公平を期するために、林健太郎の例を挙げておく。林健太郎(1913~2004)はドイツ近現代を専門とした歴史学者で、マルクス主義から出発したが次第に離れていった。東大全共闘と強気に対決した伝説の人である。東大総長も務めた。林は「大東亜戦争肯定論」を否定し、林を「東京裁判史観論者」とする批判者と対決した。本書には、田中正明、伊藤陽夫、小堀桂一郎、中村粲らとの論争が記述されている。一々は挙げられないが、林の論戦は、主な舞台が『諸君!』、『正論』であるものの、大東亜戦争の侵略性に関する林はまともであり、批判者のエキセントリックさが目立つ。
《林vs中村のサワリは》
ここでは中村粲との問答を掲げる。
中村粲(なかむら・あきら、1934~2010)は英文学者で獨協大学で教鞭を執った。
中村は大東亜戦争への道における中国の責任を強調した。中島の解説はこう書いている。
■(中村は)日米戦争の大きな要因は、中国が同じアジア人である日本人を裏切り続け、アメリカやイギリスを利用して保身を図った「策謀」にあるというのです。中国の「背信的二重外交」と「以夷制夷」(夷をもって夷を制する)という伝統的戦略こそ、日米対立の「底流」を構成してきたと主張し、中国外交のあり方を厳しく批判しました■
以下に中村・林の論議を問答形式に直して掲げる。
■中村粲
支那の歴史責任と呼ぶべきものは大民族主義、内部抗争、中華思想、そして背信あるいは詐術外交とでも名付けるべき対外戦略である。これら諸要素が相互に関連し合い、増幅し合って支那の混乱を生み出し、それが対外軋轢や紛争を惹起してきたところに支那の歴史責任の生ずる所以がある■
■林健太郎
(中村氏の主張は)日本が中国の領土を占領しその人民を支配することは善であり中国人がそれに反抗することは悪であるという認識が貫いている。/他国の領土に出兵しその土地と人民を支配するということは「侵略」以外の何ものでもあり得ないと私は思う。/当時の「革新的」軍人のイデオロギーは(私は)知悉しており、その浅薄、独善、非合理性を痛感させられた。彼等の企てたいくつかのクーデターは不発に終わったが、彼等が民間右翼と呼応して日本の政治に圧力を加え、その政権掌握は成らなかったそれだけ一層対外的進出を促進したことは、個人の経験を通じても十分に認識することができたのである。/この戦争によって、何と多くの青年たちが可惜生命を失ったことか。私自身も戦争末期に一等水兵としての生活を送ったが、これは日本に既に船が全くなくなっていたから生命に別状はなかった。しかし私は教師をしていたから教え子たちの中には帰らなかった学生が沢山いるし、そういう知識階級の子弟の他に更に大ぜいの若者たちの死とその親族の悲嘆が存在する。それを思うと「大東亜戦争」はアジアを解放した有意義な戦争だったなどという気に到底なれない■
■中村粲
私は林氏と正反対に、大東亜戦争の歴史的意義をきちんと認め、戦没者の行為をそれなりに評価し、民族共通の記憶の中に呼び覚まし続けてゆくことこそ、唯一の鎮魂であると信じてゐる。死者の生命を甦らせぬことが出来ぬ以上、彼等の犠牲的精神と行為を称揚し、栄誉あらしめ、記憶に留めてゆく他に慰霊と慰藉の途はないだろう■
《テキスト選択・革新の不在・背景説明に問題》
私の感想を三つ書く。
一つは「テキスト」の選択は適切だったか。
二つは、革新との比較の不在はなぜか。
三つは、今日的意義の表現に失敗している。
第一 まず、中島が驚いたことに私は大いに驚いた。
田中美知太郎の文章に、中島は「私は驚くとともに、田中の論理に強い説得力を感じました。保守派だからといって、みんなが大東亜戦争に至るプロセスを肯定的に捉えていたわけではない。超国家主義に対して懐疑的なまなざしを向けながら同時代を生きていた保守思想家が存在する。そのことに安堵するとともに、ここに忘却された重要な論点があると直感しました」と書いている。
戦時中にものを考えるインテリであれば、この程度の時代認識をもつのは普通だと思う。それは私の読書歴を振り返っても、「保守・革新」、「左右」を問わず、このような認識はあった。問題は、それが抑圧されて知識人すべての敗北に終わったことである。
中島の選んだ「保守」は殆ど人文科学系の知識人である。社会科学者は少ない。既に日本の社会科学は権力の弾圧で崩壊していたのである。共産党の壊滅に始まり「中公」「改造」の廃業までに至る言論、思想の弾圧史を一々は述べない。
徳富蘇峰や箕田胸喜の「正統派」に是非取り組んでもらいたい。石原莞爾や保田与重郎のように戦後に「平和憲法」の精神を肯定した論者の分析も望みたい。
なぜそれが起こったのか。転向のカテゴリーで論じられるのか否か。
話は逸れるが、個人的な記憶では1950年代後半にTBSラジオ(当時は「ラジオ東京」)で中島健蔵、池島信平、高木健夫(読売新聞記者)の鼎談番組があり和気藹々と辛口批評を語っていた。
第二 保守論客が戦後の言論空間に及ぼした影響についての言及が少ないことである。
言説は空中に浮遊するのではなく時代認識、時代のイデオロギーに影響を与える。
本書に登場した論者は、ナショナリズム、天皇制、革命、戦争、資本主義、日米関係についてどう考えていたのか。中島が言及する限り、論点は東西対立の中での反共の砦論が基調となっている。反共は、東西冷戦終結後、主要な論点ではなくなった。戦後左翼が、東西冷戦終結について総括を出していないように、保守論客も反共思想の有効性が失われた今、何をもって保守理念の基調、基礎付けをするかの答えを見出していない。
その場合には、天皇制の再評価が必須になるだろう。一方で、現実政治と外交では、天皇制のゆらぎと対米従属が進んでいる。
第三 以上の数点が欠落していることで本書の今日的意義が見出しにくいことである。日本政治の現実は、「つくる会」や「日本会議」のような反動的で非知性的集団が、権力の中枢にある。本書にはこの事態に対する批判的言及がない。むしろ「反共宣伝」に利用される懸念さえ感じられる。
《林健太郎のメッセージに光明》
私は本書に欲張りすぎた注文をしたかも知れない。
本書258頁の林健太郎のメッセージに、一筋の光明を見いだしたいと書いて結論とする。
〈この誤りを認めることを「自虐」などと言って拒否するのは「自卑」、すなわち自己を卑しめかえって自己を傷つけるものであることを忘れてはならない。〉
(2018/10/22)
■中島岳志『保守と大東亜戦争』、集英社新書、2018年7月刊、900円+税
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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