12月4日の衆院本会議で行われた「選択的夫婦別姓」制度についての石破首相への質疑が、次のように報じられていた(12.5朝日新聞)。
公明党 竹谷とし子・・・制度の早期導入についての決意を。
石破首相・・・国会で建設的な議論が行われ、夫婦の氏に関する具体的な制度のあり方について、より幅広い国民の理解が形成されることが重要だ。
立憲民主党 打越さくら・・・選択的夫婦別姓がテーマになった時、ある議員は「そんなわがままはだめだ」と言ったそうです。首相も、選択的夫婦別姓をわがままと感じますか。
石破首相・・・婚姻時に、元の姓を維持したい気持ちを持つことに、わがままであると思ったことは一度もない。(姓を変えるのは)多くが女性だ。その悲しみや苦しみを、よく認識をしていかねばならないと痛感している。
もちろん、これだけの報道で、実際のやりとりの「全体像」が見える訳ではないが、いずれにしても、質問する側も答える石破首相の方も、「選択的夫婦別姓」問題の認識が、あまりにも漠然としている。
先の自民党党首選で立候補していた小泉進次郎氏(元環境相)が、「選択的夫婦別姓」を積極的に掲げ、「もし総理になったならば」「夫婦別姓を認める法案を1年以内に提出する」と、語っていたが、さすがに小泉氏、「選択的夫婦別姓」問題の内実と、これまでの歴史を踏まえていることがよく分かる。つまり、「選択的夫婦別姓」問題とは、日本の「家制度」に基づく「結婚=家族」のあり様を、部分的であれ「弛め」「自由」にしようとする方策であり、ゆえに、それを可能にするためには国会での「法案」可決(「民法改正」)が最前提だからである。
したがって、石破首相の、「姓を変える女性の悲しみや苦しみをよく認識をしていかねばならない」という発言は、やはりピントがずれている、と言わざるを得ないだろう。もちろん、民法750条によって、結婚に際して「夫婦同姓」を強いられ、圧倒的多数の女性が「夫姓」を(嬉々として、あるいは幸せを感じて)選択している現実の中で、「悲しんだり」「苦しんだり」している女性が居ない訳ではないが、その「悲しみや苦しみ」よりも前に、この「夫婦同姓」を強制する法制度そのものの不当性(女性差別制度)を問題とし、それを真に「男女平等」となるよう制度変更してほしい、というのが、「選択的夫婦別姓問題」の要(かなめ)だからなのである。
「選択的夫婦別姓」にかかわる歴史的経緯(その1)
そもそも、日本における「選択的夫婦別姓」がクローズアップされたのは、やはり
国連の1979年に採択された「女性差別撤廃条約」および同年の日本の批准が起点だろう。さらに、この条約を批准した国々のその後の履行状況を監視・チェックするために、「女性差別撤廃委員会」(メンバー23名)が設置された。
現在、「女性差別撤廃条約」を批准している国々は189カ国に及び、「女性差別撤廃委員会」に日本から、秋月弘子氏(亜細亜大教授)がメンバーとして加わり、さらに「副委員長」を務めていることはすでに述べた。
したがって、これまでは「女性差別撤廃委員会」による勧告に基づき、日本国内での、「婚姻年齢の男女の差の解消・女性の再婚禁止期間の廃止(民法改正)」「強姦の定義をめぐる改正(不同意性交罪)および性交同意年齢の引き上げ(13歳から16歳に)(刑法改正)」等々、それなりに誠実な対応を続けている。
しかも、1996年という早い時期に、法務省の法制審議会が「選択的夫婦別姓」制度の導入を求める民法改正案を答申したのは、今から考えても極めて誠実であり、画期的なことである。
北村和巳氏(毎日新聞社論説委員)によれば、「名だたる民法学者が揃った」法制審の中では、「選択的夫婦別姓」に「異議なし!」の法務官僚だった小池信之弁護士が、裏方として尽力した、ということである。通常は法相の諮問機関である法制審議会が法案要綱を答申すれば、それは「法律」として制定されることになる。しかし、この際は、「一回、国会に法案を提出して議論をしてもらい、国民ともども納得した上での民法改正になればいい」ということで、まずは、小池氏が自民党議員への説明に回ったという。
ところが、小池氏が自民党議員への説明に行くと8~9割が反対したそうだ。「家族の一体感、絆が弱くなる」という理由が最も多く、「なぜ別姓が必要か分からない」との声もあったそうだ。公の場で賛成したのは野中広務氏ら数人くらい、それで小池氏は、自民党議員への説得は難しいと悟ったという。
それから28年!結局この法案は「たなざらし」状態。下手をすると、国会議員ですらこの法案の存在を知らないかもしれない。
「選択的夫婦別姓」に関わる歴史的経緯(その2)
こうして、日本における「選択的夫婦別姓」への政治的な動きは忽然とストップしたままである。このような事情が伝わることもなく(おそらく!)、「女性差別撤廃委員会」は、日本に対して、「選択的夫婦別姓制度の導入」について、2003年、2009年、2016年と勧告を出し続け、今では、「結婚に当たり、夫婦に同姓を強制するのは世界で日本だけ」ということもあり、今年2024年、4度目の勧告となった。
前回記した通り、今年の対面審査は、10月17日、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で行われ、2016年以来8年ぶりであった。
しかし、先に見た通り、「選択的夫婦別姓」を軸とする「民法改正案」は「たなざらし」のまま、「自民党が主流である限り、日本では選択的夫婦別姓の導入は無理」という暗黙の了解が成り立ってきたのであろうか。まさに政治的には「無為無策」である。
今回の対面審査に対応した代表団(内閣府の岡田恵子代表、総勢40人)の応答は、前回でも紹介したが、次のような「曖昧」かつ「無責任」なものだった。
「世論調査でも国民の意見が分かれている。家族のあり方に関わることから、より幅広く理解を得る必要がある。議論が深まるように取り組んでいる」。
もっとも、1898(明治31)年施行の明治民法から始まった「夫婦同姓(氏)」の制度の定着は、現在でも驚くほど強固である。しかも「夫婦同姓」の実質は「夫の姓(氏)」であり、「夫の姓(氏)」を名乗る夫婦の割合は、1995年に97.4%、2018年でも95.5%となっている。
しかし、自分の「結婚の際の姓」の選択と、一般的な「選択的夫婦別姓」制度への賛否はまた別問題である。「他人の選択に対する許容」の問題でもあるからである。
2024年5月1日実施のNHK世論調査では、「選択的夫婦別姓」に対する賛否の結果は、賛成 62%、反対 27%となっている。
その後続いて実施された7月、朝日新聞社の世論調査では、賛成73%、反対21%と、その差をさらに大きくしている。しかも、自民党支持層に限っても、賛成が64%にのぼったという(2024.9.2)。
このような「世論調査」結果を見ても、「選択的夫婦別姓」問題は、要は、「政策方針」が基本だということであろう。
その限りでは、小泉進次郎の「国会への法案提出」の姿勢は心強いものがあるが、ただ、彼自身が「自民党内少数派」である限り、展望が見えないのは残念である。
最後に、2015年、2021年の二度に渡る最高裁判決は、民法の「夫婦同姓」規定が、「両性の平等」を謳う憲法に違反しているのではないか、との訴えに、「違反ではなく合憲」の判決を下している。
それは、「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。」という民法750条の文言にもよるのかもしれない。この字面からすれば、いささかの「強制」も「差別」も読み取れないからである。裁判官という「条文に即する」という職業の、思いがけない「盲点」かもしれない。
しかし、2015年の最高裁判決には、次のような判断も付記されていた。
① 夫婦別氏を希望する者にこれを可能とするいわゆる選択的夫婦別氏制度について、そのような制度に合理性がないと断ずるものではない。
② この種の制度の在り方は、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならないというべきである。
以上、諸々を考慮する時、要は、政府が「選択的夫婦別姓」を認めるために、民法を改正するかどうか、ということである。1996年の法制審議会の「民法」改正案は、まだ国会での立派な「叩き台」になることを、石破首相にも是非気づいて欲しいと思う。
(2024.12.6)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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