新年にあたって思う――ウクライナとミャンマーのこと

 昨年世界中の耳目を引いたのは、電子戦争の様相を呈しながらも、その本質においては二十世紀的な古めかしい戦争の嵐に見舞われたウクライナであり、また軍の暴力が荒れ狂ったミャンマーでありました。ユーラシア大陸のほぼ両端に位置する二つの国を見ていると、直接的な縁がないにもかかわらず、世界の同時性という思いを強くしました。たとえば、圧倒的に優勢で戦争と暴力の主導権を取ると思われた側が、初期の目標を達成するどころか、その反対の結果を招いて四苦八苦していることです。ロシアはNATOの拡大を押し戻すべく、ウクライナに傀儡政権の樹立をもくろんだといいます。しかしウクライナを屈服させられず、そればかりか北欧諸国のNATO加盟に弾みをつけてしまい、自らの包囲網を呼び込むかたちになってしまいました。ロシアは表面の強気の姿勢とは裏腹に、あとはいかに面子を保って、戦争を終結させるのかというところに追い込まれつつあるようにみえます。冒頭に二十世紀的といったのは、プーチンが他国の領土に宣戦布告せずに特別軍事作戦と銘打って攻め込み、傀儡政権を打ち立てようとした手法は、かの「満州事変」そっくりではないかと思ったからです。他方、ミャンマーの軍部は、過去の成功体験から、活動分子を殺すか根こそぎ獄に封じ込め、有象無象の一般大衆を暴力による恐怖で縮み上

11月、東部ルハンスク州、戦略的関門クレミンナの町付近まで前進、ウクライナ軍女性兵士 taz.de

がらせれば、支配は容易だと高を括っていました。ところが彼らに敢然と歯向かってきたのは、暗い過去を知らないデモクラシーの若い申し子たちでした。1988年のときは、学生青年の一部が辺境に逃れ、少数民族と連携して武装闘争に乗り出しましたが、軍にほぼ封じこめられてしまいました。しかし今回は万に達する青年たちが武闘訓練を受け、自分たちの村や町に戦闘員として帰ってきました。しかも村人や町人が彼らの地下活動をバックアップしています。そのため軍事政権は、ザガイン管区や辺境地域では軍事作戦でも優位に立てず、民間居住区への無差別の空爆や砲撃で民主派の攻勢を凌いでいる状況です。
 そして本年は、軍事政権は合法政権への衣替えをねらって総選挙に打って出ます。全土を平定しているわけでもない現状では、これは軍事政権にとって一種危険な賭けです。全土が選挙のボイコットに動けば、軍の正当性は丸つぶれになるからです。したがって軍事だけでなく、政治決戦の苛烈な闘いが不可避となっています。民主派勢力にとっても、抵抗権を行使する闘いの先に、法の支配を貫徹する統治システムの構築をめざす政治闘争のアクセントを強めることになります。国連安保理のミャンマー軍事政権への非難決議、米議会でのミャンマー支援法の可決など、国際的な支援体制も強化されるなか、民主派勢力がいかに政治的軍事的に前進しうるのか、極めて重大な局面を迎えます。
 戦争やクーデタが起きる前は、ミャンマーとウクライナ両国とも国民としてのまとまりを欠き、受動的で支配されやすい国民という印象がありました。キリスト教(ロシア正教)と仏教(上座部仏教)という世界宗教の版図に属しつつ、しかしどこか普遍性に欠けていて民族性の癖が強い信仰心の持ち主という印象もありました。ところが両国は、戦争とクーデタをきっかけに面目を一新しました。かたや国民国家としての主権と領土の奪還をかけ、かたや近代的で民主的な国民国家形成をかけ、国民が連帯の絆で強く結ばれ危機を迎え撃っているようにみえます。(下写真、いずれもイラワジ紙)
      
10月カチン州、音楽会空爆で75名死亡  7月ザガイン管区チースー村焼き討ち、ムスリム犠牲

特に特にミャンマーは、植民地支配と軍部独裁によって、民族・宗教・人種という歴史的社会的活断層に沿って、それぞれの社会集団は分断孤立化させられて、暴力支配の餌食になってきました。いや、仏教徒ビルマ族が多数派を占める、イラワジ河流域の中央平原地帯の農村にあってさえ、理由は不明ながら共同体的な絆は相対的に弱いとの現地調査の報告もあります。事実、歴史を見てもイギリスの植民地支配に本格的に反抗したのは、世界恐慌にともなう国際米価暴落時の一回きり(サヤサン・イラワジデルタ暴動)でした。私の経験からいっても、ミャンマー人はミタズ(家族)以外の拠りどころももたずバラバラで、権力側にとってこれほど御しやすい民はなかろうという印象が強かった。しかし至近距離から抗議者の頭を平気で撃ち抜く、軍の理不尽な暴力は人々をほんとうに怒らせ、過酷な運命に立ち向かう強い性格の人間に変えつつあるのです。世界へ開かれた、強い自我―これこそZ世代の若者が新たに身に着けつつあるものではないでしょうか。
 現在のウクライナ――キッシンジャーやチョムスキーといった高名な政治家や学者が、ウクライナ戦争の責任は、ロシアをそこまで追い込んだアメリカやNATOの側にあるような発言をして、しきりにウクライナに譲歩を迫るかたちでの停戦を、和平を促しています。しかしどうでしょう、地政学的な類例でいうと、ウクライナ戦争は1938年のミュンヘン協定とよく似ています。あのとき、英仏はナチスに対する宥和政策を選択し、チェコスロバキアを犠牲にして戦争を回避しようとしました。しかしそれはヒトラーをつけ上がらただけで、結局第二次大戦の呼び水となってしまったのです。ヒトラーと同様に、独裁者プーチンの戦争政策は、味を占めればとどまるところを知らず、次の拡張政策にとりかかり、バルト三国などまず最初に報復の血祭りにあげられるでしょう。独裁者の独特の政治的意思決定のメカニズムに対する警戒心を緩めてはならないと思います。
 中国と国境を長く接するミャンマーから見るとき、ウクライナ戦争の帰趨に無関心でいるわけにはいきません。ロシアの侵略が成功すれば、中国もそれを見習う惧れがあります。中露両国の支配者は、弱小民族に対する姿勢においては、民族自決権というレーニン・ドクトリンを蹂躙した独裁者スターリンの直系です。ミャンマー国民は、ウクライナ人の戦いに励まされています。ウクライナ問題がどう解決されるのか、台湾や東南アジア諸国民は大国の覇権主義のモデル・ケースとして注視しています。
 戦争の性格は、戦争の仕方にはしなくも露呈します。少なくとも私はどちらの陣営に理があるのかを、そこから判断します。ロシア軍のこの10か月の戦い方――占領地における民間人虐殺、無防備都市へのインフラ攻撃、高級将校の作戦指揮能力の低さ、作戦行動における反人権的用兵、下級将兵の士気の低さや規律の乱れ、将兵による略奪行為、補給兵站の軽視など、旧日本軍の侵略戦争の仕方によく似ています。一般情報から探ってみても、ロシア軍の道徳的優位を示すものはなにもありません。それはこの戦争にロシアの側に大義がないこと表しています。
 ミャンマーとウクライナ両国民が対峙しているのは、残忍さで悪名高き強敵であり予断を許しませんが、少なくとも負け戦にならないことは確かです。ロシアは長期戦に持ち込んで、西側の援助の先細りによってウクライナの戦争継続能力が尽きるのを待つ戦略でしょう。対するウクライナ側は、新年の比較的早い時期に大攻勢をかけて東南部地域の失地をできるだけ回復し、和平交渉に有利な地歩を確保すべきなのでしょう。戦場で失ったものは、交渉の席で取り戻すことはできないという戦争の法則があり、また交渉のルールを決めるのも、戦場で優位に立っている側です。
 敵の力を過小評価せず、味方の弱さともリアルに向き合って急ぎ修復補強し、ウクライナ軍は冬季決戦に、ミャンマーの民主派勢力は似非総選挙決戦に臨んでいってほしいと思います。それだからこそ、国際社会の方もその支援の真剣度が問われてくるのでしょう。

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/
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