チリ鉱山落盤事故で33人が救出されたのはよいニュースであったが、その後この鉱山は操業停止となり、361人ほとんどの作業員は退職金もなく解雇されたと報道されている(『朝日新聞』10月19日付夕刊)。本書によれば、チリの銅生産量は、1980年107万トンから2009年593万トンへ5倍以上に伸びており、これは世界の生産量の3分の1以上を占める(165ページ、藤原昌彦稿)。今回大統領が救出に活躍したことは認められるが、急成長の下で鉱山労働の条件が悪かったことを知らなかったはずはない。救出パフォーマンスはだれのためだったのであろうか。
本書によって、社会科学者、人文科学者の書いた専門書とは違った視角に啓発されるところが多かった。たとえば第16章第1節 技術者は「どうやって作るか」よりも「何を作るか」に頭を悩ませるようになった からは、社会科学者も「どのように書くか」と同時に「何を書くか」にもっと悩まなくてはならないのではないか、と考えさせる。
本書は3部に大分され、第1部 生活圏の技術 は、住、食、水、家庭電化、クルマ、医療、第2部 産業社会の技術 は、材料、エネルギー、輸送、コンピュータ、労働、軍事、,第3部 技術がもたらす自然と社会の崩壊 は、開発、廃棄物、事故、技術者、化石燃料 にそれぞれ章分けされている。
終章のむすび 持続可能な社会のために技術はいかにあるべきか で編者の一人井野博満は、「いらない技術や物が多すぎる」とし、技術の方向性を転換することが必要とする。「その技術の方向性とは、人びとの根源的欲求に沿いつつ、人と人との関係や自然との関係を良くするものでなければならない」(424ページ)との主張はまさに至言と思う。
何が必要かを社会全体で総合的に考えて生産することが望ましいが、それは無政府的な資本主義経済下では実現できないことである。
(藤原書店、2010.10,3800円)
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