皆様、既に御承知でしょうが、小池氏が御自身でカイロ大学の卒業証書を公開されました。 これにて東京都では、漸く正々堂々と選挙に突入されること、と思われるものの一部では、あの古言が通用しない方々もおられるようです。 その古言とは、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」(「孫子・謀攻編」)。
先入観を抱いて書を読めば、行間から出る疑問点にも気づかず、矛盾した論旨にも目が覚めず、己の錯誤にも気づかずに判断を誤り、誤謬を犯すことがあり、その危険を防ぐには、敵と己を知ることが重要なのですが、残念ながら、巧妙に張り巡らされた文章の隘路を抜けるのは戦闘よりも難しいのかも知れません。
先日来、例の書物中の疑問点、矛盾点を幾つか指摘して来ました。 最後に、他の著作の引用手法についての指摘もしておきます。
「女帝 小池百合子」の411頁で、国際ジャーナリストの山田敏弘氏の調査結果(「週刊ポスト」2017年6月16日号)からの引用をされて、小池氏のアラビア語の運用能力(ここでは会話能力限定)が低い、とされています。
その部分は、以下のとおり。
「ショクバの見解はこうだ。 『留学していたのが40年前だとしても、信じられない。あまりにお粗末でカイロ大学を卒業して通訳をやっていたという話を疑ってしまうほどだ。話す文章は完結しておらず、普段私たちが使うことのない単語を使っている。』」
しかしながら、ショクバ氏の見解は、これだけではありません。 以下のように続きます。 「それでも卒業しているのだから、読み書きが並外れて優れていたのだろうと思います」と。 会話文の一部を切り捨てるのには何らかの意図がある、と思うのは筆者のみでしょうか。
蛇足ですが、筆者の知人の米国人は、奥さんが日本人であり日本語が自由に話せますが、読み書きが出来ません。 また、過去には、日本語の会話、読み書きに何の不自由も無い米国人を知っていましたが、彼は、大阪弁を全く理解出来ませんでした。 大阪弁で話す相手との会話「通訳」(?)を私が何度かしたことがあった程でした。 「日本語の通訳をしてもらう何て」と自嘲気味に呟くので笑うのを堪えるのに苦労しました。 もっとも気の毒に思ったのは、近畿大学に通学されていた韓国の女子が大学内では日本語に何の不自由も感じないのに、大学の外の東大阪の商店街で話される言葉が理解出来ない、と泣きべそをかかれたときでした。 「大学の外は大阪弁と言うよりも河内弁なので」と慰めましたが、半信半疑の様子でした。 可哀そうに。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion9850:200617〕