書評:『シラノ・ド・ベルジュラック』エドモン・ロスタン作 辰野隆・鈴木信太郎訳(岩波文庫)
「…消えろ、消えろ、はかない灯の光!人生は歩く影法師、あわれな役者だ。束の間の舞台の上で、身振りよろしく動き回ってはみるものの、出場が終われば、跡形もない。白痴の語るお話だ。何やらわめきたててはいるものの、何の意味もありはしない。」(シェイクスピア『マクベス』小津次郎訳)
エドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』を論ずるのに、いきなりマクベスのこの名高いセリフから始めたのは、少なくとも私の感覚に、シラノの生涯ほどこの「マクベス」の最後の喘ぎ、悲しみに通じているものは無いとの思いがあるからである。
もちろん、両者の舞台は全く異なってはいる。マクベスは徒(あだ)に栄達を囁かれてその人生を破滅させた。片やシラノは、純情一筋、かなわぬ恋にその人生をかけ続けて生涯を終える。両者に共通な相貌は、運命のいたずら、皮肉な運命に翻弄される人生のはかなさ、…。この点に多くの読者の共感や同情が集まっていることは間違いなさそうだ。
マクベスの運命を狂わせたのは、いたずら好きな魔女の悪辣な囁き、預言…?それとも、彼や彼の夫人の心にひそむ栄達を望み夢見る戦国武将の野心…?いやいや、マクベスに魔女を引き合わせたことが「運命のいたずら」か?
マクベスの悲劇は、予言された運命に従順であることによって引き起こされた。
シラノの悲劇は、己の容貌、特に魁偉な鼻の持ち主であることへのコンプレックスから来る。ロクサアヌへの一途な愛が、このコンプレックス故に潰える。彼は美男クリスチャンの影に甘んじて、あくまでクリスチャンの代役を務め、自分の純な愛をクリスチャンに仮託する。いわば生者が自己の魂を別の生者クリスチャンに憑依するのである。恐るべき愛情の深さ、恐るべき企てである。
ヘーゲルによれば、運命とは「具体的普遍」そのものである。いかなる天の定めも、それ自体で自己を具現できるものではない。それは個々の人間に自ら憑依し、個人の実践を通じて始めて自己を現実化する。逆に個人は、己の独自な実践を通じて、その独自な形式のうちに天の定めを実現しているのである。天命とはただそれだけであるのではないのだ。それに従順であろうと、それに抗おうと、そこにはすでに両者の根源的な統一がもたらされている。これが「具体的普遍」としての運命なのだ。ヘーゲルの卓抜な表現を借りれば、「真なるものは実体ではない、また同じように主体でもある」(『精神現象学』序文)
「シラノ・ド・ベルジュラック」の沿革
シラノ・ド・ベルジュラックは実在した人物である。彼は1619年にフランスで生まれた作家・文人で、実際に無敵の剣豪として鳴らしたらしく、あまたの決闘事件でも無敗を誇り、ルイ13世の親衛隊の一人としても活躍した人物として知られる。
もちろん、この作品は本人のものではなく、1897年にエドモン・ロスタンによって戯曲として書かれたものである。しかし、シラノのわずか36年間の実人生も、まさに波乱万丈の人生であったらしく、30年戦争のアラスの攻囲戦で重傷を負い、それから以後は文筆を主にし、時には政争に顔出しながら暮らしたようである。この作品の中にもその名が出て来る、天才劇作家のモリエールと同時代人だったことは興味深い。
西欧でもこの作品を基に多くの映画がつくられているが、日本でも「白野弁十郎」という和名で紹介され、新国劇の当たり狂言として、澤田正二郎、島田正吾などの名優によって舞台化されているし、三船敏郎主演の映画などもある。そして私見ではあるが、岩下俊作の名著『無法松の一生』にもこの作品の影響が色濃くあるように思う。
さて翻訳の方だが、岩波文庫版の『シラノ・ド・ベルジュラック』は、軽妙洒脱な江戸っ子の語り口で有名だった辰野隆、鈴木信太郎というフランス文学界の両泰斗の手になる、まさに職人技的な名訳であり、多少古めかしい言い回しではあるが、江戸っ子(あるいはパリっ子と言うべきか)の「べらんめえ」調子を存分に堪能させてくれる。
シラノの男伊達と純愛
かのソクラテスは、ペロポネソス戦争の時にアテナイ軍の歩兵として参戦し、裸足で氷の平原を先頭切って渡り、切り込んだという(この事は『ソクラテスの弁明』中に見られる)。同様に無数の修羅場を自分の腕一本、剣一丁で乗り越えてきたシラノ、ここでは彼の強さと弱さ、人情味がよくあらわれている個所からかなり長い引用をしてみる。独立不羈、100人を相手に一人で闘ったという伝説の男、シラノの男義と泣けて来るような純な愛情とを是非とも堪能・共感していただきたい。今や政治の世界はもとより、社会一般からも既に消えさったかの感がある義理・人情の機微、愛情のこまやかさを考える一助としたい。
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シラノ:俺の都雅は胸の中だ。半可な貴族たァわけが異ふぞ、下らぬおしゃらくはそっち除けで、心の手入れをしているのだ。すすがぬ恥辱、ねぼけ眼のぐうたら良心、汚れ腐った名誉心、生き血の通はぬ腰抜け魂なんざあ、忘れても持っちゃ出ぬわい。不羈独立と誠実とを羽根飾りにして靡かせながら、一歩を踏み出しゃ後光がさすわい。胸当てをつけて反り返るなあ、しゃら臭せえ体とはわけが異ふぞ、この魂だあ。矢たけ心を髪と一緒に天に向け、集団、円陣踏み越え乗り越え、拍車のように「誠」を響かすのだ。(p.52)
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シラノ:(苦く笑いながら)恋ができるかってのか?…
(調子を変へて深刻に)俺も恋をしているよ。
ル・ブレ:聞かしてくれるのか?君はまだ一度も話さなかったなあ?…
シラノ:俺が誰に恋するって?…考へてもみろ。俺はお多福からだって、惚れられていると思っちゃあひ済まないのだ。何處へ行ったって、御本尊より十五分も前に届いているこの鼻じゃあなあ。だがね、誰かを恋するとなりゃあ?…言ふにゃ及ぶ!俺はね―無理もなかろう―この上もない美しい人にこがれているのだ!
ル・ブレ:この上もない美しい女だって?…
シラノ:一口で言やあ、この世の中でなあ!類なくはなやかなまたなくあでやかな、(切なそうに)金髪の無上に美しい女性だ!
ル・ブレ:ええ!驚いたなあ、一帯その女性は誰なんだ?…
シラノ:想うまいと思うが、何がさて生死の大事だ、考えまいと思ふそばから、あの命取りの美しさ。思はず知らず落ち込む陥穽、蘭麝の薔薇花、恋の伏勢だ!あの微笑こそ完全無欠だ。静にして典雅、動にして霊秀。法螺貝に打ち跨った波の上の光るヴェニュスも、花咲く森に歩みを移すディアヌといへども、カゴに揺られて、パリの町をねり歩く、あの御方の姿には遠く及ぶまい!…(p.64)
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シラノ:なあに!そうじゃあない。泣くものか!いいや、こんな鼻の上をするすると涙が流れたら、見られた態かい!俺が身の程を忘れぬ限りは、涙の神々しい美しさを、こんな卑しい醜い鼻で汚させるものか!…ねえおい、涙より気高いものは無いのだ、無いのだぜ。この俺のために一滴の涙でも他人の笑草になって嘲られるなんて、そんな事をさせて堪るものか!…(p.66)
・・・
シラノ:ぢゃ、どうすりゃいいんだ?有力な保護者を探したり、後援者を持ったり、みすぼらしい蔦のやうに樹の幹に巻きついて、樹皮をしゃぶったお蔭で助けられてさ、自力でぬきんでずに狡計では這ひ上がるのか?いやだい、真っ平だ。
世間の詩人のやうに自作を富者に献げるのか?顕官の唇にまんざらでもない薄笑ひが浮かぶやうにと、卑しい望みを起こして幇間になるのか?いやだい、真っ平だ。
毎日毎日喉に通らぬ蟇蛙を食はされる思ひで脚を擂粉木にして腹をすかしてさ、膝の皮をよごして背骨を曲げる芸当をするのか?いやだい、真っ平だ。
凡庸の詩才を穢はしい幸福に代へて、節操を売って利益を求め、絶えず権力に叩頭して自己の栄達を計るのか?いやだい、真っ平だ。
懐から懐に取り入って、けちな仲間のへなちょこ大家となりすまし、下らぬ恋歌を櫂にして、老耄婆の三嘆を帆にはらんで乗りまわすのか?いやだい、真っ平だ。
版元のセルシイに頼み込んで詩集の自費出版か?いやだい、真っ平だ。
馬鹿者共が酒場で開く、阿呆会のおっちょこちょい連の親玉になるのか?いやだい、真っ平だ。
―小曲を貴人に献げて売名に腐心し、天職を顧みないのか?いやだい、真っ平だ。
唐変木相手の天才自慢か?反古新聞にびく附いて『何卒メルキウル・フランソア新報大明神、御加護を願ひ奉る』と念ずるのか?いやだい、真っ平だ。
胸算用のびくびくもの青たん面で作詩を忘れて御機嫌伺ひ、歎願の手紙に紹介の御依頼か?
いや、真っ平だ!真っ平だ!真っ平だぁ!
俺やな、歌って、夢見て、笑って、死に、独立独行して不羈、炯炯たる眼光朗々たる音吐、お望みとあらば斜めに頂く鍔広の毛帽子、一言の諾否にも命を懸けての果合―しかも暇がありゃ作詩三昧よ!栄誉も栄華もへちまの皮、月の世界は旅枕を、夢寝にも忘れぬますらを夫だあ!
独創にあらずんば筆を執らず、しかも傲らずして我と我が心に言ふのだ『いとしきわれよ、花も実も、名もなき草木のあだ葉さへ、異人ならぬ汝が園に、汝が手に摘まば楽しからまし』とね!さればこそ、風の吹き廻しで、少しは威勢の上がった時でも、セザアル様にお返し申すような借りは何にもない。腕一本に値打ちがあるんだ。
つまるところは、他人をたよりの蔦となるなあ真っ平御免、樫や菩提樹にはなれず、高い位には上がるまいが、やせてもかれても、独り立ちだあ!(pp.114-115)
シラノの愛の告白
このような硬派で剛毅なシラノが、親衛隊の同僚で美男の誉れ高いクリスチャンの恋の告白の代理を買って出る。クリスチャンは美男ではあるが、まるでその種の才能がない。ただ、彼自身も純粋で一本気な人柄である。そして、そのクリスチャンが恋する相手こそ、実はシラノが死ぬほど恋焦がれている当の女人なのである。シラノは最初は恐る恐るクリスチャンの代理を務めているが、だんだん本気になり、自身の胸の内をさらけ出す。いつの間にか影の男(黒子)が、本体の男(主役)と入れ替わる。いやむしろ、今やシラノはクリスチャンであり、クリスチャンはシラノである。ロクサアヌを媒介として両者は完全に一体化している。
今の社会の中でだんだん疎遠になっているこの純粋さを、恋の中でも、また自身の実生活、人生の中ででも取り戻したいものと強く思う。ここでも長い引用が続く。
・・・
シラノ:(興奮して身を進め)さうです、声まで別です。それも夜の暗さに守られればこそ、誰憚らぬ性根も出せるのです、誰憚らぬ…(絶句する。そして気も乱れたごとく)
何を言ってたのだろう?まるっ切り…わからない、―どうか私の感激を許して頂きたい―何と云ふ楽しさでしょう…私にとっては何たる新しさでしょう!
ロクサアヌ:新しさでございますって?
シラノ:(愕然としたが、なお絶えず旨い言葉を探し当てようとして)無上の新しさ…ですとも…真実を籠めるのは、他人から嗤はれるが辛さに、この胸を痛めたのも幾度か…
ロクサアヌ:なんでお嗤はれになるのでございますの?
しらの:いやこの、は…は、はやりにはやる思ひでです!・・・そうです、私の心は恥しさ故に絶へず機智の衣をまとふのです。星と輝く佳人の心を説き伏せようと思ひ立つは、立つものの、嗤笑のまととなるのがつらさに、粋な言葉の操りに思ひとどまるのです!
ロクサアヌ:粋な言葉も恋の華でございますわ。
シラノ:然し今夜はそのような華もなお賤しと思ひたいのです!
ロクサアヌ:今迄一度もそのようなお話振りは遊ばしませんでしたのね!
シラノ:ああ!恋は箙や箭や松明や、そんな紋切型はさらりと抛げ出し、…生き生きとした現実の世界に一思ひに飛んで行けたなら!可愛らしい純金の指貫を杯にして、一滴、また一滴と味もないリニョンの川水をくむよりも、むしろ恋の大河のあふるる水をぐっと傾けて、心の底までうるほす事が出来たなら、あゝ、どんなに!
ロクサアヌ:でも雅びな才気も惜しいではございませんか?
シラノ:私とても始めはあなたの心を停めるようにと粋に雅びに振舞ったのです。しかし今となっては、ヴォアチュウルの恋の玉章もどきで物語をするのは、却ってこの夜、この薫り、この時、この自然を侮辱するといふものです!-空の星の美しいまたたきを眺めて、私達の虚飾を捨てようではありませんか。私は深く恐れるのです、雅言の秘術が却って真情の流露を吹き散らし、徒らな暇つぶしに霊の泉が涸れ果てて、恋の至情が空の空に終ってしまひはしないかと!
ロクサアヌ:でもその雅びの才気が?…
シラノ:恋の最中にその才気こそ憎む可きです!徒に才華の応酬を長引かすのは寧ろ罪悪です!長引かせばとていづれは至上の時が来るのです―私はこの時に逢えぬ輩を憐れんでやる!―その時には、両人の仲によこたはる尊い恋を胸にひしと感じて、徒に耽る言葉の綾こそ却って悲しみの種となるでせう!
ロクサアヌ:では!若しその時が両人に来たならば、どんなお言葉を伺えますの?
シラノ:どんな、どんな、どんな言葉でも胸に浮び次第、叢る語り草を、かがり束ねる暇も惜しい、可愛いあなたに叩きつけます。私はあなたを恋しているのです。胸もはり裂けんばかりです、恋している、気も狂ふばかりです、もうどうすることも出来ません、実に千万無量です。胸に宿るあなたの名は鈴の音にも似ています。ロクサアヌ、私の胸は休む暇もなくときめいている。
その度毎に休む間もなく、想いの鈴も激しつつ、あなたの名を響かせる!あなたの事を考へれば、あらゆる想い出がわいて来るのです。私はあなたの凡てを愛した。忘れもせぬ去年の或る日、そうだ5月12日です。朝のそぞろ歩きにと、あなたは新しく髪を結い直していたでしょう!日輪を見詰めすぎると何を見ても紅い円光がつきまとふように、光り輝くあなたの髪を見詰めた私は、溢れるばかりに眼を射ったその光から離れた時、目はくらんで何を見てもブロンドの斑点がにじんでいたのです!
ロクサアヌ:(声も苦しげに)ほんとに、それこそ真の恋でございます…
シラノ:そうですとも、いま私を襲うこの恐ろしい執着の心、これこそ真の恋なのです。恋には傷ましい狂乱があるのです!
然しその恋も―必ずしも我執ではない!嗚呼!
あなたの幸福のためならば、私の幸福などは何時でも差上げます。仮令あなたが私の犠牲を少しも御存じなくとも、若し私の犠牲から生まれた幸福の笑いが、仮令たまにでも、仮令遠くからでも聞くことができるなら、それで満足です!―あなたから見られる度毎に、私の心には新な精進勇猛の心が湧き上がります!今はあなたも少しは解ったでしょう?ねえ合点がいったでしょう?夜の暗さを昇って行く私の魂を少しは感じられるでしょう?…
あゝ!実に今夜と云ふ今夜は、非常な美しさです。
またとない楽しさです!私はすべてをあなたに打ちあけた。そしてあなたはそれを聴いて下さる、私のことを、あなたが!有難すぎます!ささやかならぬ望さへ夢にはみたが、これ程までになろうとは思い設けなかった!今はただ死ぬより外はない!
私の物語を聞いて、想ふ女が、青い小枝にすがって、戦いておられるからには!風にそよぐ木の葉のように、身を震わせているではありませんか!ふるえていますとも!私には感じられる、そのあなたの手のなつかしいふるえが、否でも応でもこのジャスマンの枝を伝わって来るのが!(彼は夢中になって垂れ下がっている枝に接吻する)(pp.158-161)
シラノの死
30年戦争の戦闘の中で、盟友クリスチャンは戦死し、シラノ自身も重傷を負う。ロクサアヌの下にはクリスチャンの死亡が伝えられる。「力なき美は悟性を嫌悪する」という、ロクサアヌは移ろいやすい表面的な美男から自己を解放し、今や精神的な美の境地に立つ。しかし、その境地とは、実はシラノがかつて表白した彼の精神の内実に他ならない。もちろん、ロクサアヌはそのことを全く知らない。彼女はシラノの精神をもったクリスチャンを愛しているのである。
・・・
ロクサアヌ:さあ、お喜びあそばせ。だって、移ろい易い姿形を愛されるのは、恋する気高い心を苦しませることになりますわ。けれど幸い、美しいお心があなたのお姿を消してくれました、そればかりか、初めに私を喜ばせたお姿を、私、今では、もっと深く見ておりますの…私、もうただの美しさなどに気を奪われてはおりません!(p.230)
シラノ:(傍白で、剣を抜いて)もう俺は今日死ぬより外にない、あの女は自分でこそ知らないが、クリスチャンの裡の俺を悲しんで泣いているのだからなあ!(p.242)
・・・
瀕死のシラノが覚えず口ずさむ、あの甘美な夜の思い出、あの時の甘いやり取り、これがロクサアヌに真相を知らせる。だが、時すでに遅く、またシラノ自身も決して自分の精神とクリスチャンの肉体の一体化を再び分離することを望まない。再び影に戻り、そして本体の死と共に死ぬ。
・・・
シラノ:それで宜い、俺の生涯は人に糧を与えて―自らは忘れられる生涯なのだ!(ロクサアヌに)ねえ、クリスチャンが露台の下であなたに話をしたあの晩のことを覚えているでしょう?たしかに!私の生涯がそれなのです。私が下にかくれて暗闇の中に佇んでいると、他の奴等が昇って行って光栄の接吻をかち得たのです!が、それも正しい裁判だ、私は墓の入り口に立って敢えて承認する、『モリエールは天才にしてクリスチャンは美男なりき』と!(p.274)
シラノ:いや、一体全体どう魔がさして、一体全体、どう魔がさして、そんな船に乗り 込んだのだ?…
哲学者たり、理学者たり、
詩人、剣客、音楽家、
将た天界の旅行者たり、
打てば響く毒舌の名人、
さてはまた私の心なき―恋愛の殉教者!―
エルキュウル・サヴィニヤン・ド・シラノ・ド・ベルジュラック
此処にねむる
彼は全なりき、而して亦空なりき。
…だが、もう逝こう、では失礼、そう待たしておけない、
御覧なさい、月の光が迎えに来ましたからなあ!
(彼はがっくり腰を落とす、が、ロクサアヌの泣く声で再び我に返り、彼女を眺める、そして彼女のヴェールをなぜながら)
私はあなたに望む、あの愛らしい善良な美男のクリスチャンのために深く深く歎き悲しんでください。而し唯、黒いヴェールに両の喪の心をこめて頂きたい。そしてクリスチャンを悼み、傍らこの私をもほんの少しばかり悼んでいただきたい。(pp.276-277)
・・・
シラノは運命に翻弄されたのであろうか?いや、彼は見事に彼の運命を生き抜いたのではないだろうか。何故なら、運命とは「具体的普遍」であるからであり、様々な葛藤の中にこそ彼の存在(定在)があるからである。「見事に」という意味は、彼がこのことを十分意識していたからだ。だからこそ「彼は全なりき、而して亦空」なのである。
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