新総裁、政治家志望の原点についての自問自答。

(2020年9月14日)
私・スガです。本日、形だけの選挙の結果、自民党総裁になりました。明後日16日には、臨時国会で内閣総理大臣として指名を受けることになります。

しかし、今、自問しています。私は、いったい、どうして政治家を目指したのだろう。どんな政治家になりたいと思っていたのだろう。どんな国家ビジョンを描き、どんな社会をめざそうと考えたのだろうか。私にとって克服されねばならない社会の現実とはなんだったのか。到達されるべき社会の理想とはなんだったのか。そして今、政治家スガとは何者なのだろうか。

正直言って、私・スガには、政治家という生き方の原点たるものが何も思い浮かばないんです。社会の現実との葛藤の経験も、若くして目指した熱い理想も、自分のこととしてはな~んにもない。その意味では、なんともスカスカ。こういうことも事実であります。だから、私には渾身の力で国民に訴えるべきなにものもないし、共感を呼ぶ力もない。

戦争の悲惨を経験して、平和な世の中を作ろうと決意した政治家。貧乏の辛酸を嘗め尽くして、格差や貧困のない社会を志した政治家。基地被害の実態に憤って安保廃棄を目指した政治家。母の堪え難い生き方に涙して、女性差別のない社会を理想とした政治家。身近に障害者の苦悩と接して福祉社会を目指した政治家。労働運動の限界を感じて、政界に転じた政治家。原水爆の悲惨を学んで、核廃絶のために生涯を捧げた政治家。多くの政治家が、自分の政治を志す原体験を語ります。その原体験が理想を追求する情熱となり、国民の共感を呼ぶ力の源泉となります。でも、私・スガには、そのような原体験も理念も理想もない。だから、スカスカというしかないのです。

それでも、総裁選立候補ともなれば、なにか言わねばなりません。そこで、私は繰り返しこう言ってきました。

「私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助』であります。まず自分でやってみる。そして地域や家族がお互いに助け合う。その上で、政府がセーフティーネットでお守りをします。さらに縦割り行政、そして前例主義、さらには既得権益、こうしたものを打破して規制改革を進め、国民の皆さんの信頼される社会を作っていきます」

我ながら冷や汗が出る。自分の原体験から出た自分の思想ではなく、肚の底からの自分の言葉でもない。だから、実は自分でも何を言っているのかよくは分からないのです。でも、なんとなく、それらしくは響くでしょう。私は、これまでのそのときその場を、こうして凌いできたのです。

「私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助』」。何のことだか分からないと、真面目に分かろうとする人からはたいへんに不評です。そうでしょう。真面目に分かろうとするほどの言葉ではないのですから。

「私が目指す社会像というのは『自助・共助・公助』のバランスがよく整った社会」と言えば、日本語として少しは分かるでしょうか。「『自助・共助・公助』のバランスをどうとろうとしているのか、それを明確にしなければ何を言おうとしてのかさっぱり分からん、ですか。そう言われればそのとおりですから、はっきり申し上げましょう。

この世の現実も、私・スガが目指す社会も、「自助」がほぼ全てです。そう考えていただかなくてはなりません。「共助」もあってしかるべきですが、それは飽くまで「公助」の出番を抑えるため。セーフティーネットという「公助」は、最後の最後にようやく出てくるもので、最初から当てにしてもらっては困るのです。飽くまでも、「自助」中心のこの世の中。私だって、高卒で上京して自分で働いて、誰にも甘えることなく、自分でなんとか暮らしを支えてきた。自助努力で自己責任を全うすること。これが資本主義社会の大原則。そういうことも事実であります。「公助」に甘えるとは、他人の稼ぎを当てにすることで恥ずかしいことと考えていただかねばなりません。

もう一つ。私・スガが目指すものは、「規制改革を進めていく」です。概ね、「規制」とは弱者保護のためにありますから、規制を緩和し、あるいは規制を撤廃するということは、弱者の保護を引き剥がすことを意味します。結局は、「自助努力・自己責任」論と同じことになります。

この世は企業社会です。企業あっての経済繁栄であり、企業あっての雇用であり、企業あっての福祉です。国家の経営を支えるものは企業なんです。企業活動の自由なくして、国民生活の繁栄はあり得ません。労働規制も、消費者保護も、建築規制も、都市計画規制も、環境法制も、全ての規制が企業活動の自由に桎梏とならざるを得ません。

労働者保護とか、消費者保護とか、自然環境擁護とか、社会福祉を充実せよとか、農林水産業を守れなどという縦割り行政を盾にした既得権益擁護派の諸君と果敢に闘い説得して、企業活動の自由を断固守る。これが、私の目指す政治なのです。こうすることで、国民の皆さんの信頼される社会を作っていこうというのです。

こうお話しているうちに、自分の政治家志望の原点を思い出してきました。そうそう、私は、この苛酷な社会で勝ち組になりたい、そう考えたことも事実であります。そのためには「強者である企業活動の自由のための政治を行う」ことが必要だ。しかし、「票は、多数の弱者からいただかなければならない」。この二つを両立させようとしてきたのが一貫した私の政治姿勢ですね。

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2020.9.14より許可を得て転載

http://article9.jp/wordpress/?p=15653

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 https://chikyuza.net/

〔opinion10113:200915〕