新自由主義を考える人の必読書 ―経済生活にもある大量虐殺― 書評 中山智香子著『経済ジェノサイド―フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社)

《三つの観点からフリードマンをみる》
本書はミルトン・フリードマンを教祖とする新自由主義批判の書である。
見事な出来映えである。気鋭の論客である著者・中山智香子(なかやまちかこ)は1964年生まれ、早稲田大とウィーン大の大学院で学び、現在東京外語大教授。経済思想、社会思想史を専門とする。
リベラルや社会民主主義者は、今まで新自由主義を自明の悪者に仕立ててきた。条理を尽くした批判は少なかった。悪者はしぶとく生き残っている。たとえば安倍晋三の政策、旧自民党手法の復活に見えるがそうではない。新自由主義の地雷を埋め込んでいる。

私は三つの観点から本書の概要を紹介したい。一つは、新自由主義言説の実体化・現実化、即ち「経済ジェノサイド」を活写したこと。二つは、その過程で生じた「市場原理の例外」に厳しい指摘をしたこと。三つは、経済人類学を批判の原点にしたこと。以上である。

《「経済ジェノサイド」とフリードマン学説》
第一。「ジェノサイド」(大量虐殺)。
武器や収容所による物理的な虐殺ではない。経済政策が一国の経済、はたまた世界経済を残忍に破壊する場合がある。それを「経済ジェノサイド」だと著者はいうのである。
初期の実例はどこで起こったか。それは1973年にチリで起こった。社会主義のアジェンデ政権が、ピノチェトの軍事クーデターにより壊滅したあとに、それは実行された。いわゆる「惨事便乗型資本主義」の実現である。国有企業の民営化、輸出入規制の全面的な撤廃、価格統制の廃止、年金制度の改悪。これらの政策によってチリ経済はハイパーインフレに襲われ破局的なダメージを受けた。ナオミ・クラインの著作名でもある「ショック・ドクトリン」が実行されたのである。

この政策の起源はフリードマンにある。
経済的な「市場」原理と政治的な「自由」とをワンセットで「正義」と定義し、国家の経済「介入」は個人の政治的な「隷属」に帰結する「不正」であるとする思想、この明快で単純な言説が「新自由主義」の要諦である。結果として大企業を利することになるイデオロギーである。フリードマンと彼の率いる「シカゴ・ボーイズ」は、周到な戦略を立てて、政治家へのロビイング、メディアの有効な活用、学界における勢力拡大、によって新自由主義による「世界経済の制圧」に成功した。
「世界経済の制圧」? 一握りの扇動者によってそんなことが可能なのか。読者は信じがたいだろう。信じない読者は、是非本書に当たってもらいたい。ドキュメンタリー映画のような迫力で、シカゴ大学教授の経済学者が率いる一派の大進軍が活写されている。

《市場原理には例外があった》
第二。「市場原理の例外」の批判。
著者は「企業」と「貨幣」という二つのキーワードで新自由主義の死角を指摘する。
ケインズは市場の欠陥を国家の介入で修正しようとした。その介入が行き過ぎて第二次大戦戦後の資本主義に不都合が起きたころ―著者は1970年前後とみる―にジョン・ケネス・ガルブレイスは資本主義批判を行った。ガルブレイスは、ケインズ主義は支出項目の内容を深く問わなかったので、軍事支出の増大を招き「軍産複合体」が形成されたこと、「テクノストラクチュア」(「企業官僚」。国家官僚と共通する思考と行動をとる)に支えられて独占資本が形成されたこと、を理由に批判したのである。彼が「新しい産業国家」と定義する体制では、企業は利潤動機だけでは動かない。
一方、新自由主義では企業を「極大利潤の追求者」として単純化し、国家の存在は曖昧になる。新自由主義者は、市場原理が全てを解決すると説くが、現実は違う。リーマンショック時に、資金供給介入を実施して深刻な金融危機を救ったのは国家であった。著者はこのように「市場原理の例外としての企業」の存在を主張する。この場合、企業と国家は、類似の主体であり類似の行動をとる、と考えられている。

70年代の変動相場制移行は、戦後国際経済の秩序たる「ブレトン・ウッズ体制」を崩壊させた。フリードマンが早い時期から主張したシステムの実現である。変動相場制は、実体経済の必要から、先物取引を生んだ。しかし為替市場とその先物市場は、実需を離れて「カネがカネを生む」投機市場として拡大した。金融工学の利用が拍車をかけ、様々な派生商品が生まれた。タックス・ヘイブン(税金逃避地域)とともに、国家主権の及ばない金融市場の急激な成長である。フリードマンの予想すら超えた「市場原理の例外としての貨幣」の出現である。この二点以外にも、ピーター・ドラッカーの『見えざる革命』的認識に関する興味深い論説を展開している。

《ホモ・フマニタスとホモ・アントロポス》
第三。経済人類学という原点。
著者の「市場原理の例外」批判は、ガルブレイスや変動制相場論に拠っていて経済学の枠内の議論にすぎないように見える。しかしそうではないのである。著者の論旨は、さかのぼれば先進国イギリスの古典経済学に遅れて出発したドイツの国民経済学、倫理重視の「社会政策学会」といった学問の流れを踏まえている。直接の言及が多いのは、経済人類学者カール・ポラニーである。『大転換』の著者ポラニーは、「市場社会」を乗り越えるための原理を追究した。それまで経済学は市場に登場する主体を、自己利益の拡大を求める「ホモ・エコノミクス」を理念型として発展してきた。ポラニーの経済人類学は、人間類型を「ホモ・フマニタス」と「ホモ・アントロポス」に分ける。前者はヒューマニズム、ヒューマンにつながる人間概念である。ヨーロッパ中心の世界史では、こちらが優位な概念であった。後者はギリシャ語で「人類」、「人間」をあらわす言葉だという。
私はポラニーの原典を知らぬが、自己流に解すると、「フマニタス」は普遍的な概念、近代的な発展・進歩につながる概念である。一方の「アントロポス」は、もっと個別的、具体的な人間を認めようとする概念である。更に独断を加えれば、「アントロポス」は「近代批判」に通ずる要素がある。ポラニー派を是とする著者は、この考え方に親和的な日本の経済学者として、玉野井芳郎、宇沢弘文、都留重人、西川潤を挙げている。そして自身は、本書執筆に集中した忙中に金曜日の反原発デモに参加した行動派でもある。

《新自由主義を論ずるための必読の一冊》
私は本書を読んで大きな知的高揚を感じた。
そして、新自由主義への態度の如何を問わず、共通認識のための必読の一冊であると思った。フリードマンの『資本主義と自由』に出てくる「政府がやる理由がないのにやっているもの」14項目のリスト(本書80~81頁)を見れば、常識人ならのけぞるに違いない。しかし、一瞬おいて、日本の政党の選挙公約にもその一部が含まれていることに気がつくだろう。更には橋下徹大阪市長の行政手法は、「そうだ、これはショック・ドクトリンの実践だ」と思い当たるだろう。

中山智香子著『経済ジェノサイド―フリードマンと世界経済の半世紀』、平凡社新書666、
平凡社、2013年1月刊、840円+税

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
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