断捨離のさなか(3)アチーブメントテストいうのがあった

文京区同心町にあった、その中学校へは、都電で通学していた。池袋始発の都電は大塚方面への16番と伝通院、春日町、八重洲口、数寄屋橋行きがあった17番の2路線で、17番は、どれに乗ってもよかった。日ノ出町、大塚坂下、護国寺、大塚窪町、文京区役所前をへての同心町であった。大塚坂下で、16番は大塚駅へと別れる。豊島区から文京区にかけての17番は、まさに文教地区を突き抜ける感じで、多くの通学生でいっぱいだった。豊島岡女子、豊山高校、大塚窪町で降りるのは、お茶の水女子大学、東京教育大学、跡見学園、貞静学園など幼稚園生から大学生まで、制服も様々で、にぎやかなことだった。文京区役所も隣にあった小石川高校も今は移転してしまっている。伝通院には淑徳学園があり、下車駅よりたった一つ先だったらしいが、行ったことがなかった。1969年には廃線になっている。
生徒手帳が出てきたのである。入学したころは、付属小学校から上がってきた生徒と中学からの生徒の間では、なんとなくぎごちなかったが、それもだんだんと薄れていった。私が驚いたのは、多くの生徒が、音楽の時間の前後に、こともなげに、「エリーゼのために」や「乙女の祈り」を弾いていることだった。しかも男の子までが。小学校のとき、近くの小学校の先生のお宅でオルガンを習っていたこともあって、学校のピアノでバイエルの74番をみんなの前で弾いたことがあったのだが、なんだか急に恥ずかしくもなったのである。
そして、初めて出会った英語、英語の女の先生が英語で挨拶すると、みな上手に返しているのだ。なかには、いまでいう”帰国子女“の生徒もいて、発音からして違っていた。気後れして始まった英語。読み書きは何とかなっても、カンバセーションの折は、とてつもなく緊張したものだった。科目ごとに代わる授業は、新鮮で楽しかったが、なかには、毎回、授業に遅れる国語の教師がいた。授業の中身もおざなりのような気がしていたが、のちに、管理職に就いたらしい。また、別の国語の時間で、授業の初めに十問の漢字テストが行われた。そこで、必ずと言っていいほど、毎回、満点のMさんがいて、”漢字博士“とでもいうのだろうか、「あこがれ」の人でもあった。彼女は、いまどうしているのかな。また、ベテランの先生が多い中で、非常勤の大学院生の授業もあって、まじめで、熱心なのが伝わってきた。 社会の日本史のA先生の、立て板に水の「ものがたり」風の授業は嫌いではなかったが、歴史は物語ではないということは、のちにイヤというほど知らされるが、歴史への関心の入り口ではあるのかもしれない。
数学は、中学校までは、嫌いではなかったが、K先生、Y先生は、ベテラン・若手の違いはあったが、その教え方が対照的だった。K先生は、口数が少なく、重くじっくり考えさせ、Y先生は、冗談も多く、親しみやすく、ヒントも多くくれたように思う。
当時の高校進学に際しては、アチーブメントテストといわれ、国・英・数・理・社のほかに体育・図工・音楽・家庭科の筆記試験があった。学校の期末試験や模擬試験などでは、私の場合、体育など4科目の実技はともかく、点を稼げる科目であったことは確かだった。とくに家庭科は、多岐にわたる、雑学ぽいところもあり、野次馬根性からか、好きというか、楽しかった。実技の「裁縫」で、浴衣やブラウスまで苦労して完成させたことは、懐かしい思い出ではある。いま、家事が得意かと言われれば、手際がいいとはいえない暮らし方に甘んじている昨今ではある。
部活では、当初「美術部」に入っていたが、名画の模写が続いていたので、こらえ性のない私は、早々とやめてしまった。当時、昼休みになると毎日のようにフォークダンスの輪ができていたが、私にはどうもなじめなかった。それでも、体は動かしたかったのだろう、球技は苦手だったので、一時期「ダンス・徒手体操部」に入って、マット運動や飛び箱、組体操の真似事のようなことを続けていたことがある。腰痛に悩む昨今、いまから思えば夢のようでもある。

(参考)小中高時代の遠足や旅行については、以下の記事で触れています。
昭和の旅行私史(1)遠足はどこへ行ったか覚えていますか
(2011年2月14日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2011/02/post-6bc8.html

20214_20210426183201

レッドロビンの花が咲いた! 生け垣をヒバからカナメモチに替えて20年くらいにはなると思うが、レッドロビンが花をつけるのを初めて知った。たしかに、この花は、見たことがあったかが、毎年咲いていたとも思えないし、雑草の花くらいに思っていた。今年の咲き方は 、その数からしていつもとは違っていたので、枝を探ってみると、なんとレッドロビンの花だったのである。ネットで調べてみると、剪定をしていると花はつきにくいという説明だった。

初出:「内野光子のブログ」2021.4.26より許可を得て転載
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/04/post-0ed3ba.html
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10805:210428〕