新年あけまして、おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2021年 元旦 野上俊明
昨夜、ドイツのメルケル首相の首相としての最後の新年の挨拶をみて感動いたしました。
年末のドイツ国民にあてた活動自粛要請も世界中で話題になりましたが、現代では全く希少価値になってしまった、政治指導者の道徳的威厳というものに触れた感があり、多くの励ましをもらった気持になりました。
“Wir dürfen als Gesellschaft nicht vergessen, wie viele einen geliebten Menschen verloren haben, ohne ihm in den letzten Stunden nah sein zu können.“(私たちは、いかに多くの人々が愛する人を、その最期のときに近づくこともできずに失ってしまったかを、社会として忘れてはなりません)
注目したのは、als Gesellschaft(社会として)の個所で、私はすぐさま新自由主義の元祖マーガレット・サッチャーの言葉を想い出しました。
There is no such thing as society. There are individual men and women and there are families.(社会などというものはない。個人としての男と女がいて、そして家族があるのだ)
ベクトルは正反対ながら、両者が「社会」に込めた意味は、「共同体」というものに近いでしょう。メルケルの含意は、「一人は万人のために、万人は一人のために」に近いところにあるように思います。
それに比べて日本の政府はとつい言いたくなりますが、しかし西洋のことわざに「政府は国民に値する」とあります。それぞれの国民は、その民度に合わせたレベルの政府しか持てないというものです―ただし国民が政府を選択する自由が存在するという条件付きですが。
だとすれば、野党についても我々は自らのレベルに応じた程度の反政府政党しか持てないことになります。政権交代に値する野党を形成する義務が我々にあるということ、これを新年に当たってのわが志として記しておきたいと思います。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
〔opinion10430:210101〕