(2024年3月25日)
大相撲春場所は昨日が千秋楽。荒れる春場所の幕内優勝は、青森五所川原出身の尊富士となった。新入幕力士の優勝は、両國勇治郎(その後に梶之助)以来110年ぶりのことだという。当時は江戸時代以来の年二場所制、一場所10日間だった。「一年を二十日で暮らすよい男」という川柳が生きていた時代。そして、東西対抗制でもあった。そんな「昔」以来のこと。良くは分からないが、快挙というべきなのだろう。
110年前は1914年。その年の1月1日が、私の亡父の誕生日である。存命していれば、父は110歳なのだ。相撲とも、尊富士とも、何の関係もない父ではあるが。
さて、1914年とはどんな年であったろうか。第一次大戦勃発の年としては知られているが、そのほかにはどんな出来事があっただろうかと、ウィキペディアを検索してみて驚いた。グレゴリオ暦の1914年が、その他の紀年法でどう表記されるかが、下記のとおり記されている。ウィキ恐るべしである。
干支 : 甲寅
日本(月日は一致)大正3年 皇紀2574年
中国(月日は一致)中華民国3年
朝鮮(月日は一致)檀紀4247年 主体3年
ベトナム 阮朝 : 維新7年12月6日 – 維新8年11月15日
モンゴル国 共戴3年12月6日 – 共戴4年11月15日
仏滅紀元:2456年10月5日 – 2457年10月15日
ヒジュラ暦(イスラム暦) : 1332年2月3日 – 1333年2月13日
ユダヤ暦 : 5674年4月3日 – 5675年4月14日
修正ユリウス日(MJD) : 20133 – 20497
リリウス日(LD) : 120974 – 121338
※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。
このうち、ベトナムの「維新」と、モンゴルの「共戴」は既にないようだ。もちろん、日本の「大正」もなくなっているが、後継の元号として、昭和・平成・令和が生き残っている。「君主」死亡の度にリセットされて変わる欠陥紀年法が、110年後の今に至るまで生き残っている不可思議を嘆かざるを得ない。「大正3年」時点で、10年後も大正が続いている保証はない。いや、いつ元号が変わることになるのか、確実に明日も同じ元号が存続しているのかは、実は誰にも分からない。不便この上ない元号の使用はもう、いい加減に止めることにしようではないか。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記 改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。」2024.3.25より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=21439
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion13626:240326〕