえない。あるいはドイツも参戦するかもしれない。教科書的知識からは「米中(独)戦争」に備えることが必要だということになる。
先週一番目についたのは、アイルランドの経済危機であった。アイルランドがIMFの緊急融資を受けることを巡るアイルランド国民の複雑な表情を18日の Guardian が伝えている。首都ダブリンの有力紙の幹部は、アイルランドは隣国イギリスからの独立は維持してきたが、今やEC、ECB(欧州中央銀行)そしてIMFに主権を引き渡すことになった、とGuardianの特派員に語ったという。1997年のアジア通貨危機直後の韓国やタイ、インドネシアと同じように、アイルランドもまたIMF管理下で厳しい緊縮財政を強いられることになる。近年アイルランドはヨーロッパ最低の法人税率を武器に急速な経済成長を遂げた。そのことから「ケルトの虎」と讃えられてきた。「小龍」と言われた韓国と共に、これで「龍虎」共に、IMFの軍門に下ることになる。主権の制限は経済上の敗戦ということになる。「占領軍」であるIMFのスタッフを迎えるダブリン市民の思いはいかなるものであったであろう。Guardianは様々な無名の市民の発言を伝えている。
柄にもなく、その記事の中に、Manchester Guardian 時代以来のこの新聞の視線を感じた。新聞に必要なのは「報道」と「解釈」だけではない。弱き者の思いを伝える課題をも担っている。そう思った。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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