あ~あ、やはりやっていた~。 大失敗を。 かの政権批判の論鋒鋭い政党の方々も批判眼欠如の方は、先入観を持って書物を読まれるので、御自分の先入観に従って活字を追われるのみになり、紙面の背後に潜む罠に気づかれません。 以下は、共産党 小池晃氏のツイッターから。
「石井妙子さんの『女帝 小池百合子』(文芸春秋社)。 読みだしたら怖くて止まらない。 ここに書かれていることにどう反論されるのか。 これを読んでなお小池氏(私じゃない方)を支持しようという方がいるのか。 なお、カバーはアレなんで外しました(^_^;) (2020年6月3日)
(https://twitter.com/koike_akira/status/1268179087975043074)
同じく小池氏に批判的な筆者でさえも彼の著書には疑問符をつけざるを得ませんが、世間では、小池氏憎しのあまり否定的に書かれたものを全面的に受け入れられる方々が多数であるようです。
私事ですが、数十年以上前にあるゼミで憲法条文を一字一句紙面の背後まで読むように仕込まれた癖が身に付いたのが幸いした、と言うべきなのでしょうか、どうしても表から裏から紙面を見る「癖」がついてしまったのでした。 しかしながら、一私人から、全国紙の書評に至るまで彼の書物に疑問符をつけられる方が殆ど居られない事実は、一体どうしたことなのでしょうか?
アマゾン等の書評欄では、批判的な書評氏には攻撃的なコメントが殺到しています。 しかしながら、良くその書評を読めば、肯定的な書評が敢えて見逃している細部に真実が宿っていることを鋭く指摘されておられ、良く書物を読解されておられるのが分かります。 即ち、当該書籍に肯定的な方々は、御自分の思いを書籍中に見出して、自己の思いが肯定されているのみで当該書籍を高く評価されておられるだけなのです。
さて、小池氏のカイロ大学卒業についての疑問符が幻に終わった、としても当該書の著者も、また、彼ら小池嫌いの方々も、共に納得されることは在り得ません。
週刊ポストの6月26日号では、問題のカイロ大学の卒業証書と卒業証明書が拡大されて公開されました。 これ等は、93年4月9日号で既に公開されていますので、今回は二度目になります。
しかしながら、これでカイロ大学卒業の事実究明に終止符がつく訳ではないでしょう。 何時までも疑惑、疑惑と言い募る方々が出る、と思われます。 女性のみを採点上で不利益に取り扱っていた医学部があった国で、法学を極めた身で賭け麻雀をしていた検事が居た国で、大学の運動部のコーチが他大学の選手を痛めつけろと言う国で、他国の大学等とその出身者をも疑いの眼で見ることは避けられないでしょう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion9859:200619〕