一月下旬、東京・神田の教育会館で、ささやかな賞の授賞式が行われた。「新聞労連大賞」―平和や人権の増進に寄与する優れた新聞報道に与えられるものだが、翌日の新聞は一部がごく小さく報じただけだった。
受賞したのは、大阪地検特捜部のデータ改ざんを特報した『朝日新聞』大阪社会部の取材班と、普天間移設問題を連携して報道した『高知新聞』『琉球新報』の取材班の二組。前者は、現役特捜部長らの逮捕、起訴にまで発展した検察不祥事を暴いた仕事としてよく知られている。が、後者については、少しく説明が必要かもしれない。
勉強会きっかけに
『高知』『琉球』両紙はそれぞれ高知県、沖縄県の県紙。両紙の間に普段、格別のつながりはない。その二つの新聞が提携して、昨年八月から十一月にかけ、特集を組むなど普天間基地の返還・移設問題を伝えたのが、今回の受賞作となった。『琉球』は沖縄の視点を色濃く反映した記事や情報を提供した。『高知』は提供された記事をそのまま紙面に組み込むとともに、自社の記者を沖縄に派遣して、本土の記者の目で現地の事情を伝えた。
提携のきっかけは『高知』の労働組合が昨年六月、『琉球』の松元剛政治部長を講師に招いて開いた勉強会だった。『高知』の記者たちは、基地の騒音問題など、初めて耳にする沖縄の厳しい現実を知って衝撃を受ける。講演を聴いた『高知』の中平雅彦編集局長は、自分たちが沖縄の現実に無知であることに気づき、沖縄の視点に立った報道の必要を痛感して『琉球』に協力を求めたという。
提携第一弾は二〇一〇年八月十三日付紙面。六年前の米軍ヘリ墜落事故の日に合わせて組まれた『琉球』の特集記事を、『高知』もそのまま一面全部を費やして掲載した。松元政治部長の講演内容もその日から三回に分けて連載した。『高知』はまた、取材班を沖縄に送り、普天間基地周辺の実情や、さまざまな基地負担を強いられている小集落のルポなどを伝えた。
その後も、普天間の辺野古移設反対派が圧勝した名護市議選や沖縄県知事選を、『高知』は『琉球』の協力を得ながら大きく報じた。そのほか、本土の新聞がほとんど報じなかった、米海兵隊次期輸送機オスプレイの普天間配備計画などについても、『琉球』の報道を転載した。
「沖縄の視点で」伝える
地方紙同士が共通の問題意識に立って取材・編集上の協力をしたり、記事交換をしたりするケースは珍しくはない。現に、今回の労連大賞の優秀賞に選ばれた作品の一つは、『沖縄タイムス』『神奈川新聞』『長崎新聞』という、県内に米軍基地を持つ県紙が合同で「安保改定五十年」を振り返って、それぞれの「米軍基地の現場から」報告した特集だった。
しかし『高知』と『琉球』の報道の際立った点は、普天間の返還・移設をめぐって、沖縄県民の切実な願いに関心の乏しい本土のメディアのなかにあって、『高知』が「沖縄の視点で」問題を考えようとの決断をくだしたことだった。
一昨年の政権交代で、普天間の返還、県外移設に沖縄の期待は高まった。しかし鳩山政権はその期待を早々に裏切り退陣、後を継いだ菅政権も県内・辺野古への移設を進めようとして、沖縄の失望と怒りを買っている。この間、全国紙を中心とする本土メディアの多くはほぼ一貫して普天間の県外、あるいは国外への移設に否定的な姿勢を取り続けてきた。
基地報道をめぐる本土メディアとの間の埋められない深い溝に、沖縄のメディアは「やり場のない疎外感」を抱えているという。彼らには「日米両政府が沖縄を苦しめる壁だとすれば、本土メディアは『第三の壁』ではないか」との思いもある(『高知新聞』二〇一〇年十一月二十六日)。
県内に基地を持たない『高知』が沖縄の視点で普天間問題を考えたいという取り組みは、そんな空気のなかでの勇気ある試みというべきだろう。多くの本土メディアも、そして本土の国民の多くも、基地をめぐる沖縄の苦しみを自分のこととして考えてはいない。考える意思も想像力も持ち合わせていない。あえてそこに「沖縄の視点」を持ち込んだ『高知』の決断は決して容易なものではなかったに違いない。ここにはジャーナリズムの責任を自覚ししっかりとその役割を果たした新聞の姿があるように思われるのである。
問題意識と想像力欠く
実を言うと、筆者はここ数年、「労連大賞」選考委員の一人を務めている。今回の『高知』の受賞で思い出したのは、六年前にやはり『高知』が高知県警の捜査費不正支出問題の報道で「労連大賞」を受賞したことだった。このときは、県警の取材拒否や新聞不買などあらゆる圧力や妨害を跳ね返して捜査費の虚偽請求の実態を報道した新聞の姿勢が評価された。全国紙やテレビはこの問題をほとんど報道せず、『高知新聞』だけが県警を相手に孤軍奮闘する結果になった。当時の孤独な戦いを『高知』の記者たちは「ひとり旅」と呼んでいた。
同じ年、北海道でも道警の裏金疑惑をめぐる報道で『北海道新聞』が疑惑追及のキャンペーンを張った。が、全国紙は報道の戦列に加わろうとせず、ここでも『道新』を孤立させた。『道新』もこの年、『高知』と並んで「労連大賞」を受賞した。
『高知新聞』の今回の沖縄報道で六年前の『高知』と『道新』の「ひとり旅」を思い起こしたのは、沖縄問題の報道と高知県や北海道の警察不祥事の報道に対する、他のメディアの姿勢に共通の問題が見て取れるからである。一つは、沖縄が戦後六十五年抱え続けてきた苦悩も、県警・道警の不祥事も一地方、一地域の問題としてとらえ、国民全体が考えねばならない課題と見なす問題意識も想像力も欠いていることだ。
沖縄問題は即、日本の安全保障にかかわる問題であり、沖縄だけの問題ではありえない。基地の騒音や危険の問題も、そこに住む人たちに犠牲を強いてすむことがらではない。高知県や北海道の警察の不祥事は全国の警察の体質に根差した問題であり、特定の都道府県に限った問題ではない。しかし現実には、沖縄問題も警察不祥事もいまだに限られた地方、地域だけの問題としてしか、メディアはとらえていない。
「主体者」として報道
メディアに共通するもう一つの問題は、権力に対抗して困難な問題に立ち向かう意思と気力が乏しいことである。普天間返還・移設をめぐる主要なメディアのこれまでの報道はその典型だった。日米関係重視を後生大事に唱えるばかりで、政権交代を機に安全保障を見直し、沖縄の負担軽減を図る努力を政府に促すことさえしなかった。警察の不祥事報道でも、地元の新聞の報道を後追いすることすらせず、まして警察全体の問題として追及する姿勢は見せなかった。こうした体質がメディアに残る限り、本土のメディアが沖縄から「第三の壁」と批判されるのも仕方がない。
『高知新聞』と『琉球新報』の提携報道は、こうしたメディアのありようを自ら変えようとする試みとして評価できる。「労連大賞」の授賞式で『高知新聞』東京支社の須賀仁嗣編集部長は「沖縄のやるせない怒りをどう伝えるか考え、(中略)見て見ぬふりの民意にあらがうにはわれわれメディアが主体者にならないといけない」とあいさつした。その言葉に、六年前の「ひとり旅」の経験から得た新聞の覚悟がうかがえるような気がした。
ジャーナリズムの衰弱を嘆く声が引きも切らない。しかし毎年、暮れから正月にかけて「労連大賞」の候補作に目を通していると、この仕事に携わる人たちの熱い息遣いに出会う思いがする。今回の『高知』の紙面づくりの背後に筆者が感じたのも、そうした熱い志だった。こうした新聞を作る人たちが報道の現場にいる限り、ジャーナリズムもまだまだ捨てたものではないという希望が湧いてくる。
初出:新聞通信調査会『メディア展望』3月号(第590号)の「メディア談話室」より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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