安倍政権が、集団的自衛権行使を容認するための「解釈改憲」に猛進している。日本国憲法の根幹をなす第9条についての解釈を内閣決定あるいは政府方針で変え、自衛隊と外国の軍隊が共同して戦争を戦えるようにしようというわけである。5月3日の憲法記念日には、新聞各紙の社説がこの問題を論じたが、その87%が「集団的自衛権行使」「解釈改憲」に反対であった。こうした論調は、この問題に関する国民世論を反映したものと見ていいのではないか。
国立国会図書館では、北海道から沖縄までの全国各地で発行されている一般新聞(日刊紙)53紙を閲覧できる。そこで、この53紙について、5月3日憲法記念日の社説(新聞社によっては「論説」「主張」の名称を使用)に目を通してみた。中には、5月1日から3日まで、3回連続で憲法に関する社説を掲載した新聞社が4社(東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞、徳島新聞)あった。
53紙のうち、社説欄のない紙面が6紙あった。これを除いた47紙についてみると、憲法問題とは別のテーマを論じた新聞が1紙。残りの46紙はいずれも「集団的自衛権行使・解釈改憲」問題を論じていた。その論調を大まかに分類すると「集団的自衛権行使・解釈改憲」賛成が5紙、「集団的自衛権行使・解釈改憲」反対が40紙、「憲法記念日を日本の将来について各人が見つめ直す機会にしてほしい」という、いわば中立的立場が1紙であった。つまり、「集団的自衛権行使・解釈改憲」賛成10・9%、「集団的自衛権行使・解釈改憲」反対87・0%、中立2・2%という内訳だった。
「集団的自衛権行使・解釈改憲」賛成派は読売新聞、日本経済新聞、産経新聞、富山新聞、北国新聞である。
その代表格は読売新聞と言っていいだろう。同紙社説は「集団的自衛権で抑止力高めよ」「解釈変更は立憲主義に反しない」と銘打って次のように書く。
「近年、安全保障環境は悪化するばかりだ。米国の力が相対的に低下する中、北朝鮮は核兵器や弾道ミサイルの開発を継続し、中国が急速に軍備を増強して海洋進出を図っている」
「領土・領海・領空の生命、財産を守るため、防衛力を整備し、米国との同盟関係を強化することが急務である。安倍政権が集団的自衛権の憲法解釈見直しに取り組んでいるのもこうした目的意識からであり、高く評価したい。憲法改正には時間を要する以上、政府の解釈変更と国会による自衛隊法などの改正で対応するのは現実的な判断だ」
「集団的自衛権とは、自国と密接な関係にある国が攻撃を受けた際に、自国が攻撃されていなくても実力で攻撃する権利だ。国連憲章に明記され、すべての国に認められている。集団的自衛権は『国際法上、保有するが、憲法上、行使できない』とする内閣法制局の従来の憲法解釈は、国際的に全く通用しない」
「憲法解釈については『国民の権利を守るために国家権力を縛る<立憲主義>を否定するものだ』という反論がある。だが、立憲主義とは、国民の権利保障とともに、三権分立など憲法の原理に従って政治を進めるという意味を含む幅広い概念だ。内閣には憲法の公権的解釈権がある。手順を踏んで解釈変更を問うことが、なぜ立憲主義の否定になるのか。理解に苦しむ」
一方の「集団的自衛権行使・解釈改憲」反対派の社説の論旨はどのようなものであったか。以下に紹介するのは「平和主義の破壊許さない」と題した北海道新聞の社説の書き出し部分だが、それは、いわば反対派の主張を簡潔にまとめたような内容となっいていた。
「戦後日本の柱である平和憲法が危機に直面している。安倍晋三首相は歴代政権が継承してきた憲法解釈を覆し、集団的自衛権の行使を容認する『政府方針』を、今月中旬にも発表する。自衛隊の海外での武力行使に道を開くもので、専守防衛を基本とする平和主義とは相いれない。9条を実質的に放棄する政策的転換と言っても過言ではない」
「首相は、さらに、憲法が権力を縛る『立憲主義』を否定する。一国のリーダーが、国の最高法規をないがしろにする異常事態だ」
「憲法の危機であり、アジア諸国との関係においても深刻な緊張を生むことになろう」
この社説が示すように、反対派各紙の社説には、まず、集団的自衛権の行使容認によって「戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認」を規定した憲法9条が空文化、死文化し、日本が戦争に巻き込まれる危険性が一気に増すのではないか、との危機感が共通していた。例えば、信濃毎日新聞は「海外での自衛隊の交戦が現実味を帯びる」と警戒感を露わにする。
とりわけ、広大な米軍基地をかかえる沖縄の新聞の論調には本土の新聞にはない切迫感と切実感がただよう。
「岐路に立つ憲法 戦争の足音が聞こえる」と題した沖縄タイムスの社説は言う。
「ベトナム戦争の際、集団的自衛権の行使で韓国軍が派遣され多数の死者が出た。イラク戦争で英国は集団的自衛権を行使して兵士を送り込み、米国に次ぐ死者を出した。日本は、戦争終結後に人道復興支援で陸自を派遣したが、一人の犠牲者もなく民間人を傷つけることもなかった。9条が歯止めとして機能したからだ。あの時日本が集団的自衛権の行使が可能だったら、米国からの戦闘派遣要請を断れなかっただろう」
また、琉球新報の社説にはこんなくだりがある。
「米国が(集団的自衛権)行使容認を求めるのは、米国が始める戦争に日本を巻き込み、戦費を支出させたいからだ。日本が始める戦争に付き合うつもりなど、さらさらあるまい。日本はかつて、米国の戦争に反対したためしがない。今までは9条を理由に参戦を断ることができた。行使容認となった途端、参戦を強く要求されるに違いない。対米従属が骨の髄まで染みている日本が断れるはずがない。参戦すると、相手国から日本が攻撃されることになる。例えば原発にミサイルが撃ち込まれる。日本にその覚悟はあるのか」
次いで反対派各紙に共通しているのは、安倍政権が「立憲主義」を逸脱するのでは、との懸念だ。
例えば、河北新報は「立憲主義の本旨、再認識を」と題した社説で「事実上、政府の一存で『実質的な改憲』を行うならば、憲法自体への信頼性を深く傷つけよう」「仮に集団的自衛権の行使を認めるというのであれば、憲法の改正が筋だ。国民にその必要性を時間をかけて説き、正規の手続きにのっとり、審判を受ければいい」と説く。
このほか、「憲法の規定のどこからも導き出せない集団的自衛権の行使を『解釈変更』と呼ぶ首相らの主張は明らかにおかしい」(長崎新聞)、「解釈変更には無理がある」(下野新聞)、「戦後の日本を平和日本として存続させてきた至宝を一内閣が放棄することは許されない」(愛媛新聞)、「主権者不在の改憲だ」(北日本新聞)……といった批判が相次ぐ。
東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞の3紙は5月3日に「憲法を考える 9条と怪人二十面相」と題する共通社説を掲載したが、戦前の1936年に江戸川乱歩の探偵小説が出版され、そこに怪人二十面相という変装を得意とする怪盗が登場して巷の話題になったこと、その年に陸軍の青年将校らが反乱を起こした2・26事件が起き、翌年には日中戦争が始まったことに言及し、「安倍晋三政権が宣言している『解釈改憲』もメディアを連日にぎわし、驚くべき変装術を見せてくれます。憲法九条は専門家が研究しても、集団的自衛権行使など認めているとは、とても考えられません。それを政権が強引に解釈を変えようとする変装です」と述べていた。
安倍政権が、憲法の解釈変更を進めるための根拠に「砂川判決」を持ちだしてきたことにも強い疑念を表した社説もあった。
中国新聞は「この裁判では駐留米軍が憲法9条で禁じられた戦力かどうかが問われた。自衛隊や自衛権が争点ではなく、まして集団的自衛権という概念が当時あったのか疑問である。時代背景が違うと言わざるを得ない」「しかも判決が、安保条約という高度な政治に司法の審査権はなじまない、と言及した点は見逃せない」と述べ、熊本日日新聞も「砂川判決が認めたのは個別的な自衛権というのが定説だ。だからこそ、政府も一貫して集団的自衛権の行使を禁じてきた。今になって、判決の一部を引き合いに出すのは結論ありきで、我田引水の議論だろう」と書く。
集団的自衛権行使問題よりも先にやることがあるのでは、と論じた新聞もあった。福島民報の論説である。「憲法と福島 避難者の権利回復急げ」と題したそれは「安倍晋三首相の目は、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認に向いている。急ぐべきは、憲法で保障されている避難者の権利回復ではないか。憲法13条で生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利について最大の尊重を必要とするとしている」と述べていた。
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